ここはクン・チャンの切り抜き帳、レッド・ゾーン。そのときどきに気になった言葉をメモしていきます。
聖ヴェロニカ/1420年頃/ミュンヘン/アルテ・ピナコテーク




●霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味
 ──現役時代に松山(愛媛県)のお寺で見た言葉

●願わくば我に七難八苦を与えたまえ
●憂きことの なおこの上に積もれかし 限りある身の力試さん

 ──戦国武将、山中鹿之助のものと伝わる言葉と歌

今シーズン日本一になったホークス、達川光男ヘッドコーチが選手全員へ贈る言葉。(2017/11/20)



●死は、自分の家に帰ることですが、人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。
そこには良心の問題もあります。
”もっと良くやるべきだったのに”と。
私たちは生きたように死ぬものです。
死とは人生の続きであり、また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
死なないのです。

マザー・テレサ『日々のことば』から。
中国にも「視死如帰」──死をみること、家に帰るが如し、と言う言葉がある。
死ぬことを恐れながら生きるのではなく、その日その日を精いっぱい活き活きと生きること。(2014/8/29)




●与えるために、どれだけ”持っているか”が問題なのではなく、私たちがどれだけ空っぽであるかと言うことが大切なのです。空っぽなので、日々、十分にいただくことができるのです。
自分自身を見つめることをやめ、何も持っていないこと、何者でもないことを喜びましょう。
あなたの無があなたを脅かす時はいつでも、イエス様に、大きなほほえみをささげましょう。

マザー・テレサ『日々のことば』から。
自分は何ももっていないということ、良いことはすべて神からくるということ。
今日は天の元后聖マリアの祝日。マリアさまはすべての人の母。どんな願もかなえてくださる。(8/22)




●子(し)曰く、学んで時に之(これ)を習う。
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)あり遠方より来(きた)る、亦楽しからずや。
人知らず、而(しかう)して慍(いか)らず、亦君子ならずや。

まだ知らないことを学んで、ときどきそれを復習する。
そうすると今まで分からなかったことが理解できるようになる。
それは喜ばしいことである。
友がいて遠路はるばる訪ねてくれる、これもまたうれしいことである。
人が自分のことを知らなくても、全く気にならない。
そのような人こそ君子というものである。

論語より。今日は終戦記念日そして精霊流し。京都からふたりの朋が来ている。外ではバクチクと鐘の音が聞こえてくる。そろそろ喧噪の町に出かけよう。(8/15)



●最も自然なことは家庭の生活です。何が家族を一緒にするのでしょう。何が、一緒に過ごす家庭を育てるのでしょう。それはお互いに譲り合うこと、忠実であること、そしてお互いに受け入れ合うことです。

●もし父親と母親に、お互いの忠実さと譲り合う心がないなら、自分の子どもたちに忠実を要求するにはかなり勇気が要ることでしょう。今日私たちが抱えている、家庭生活の多くの問題は、ここから出ていると思います。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。自分を第一にして、譲り合うことを忘れていないか。(8/1)



●よいことは「今」しなさい。過ぎ去った「昨日」を考えず、来るか来ないかわからない「明日」を思いわずらわずに。

ホセマリア・エスクリバーのことば。今日を生きる、今を生きる、それができているか。(7/25)



●たった一人の人にも、つまり誰に対しても、無関心になってはならない。

ホセマリア・エスクリバー著『鍛(きたえる)』から。たった一人の人の苦しみから戦争は始まるのだ。今日は母の25回目の命日。(7/18)



●平和を願う祈り──アッシジの聖フランシスコ

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいのあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光を
もたらすことができますように
助け、導いてください。

神よ、わたしに
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを
望ませてください。

自分を捨てて初めて
自分を見出し
赦してこそゆるされ
死ぬことによってのみ
永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。

7月3日は我が師・楊名時先生の命日。先生の口癖「私の好きな太極拳、あなたの好きな太極拳を広めることで平和な世界をつくっていきましょうね」と話す先生の声を思いだす。戦争の無い平和な世界を切望する。(7/11)



●「せんそういやだ」
よしだこうだい 6さい

てれびでせんそう
やろうといって
いるのをみたから
ぼくわはんたい
おとうさんと
おかあさんがしんだら
いやや あとみんなしん
だらいややです
だからぼくわ
せんそうにはんたい
おおごえでなく

真理はシンプルなはず。戦争反対の理由はそれだけ。(7/4)




●神と大胆。大胆は軽率ではない。大胆は無謀ではない。

ホセマリア・エスクリバー著『道』から。大胆になれるか。(6/27)



●恋猫に思ひのほかの月夜かな──中村汀女

●水田に満月落ちて友の里──むしか

月の歌ふたつ。(6/20)



●心の平和を取り去るような疑いはしりぞけなさい。神がお与えになるものなら心の平和をうばったりしないからである。 神の訪問を受けたのなら、「あなた達に平安を与える。あなた達に平安をのこす。あなた達に平安あれ」とのお言葉にいつわりのないことがわかるはずだ。たとえ、どんな艱難のさなかにあっても。

ホセマリア・エスクリバー著『道』から。心の平安、心の平和の必要性を心から思う。(6/13)



●今していることをせよ──何も心配するな──きっと、限りなく良きおん父は、常にどこでもお前のためによりよいことを準備えて下さるだろう。──お前がそのご好意に信頼せず、色々なことに心をわずらわすとき、お前は、この良きおん父に不快な思いをさせているのだ。

『コルベ神父 霊的メモ』から。神により頼むこと、全身全霊で頼ること。(6/6)



●自分のすべてをいったん吐ききって、空っぽにしてから、しっかり神の愛を吸い込むという、霊的な「呼吸」をしてほしい。
細かいことにこだわるのは、魂の世界が窒息してるから起こること。
口での呼吸も健康に大切だけれど、魂の深呼吸はもっと大切です。ここが詰まったら、どんなに身体が健康で、この世的に恵まれていても、そこには真の自由、真の喜びはない。

晴佐久神父の説教より。「魂の深呼吸」! (5/30)



●自分の苦しみを、けっして人に感じさせるな。

『マリアにならう』から。
どんな時にも笑顔を忘れずにいたい。
苦しみを持っていない人はいないことを忘れずに。
静寂の中で物思う大切さ。(5/23)




●言葉の沈黙、心の沈黙、目の沈黙、耳の沈黙、精神の沈黙。

沈黙の果実は祈りである。
祈りの果実は信仰である。
信仰の果実は愛である。
愛の果実は奉仕である。
奉仕の果実は平和である──マザー・テレサ

●静養心神──中国のことば

静=沈黙のことを考える。沈黙の中でしか真理と出会うことは出来ない。(5/16)  



●批判する必要があるときは、一緒に努力するつもりになって、前向きで建設的な批判をしなければならない。決して当事者の背後で批判してはならない。
そうでないと、批判は裏切りや陰口、中傷となり、時には讒言とさえなる。いずれにせよ、常に高貴さに欠ける行為であることにかわりはない。

ホセマリア・エスクリバー著『鍛(きたえる)』から。うーん、難しい。反省します。(5/9)



●寧静致遠(ねいせいちえん)
 心が静かで安らかであってこそ、遠くに行くことができる、遠くに思いを馳せることができる。

諸葛孔明のことば。やっとこの言葉が心に届いたようだ。「心平気静」でいたい。(5/2)



●もしあなたに見る目があるなら、
世界中至るところに
カルカッタを見つけるでしょう。
カルカッタの街は、皆の家のドアに繋がっているのです。
あなたがカルカッタに飛んで来たいということは
知っています。けれど、
遠くにいる人を愛するのは簡単なことです。
反面、一緒に生活している人たちを愛するのは、
いつでも易しいわけではありません。
嫌いなあの人や、ついバカにしてしまう
あの人のことは、どうなんでしょう。

『マザー・テレサ 日々のことば』今日の箇所から。耳がいたい。愛することは、好き嫌いとは別のこと。嫌いな人を愛せるか。好きな人を愛せるか。(4/25)



●重厚な態度。女々しく子供じみた顔つきや軽薄な態度を捨てないさい。あなたの起ち居振る舞いは、心の平和と落ち着きをあらわさなければならない。

●もっと「ノー」といえるようになれ。

●「そんなややこしい生活をしなくても……」とささやきかける悪魔には、きっぱりと背を向けよう。

ひさしぶりに、ホセマリア・エスクリバー著『道』から。はげまされることしきり。(4/18)



●眠っている意識を呼び覚ますのが詩人の仕事である──西脇順三郎

●見えないものを見、匂わぬものを嗅ぎとるムホンの快感こそが俳諧である──永田耕衣

●書は人である限り、面白い書を仕出かすには、まず己の「人間」が十方無礙に面白く成長不断である必要がある──永田耕衣

永田耕衣を読みふける春。(4/11)



●わたくしはあなたがたすべてを呼びます。
そして、あなたがたすべてを待ちます。
わたくしはあなたがたみなに、
あなたがたひとりびとりに、
あいたいのです。
わたくしのもとにおいでなさい。

『マリアにならう』から。マリアさまのことば。マリアさまが『アイタイ』と言ってくださっている。(4/4)

●わたくしのもとにおいでなさい。
人の子らよ、おいでなさい。
わたくしの母ごころは、神とごいっしょに、あなたを守ります。
必要でしたら、神の激しいお怒りを、わたくし自身が負いましょう。
そしてあなたがたをゆるしてくださるまで、神をおなだめもうしあげつづけましょう。




●聖なる非妥協は、不寛容のことではない──ホセ・マリア・エスクリバー

この言葉を知って、目が開かれた思いがした。救われたよ。(3/28)



●もしあなたが謙虚であるなら、何事もあなたの心を汚さないでしょう。
もしあなたが聖人であるなら、神に感謝しなさい。
もしあなたが罪人であるなら、そのままでいてはいけません。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。
そのままでいて良いはずがない。日々よりよくなれるように祈りつづけなくてはならない、と思う。(3/15)




●死近しとげらげら梅に笑ひけり

●人ごみに蝶の生るる彼岸かな

●うつうつと最高を行く揚羽蝶

『永田耕衣 自薦三百句』から。
彼を知って、句というものの認識が変わった。
そして衝撃を受けた彼の言葉がある。


●「出会いの絶景」

●俳句とは或る没落感を陽気に湛えた文芸であろう。

まさにブルースではないか。出会いの三月。(3/7)



●見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
はっきりあなたがたに言っておく。
彼らは既に報いを受けている。

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。
偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。
偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。
はっきり言っておく。
彼らは既に報いを受けている。

あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

「マタイによる福音書 6章1〜6、16〜18節」
来週の水曜日から四旬節に入る。灰の水曜日のミサでは、司祭は「あなたはちりであり、ちりに帰って 行くのです」と唱えながら、灰で信者の額に十字の印をする。イエスの砂漠での断食に倣い、復活祭までの四十日間、死を思い、静かに過ごす。(2/28)




●新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、ほんとうに快い気持ちでいます。人びとは他の人のすることばかりを気にしていて、自分の手近の義務を忘れがちです。

「ゲーテ格言集」から。新聞を取るのを止めたのに、いまだにネットで新聞を読むのが日課になっている私である……。(2/21)



●思いやりのある行為への最も確かな近道は、言葉を使うことです。ただし、他人への良いことのために使いましょう。
もしあなたが、人のことを良く考えるのならば、人についても良く話すようになるでしょう。
言葉の暴力はとても恐ろしいものです。どんなナイフよりも鋭く人を傷つけます。
言葉によって傷つき生まれた悲痛な苦しみは、神の恵み以外には、いやすことができません。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。「説話和気」という言葉を思い出す。もっと言葉を大切にしなくてはならない。言葉は人格なのだから。言葉で人を愛せるか。(2/14)



●賞賛に値する行いこそ、美しい人生をつくり出す。

『マリアにならう』から。行うこと。働くこと。怠惰に陥らないこと。(2/7)



●[黙想]みずから甘んじること
なにごとにも、自分自身についてさえも、満足しない人がいる。他人の幸福に対する不満、自分の生涯や運命に対する不満。これはむら気であり、欠陥である。(中略)
どんなわずかな満足もえられるはずがない、といった厭世主義におちいらず、自分自身を正しく、もっとよく判断することが、たいせつだ。自分自身を過小評価することは、徳ではない。このように解釈するなら、もはや、謙遜は欠陥以外のなにものでもない。
自分自身をおおいに信頼しよう。思いと愛情の翼をひろげよう。みずからをよく理解する人は、みずからを愛する。自らを愛する人は、みずから励む。自分自身を信頼しよう。

[行い]けっして失敗や試練に落胆するな。

[思い]自分のことをよく考えてみれば、自分が幸福であることがわかる。「運命に甘んじる」とソクラテスは言った。

『マリアにならう』から。何度も読み返している。悲観主義から脱却しなければならない。己を知ることの難しさ。過度のコンプレックスはナルシズムと同じことなのだ。(1/31)



●よくない性格は、病気のようなものだ。機嫌が悪くなりやすい心は、病気である。この病気は、肉体にも伝染する。
よくない性格とは、移り気、むら気、気まぐれ、おこりっぽいことなどだ。それは調和と慎重さを欠いている。
これとは反対に、強く、調和がとれていて、いつも変わらなければ、よい性格だ。どんな風の吹きまわしにも変わらないことは、性格の強さであり、つねに変わらず善徳そのものでいらっしゃる神に近づくことにほかならない。
性格を強くするには、心を鍛え、苦しみにたえるようにからだを強めなければならない。(中略)
いつも努力して、元気にものごとをせよ。おおしく行え。

『マリアにならう』より。心と身体、もっと強くなりたい、と願う。(1/24)



●お前が悪いと指させば、3本の指は自分を指している。

110カ国で放映されている人気番組「Dog Whisperer with Cesar Millan」(邦題「カリスマドッグトレーナー」)でシーザー・ミランが言っていた言葉。最近いちばん観ているテレビ番組です。とても勉強になります。(1/17)



●すべての芸術は音楽にあこがれる──ウォルター・ペーター

明けましておめでとうございます。
今年は音楽の年にします。ライブでみなさんとお会いしたいです。
もっと音楽を! (1/3)




●「視死如帰」
 死するとは、我が家に帰るが如し

中国のことわざから。
今日、友の死を知った。去年の秋にこの世を去ったそうだ。冥福を祈ろう。(12/27)




●ニューヨークの夢(おとぎ話)
The Fairytale of New York / The Pogues

クリスマス・イヴなのに
酔っ払って牢屋の中
先客のじいさんは俺に言ったんだ
「もう新顔は見たくないね」
そして歌いだした
「The Rare Old Mountain Dew」を
俺は背を向けて眠った
君の夢を見たよ

あれは本当にラッキーだったよ
18倍の馬券が当たったんだ
ようやく俺たちツキがまわって来たかな
そんな気分だったよ
ハッピー・クリスマス、愛しているよ
俺たちの夢が叶う時がやっと来そうだね

(女)
部屋のようにばかでかい車
街を流れる金の川
でも風で体の芯まで冷えちゃう
年寄りにはこたえるでしょうね
あなたが初めて私の手を握った
あの寒いクリスマス・イヴ
私に約束してくれたわ
「ブロードウェイは君を待っている」って
あなたはハンサムだった
(男)
君も美人だった
ニューヨークの女王さ
(二人)
バンドが演奏を止めても
アンコールが鳴りやまなかった
覚えてる?
あの時シナトラがごきげんで
街では酔っ払いがみんな歌っていて
俺たち街角でちゅーうっとキス
朝まで踊り続けたね

※(くりかえし)
ニューヨーク市警の合唱隊は
「Galway Bay」を歌い続ける
教会の鐘が鳴り響く
クリスマスを祝って

(女)
このロクでなし!
(男)
おまえだってヤク中の売春婦じゃないか
ベッドで注射打ってなきゃ 死んじまうくせに
(女)
何よ、ウジ虫!
ケチなホモ野郎!
何がハッピー・クリスマスなもんか
あなたと別れられるように神様に祈ってやる

※ニューヨーク市警の合唱隊は
「Galway Bay」を歌い続ける
教会の鐘が鳴り響く
クリスマスを祝って

(男)
俺には明るい未来があったはずなのに
(女)
そんなこと誰だって言えるわ
最初に出会った時に
あなたは私の夢を奪っちゃったのよ
(男)
そうかい、俺はまだその夢を大事に預かってるよ
俺の夢と一緒にしまってあるんだ
俺は一人じゃ生きられい
君がいなくちゃ夢を持つことさえできないんだ

※ニューヨーク市警の合唱隊は
「Galway Bay」を歌い続ける
教会の鐘が鳴り響く
クリスマスを祝って

クリスマスになると聴きたくなる一曲です。試訳してみました。ポーグスは大好きなバンドです。ボーカルのシェーンが抜けてからはあまり聴かなくなったけど……。みなさんステキなクリスマスをお迎えください。(12/20)



●「うどんという食べもんは、百点満点やと窮屈でおいしいない」ということなんです。百点満点の腕を持ちながら、どこかを引くことで、九十点か八十五点の味をお出しする。これやと「我」もでまへん。
百点は誰でもつくれるけど、それを引く方がむずかしい。うどんみたいな大衆的なもんは最高の味やと毎日は食べられへんのです。

[松葉家主人]宇佐見辰一『きつねうどん口伝』から。究極を極めた人にしか言えない言葉なのだろう。
今回大阪に行くことになって、随分前に読んだこの本を思い出し、本棚から取り出した。長年憧れの「きつねうどん」だったが、やっぱり行けなかった。またチャンスもあるでしょう。
大阪・姫路のライブは最高でした。みなさんに感謝!(12/13)




●出かける時、旅に出る時の祈り
いつくしみ深い父よ、これからの旅「出かける私(たち)」を祝福してください。私(たち)が思いがけない事故にあうこのとのないように守ってください。まわりの人びとに迷惑をかけることなく、かえって、出会うすべての人びとに、あたたかい心づかいで接することができますように。無事に旅を終え、守護の天使に導き支えられて、すべての出会いと出来事に於いてあなたの愛を見いだすことができますように。

今から旅立ちます。明日7日は大阪、8日は姫路でライブです。ワクワクしています。
みなさん、会場でお会いしましょう!(12/6)
ライブ情報はこちら




●人生、チャレンジすることに意義があり、できるかできないか、ではなく、やるかやらないかだ。

小久保裕紀語録から。WBCの若き監督を応援します。(11/29)



●すべての行動にリスクがともなうように、悩みのない世界など、けっしてありません。人間的な美徳のすべては、危険と損失なしには、手に入らない。

カミール・パーリア著『セックス、アート、アメリカンカルチャー』から。久し振りに本棚から取り出して開いてみる。ロックな感覚を取り戻そう。(11/22)



●セレナーデ (詞:長谷川集平)
悲しい夜は歌ってあげよう
うまく歌えますように
あなたの大事ないのちが
かわいてしまわないように

そうさ それが
ぼくにできるたったひとつのこと
生まれて死ぬまでくりかえすのが
悲しみだけじゃないように

ライブに向けてレパートリーを中心に日々チェロの稽古中。先日この曲を弾きながら、不覚にも泣いてしまった。もう30年も演奏してるのに、今頃やっと入ってくるなんて……。
12月7日の大阪と8日の姫路のライブ、お楽しみに!(11/15) ライブ情報はこちら




●心配事の9割は起こらない──枡野 俊明

●今を生きる──シーザー・ミラン

今、頼りにしている2つの言葉です。過ぎたことや明日のことを思い煩わないように生きたいです。(11/8)



●口数は、少なくすべきです。
説教しても、それが人とふれあう場にはなりません。
ではどうしますか?
ほうきを取って、だれかの家を掃除しなさい。
その行為が十分に語ってくれます。
私たちは皆自分にできる小さなことをして、
通り過ぎていく神の道具なのです。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。ポール・サイモンの「スリップ・スライディング・アウェイ」を思い出す。自分のやるべき小さな仕事に喜びを見出すこと、そして静かに人生を終えること。(10/25)



●親切で間違いを犯す方が、不親切で奇跡を行うより、ずっと良いことです。自分自身に優しく、そしてバランスを保って自分自身をコントロールすることは、とても重要なことです。もしも私たちがお互いに、穏やかで調和のとれた生活をしていたいなら、自分たちの言葉に気をつけなくてはなりません。特に、貧しい人たちと接するときは、彼らと話すことについて十分気をつけていなければなりません。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。「心和気・身体和気・説話和気」である。
今日は集平の霊名・聖ルカの祝日、夕食でお祝いしよう。(10/18)




●たいせつなのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、 どれだけ心をこめたかです──マザー・テレサ

いよいよ明後日は、楊名時太極拳長崎県支部10周年記念大会だ。みんなで着々と準備を進めている。このことばの大切さを今一度思う。いい大会にしよう!(10/11)



●人がわたしたちのところに来るのでは、その人を知ることはできない。人がどういうふうであるかを知るためには、わたしたちはその人のところへ行かなくてはならない──ゲーテ

「禮尚往来」礼は往来と尊ぶ、と言う言葉を思い出す。自分から出かけていくことの大切さ、自分の狭い領域に留まるのではなく。それは心理的にも言えることだと思う。(9/27)



●もし、経験がないならば、尋ねなさい。 尋ねることは恥ずかしいことではありません。 けれど、知らないことを、知っているようなふりをするのは、おやめなさい。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。知らないということを、知ること、これが出来そうでなかなか出きなこと。(9/20)



●知識を増やすことは、私たちの信仰をぼやけさせることではありません。
それはただ、神の創造の偉大さを示すに過ぎないのです。
私たちには、理解できないことがよくあります。
ここに、聖アウグスティヌスのすばらしいお手本があります。
彼は、三位一体の神の創造の偉大さを理解しようともがいていました。
彼の人間の理性では把握することができなかったのです。
ある時彼は、砂浜の穴を水でいっぱいにしようとしている小さな男の子に近づいて、何をしているのか、と尋ねました。
「海の水を全部をここにいれようとしているんだよ」
とその子は答えました。
「そんなことは不可能だよ」
とアウグスティヌスは言いました。
ところがその子は天使だったのです。
そしてこう言いました。
「あなたが神の神秘を理解することと比べれば、この穴を海の水でいっぱいにすることの方が、はるかに易しいことです」

『マザー・テレサ 日々のことば』から。自分の小ささを知る。自分の無知を知る。謙遜のほんとうの意味だと思う。(9/13)



●小さい心は顕微鏡のようなもので、小さいものを大きくするが、大きなものを見ることができない──チェスタフィールド

楊名時先生の「日本人は顕微鏡でものを見る、中国人は望遠鏡で見る」という言葉を思い出す。物事を大きくとらえ、未来を見据えて行動しなくてはならないと思う。今日は楊名時太極拳長崎県支部設立大会からちょうど10周年記念日。(9/6)



●あなたの最大の敵はあなた自身である。

●あなたの体に言いなさい。「おまえの奴隷であるよりも、お前を奴隷にする方がよい。」

ホセマリア・エスクリバー神父『道』から。「人生は居心地の悪い安宿屋のようなものだ」という言葉を思い出す。肉体の不快に心が負けないようにしなければ……。(8/30)



●悲観的になるな。起こることも、起こりうることも、万事は善のためであるのがわからないのか。
信仰がしっかりしているなら当然、楽天的であるはずだ。

ホセマリア・エスクリバー神父『道』より。反省反省また反省。(8/23)



●平和を願う祈り──アッシジの聖フランシスコ

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいのあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光を
もたらすことができますように
助け、導いてください。

神よ、わたしに
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを
望ませてください。

自分を捨てて初めて
自分を見出し
赦してこそゆるされ
死ぬことによってのみ
永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。

今日は68回目の長崎原爆忌。この祈りを今一度思い起こしたい。(8/9)



●私はこじきだ、絶対者のこじきだ──ヘッロ

『ベガーズバンケット』ローリングストーンズのアルバム、長谷川集平の小説。(8/2)



●よい習慣がつけられるように、性格もつくられる。

●喜びを味わっている人だけが、よい性格をもっている。いわゆる、ふさぎがちというのは、けっして好ましい性格ではない。そのような人は、ひとにも自分にも重荷になる。

●しっかりした性格をもて。性格をやわらげるように、磨け。役にたつようにわががまをつつしめ。そうすれば、マリアのように、生涯、毎日、神を賛美しながら、大きな喜びをもって暮らすことができる。

●よい性格を養うには、もっともいやなことをして、まず、いままでの性格をなくしてしまう方法を考え出すことが、しばしば必要である。

『マリアにならう』から。
「山難移 性難改」(山が動かないように、性格も変わらない)という中国の言葉がある。けれど、聖書では「信仰があれば、山をも動かす」とある。性格はつくるもの、だから望めば変えられるはず。変わるはず。変わりゆくものなら、いい方向に変わって行けるように祈りつづける。(7/26)




●知之為知之、不知為不知、是知也。──孔子
(知っていることは知っている、解らないことは解らない、そのことを知っている。)

●人間は努力する限り迷う──ゲーテ

自分の小ささを知ること。知っていることがわずかだと知ること。大らかに神に身を任せること。(7/19)



●喜びは祈り、
喜びは力、
喜びは愛。
喜びは、人の魂を
受けとめることのできる愛の網。
喜んで与える人は
最も多く与える人です。
神と人々に
あなたの感謝の心を表す
いちばんよい方法は、
どんなことでも
喜んで受け入れることです。

『マザー・テレサ 日々のことば』今日の箇所から。今日は私の誕生日。マザーからのメッセージだと思って受けとめよう。喜びをもって生きる、そうありたい。(7/12)



●私たちは神を見出す必要があります。
神を、騒がしく落ちつきのないところで
見出すことはできません。
神は静けさの友なのです。
自然をご覧なさい。
木や花、そして草は静かに成長していきます。
星や月や太陽をご覧なさい。
なんと静かに動いてくるのでしょう。
沈黙の祈りのうちに
多くを受ければ受けるほど、
私たちの活動においてもっと
多くを与えることができるのです。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。
自然、静寂にもっと親しむ時間を持とうと思う。(6/28)




●自分の利益ばかりを求めてすごす人生は、幻滅と生活の疲れを産む。向上のない人生に満足する霊魂は、不幸だ。ひたすら、まごころから、からだをいとわず、熱心に、働き励み、もっともよく行う人こそ、もっともりっぱに生きる人である。

●少なくとも、小さな一つのことでよいから、いっしょうけんめいにして、毎日をすごせ。

『マリアにならう』から。今日すべきことを、する。そんな毎日を送れているか。(6/21)



●悲しみは喜びよりも多くのことを教えてくれる。苦しんだことのない人には、なにが分かろう。愛する心は、すでに剣でなかば切り開かれている。

トマス・ア・ケンビス著『マリアにならう』から。
苦しみのことを思う。愛のことを思う。マリアさまのことを思う。(6/14)




●よりよく人に奉仕するには、時々そこから離れる必要がある。──A・カミュ

 別言すると、あとでよりよい行動をするためには孤独の中に時々退かねばならない。沈黙し、反省することはなんとむずかしいことだろう!
 1日のうちに人間の使命を最良に果たすため、私と神の前におのれを直面させるような沈黙の何分かを私は持とうとするだろうか?
 雑音、放心のために私のまわりは八方ふさがりだ。個人的にこれに対処すべきだ、そしてもうすこし私たちは孤独を捜さねばならない。

バルバロ神父『三分の黙想』から。
沈黙──目の沈黙、鼻の沈黙、耳の沈黙、口の沈黙、心の沈黙。沈黙の中でしか神と出会うことはできないだろう。(6/7)




●ご降誕
彼らのために、宿屋には場所がなかった。(ルカ2・7)
聖母マリア、私の心の宿から、御子キリストを追い出すことがないよう、祈ってください。

バリョヌエボ著『ロザリオ』から。何と美しい祈りなのだろう。心に留めておきたい。(5/31)



●せいれい きてください
あなたの ひかりの かがやきで
わたしたちを てらして ください

まずしい ひとの ちち
こころの ひかり
あかしの ちからを そそぐかた
やさしい こころの とも
さわやかな いこい
ゆるぐことの ない よりどころ

くるしむ ときの はげまし
あつさの やすらい
うれいの ときの なぐさめ
めぐみ あふれる ひかり
しんじる ものの
こころを みたす ひかりよ

あなたの たすけが なければ
すべては はかなく きえてゆき
だれも きよく いきては ゆけない

けがれた ものを きよめ
すさみを うるおし
うけた いたでを いやす かた
かたい こころを やわらげ
つめたさを あたため
みだれた こころを ただす かた

あなたの ことばを しんじて
よりたのむ ものに
とうとい ちからを さずける かた
あなたは わたしの ささえ
めぐみの ちからで
すくいの みちを あゆみつづけ

おわりなく
よろこぶことが
できますように

アーメン ハレルヤ

カトリック典礼聖歌『聖霊の続唱』より。高田三郎さん作曲のこの聖歌は歌うたびに心の奥底を揺さぶられる。聖霊の働きが無ければ私たちは何も出来ない。生きている、肉体を持っている私たちの力となってくださる聖霊。気のことを考える。(5/24)



●芸術作品は人間の想像力によって生み出されます。人間は目に見える現実を前にして問いかけ、深い意味を見出して、それを形、色、音という言語を通じて伝えようと努めます。芸術は、目に見えるものの彼方に行こうとする人間の欲求を表現し、目に見える形にすることができます。芸術は、無限なるものに対する渇望と探求を表します。そればかりか、芸術は、日常を超えた、無限なるもの、美、真理に開かれた扉のようなものです。だから芸術作品は、思いと心の目を開いて、わたしたちをいと高いところへと駆り立てることができるのです。

●芸術作品は、至高の美である神へ至る真の道となります。

●マルク・シャガールが述べたことは深い真理を表し続けます。 「画家たちは幾世紀にもわたって、聖書という色のついた文字に自分の筆を浸してきました」

●美の光は、わたしたちの心を打ち、いわばわたしたちの内面に「傷」を負わせ、神へと上昇するように招くからです。

●主の助けによって、わたしたちが自然の中で、また芸術作品の中で、主の美しさを仰ぎ見ることができますように。

『教皇ベネディクト16世 イエスの祈り』から。真理の美が心に「傷」を負わせる……このくだりに、しばらく沈黙してしまった。 本物の芸術を傷を負うほどにもっと体感したい、と思う。(5/17)



●文字は提灯、蝋燭は知識、この知識の蝋燭に灯をつけて精神を照らさなければならない──マルコ・マリー・ド・ロー

キリシタンの里、長崎県外海町の父「ド・ロ神父 黒革の日日録」から。先月に開館した「旧出津救助院」を観に外海へ。明治時代、貧しかったこの村に命を捧げた神父の偉業を改めて思う。5月はマリアさまの月。(5/10)



●海水不可斗量──海の水は計ることが出来ない。

楊名時先生の著作から。この言葉を知ったとき、以下の逸話を思い出した。

──聖アウグスティヌスが三位一体を解き明かそうと思索にふけりながら海岸を歩いていたら、小さな子どもが海の水を汲んで穴に入れようとしている。何をしているのか、と問うと、海の水全部をこの穴に入れるのだと言う。それは不可能なことだよ、と笑って言うと、「三位一体の秘儀を知り尽くそうとすることこそ無謀だ」と言って子どもは消えた──

海水のように、太極拳を汲み尽くすことはできない、と先生は書いておられる。分かろうとするのではなく、信じて任せて身体と心で味わうものだと思う。謙遜でいることの大切さを思う。(4/26)




●このわたしを、内なる心において美しい者にしてくださいますように。わたしが、知恵ある人をこそ富める者と考える人間になりますように。また、わたしのもつお金の高は、ただ思慮ある者のみが、にない運びうるほどのものでありますように──ソクラテスの祈り

教皇ベネディクト16世「イエスの祈り」(ペトロ文庫)から。 どんな時もいつも祈れる人になりたい。今日は集平の誕生日。(4/19)



●<誰かのために、わたしに頼みたいことがありますか?>
 その人の名前と、今その人のためにわたしが何をすることを望んでいるかをわたしに言いなさい。たくさん頼みなさい。頼むことをためらったり、しり込みしたりしないでください。あなたが慰めたいかわいそうな人々、正しい道に立ち戻るのを見たいとあなたが望んでいる道に迷った人たちのことも、同じく単純に誠実にわたしに話しなさい。一人ひとりについて少なくとも一言話しなさい。

<そしてあなた自身のためには何か必要なことはありませんか?>
 あなたは傲慢かもしれない。利己主義で、移り気で、怠慢であるかもしれない。そのことを率直に言いなさい。それらの状態から脱するために、あなたがしている小さな、あるいは大きな努力のために、助けに来てください、とわたしに頼みなさい。恥ずかしいと思ってはいけません。天には、全く同じ欠点を持つ、多くの義人と聖人がいます。でも彼らは謙遜に頼んだのです。……それで自分の欠点から少しずつ解き放たれたのです。またあなたの健康のために、仕事、事業、学業のよい結果のために祈ることをためらってはいけません。これらのすべてをわたしはあなたに与えることができるし、与えますよ。そのためにあなたがわたしに祈ることを、わたしは望んでいますよ。そのことがあなたの聖化に、もし害にならなければ、わたしはそれを容易にし、与えます。  ところで、今日あなたには何が必要ですか? あなたのために何がしてあげられるでしょうか? わたしがどれほど熱心にあなたを助けたいと思っているか、あなたに分かっていれば……。

<もしかしてわたしと分かち合える喜びをもっていないのではないですか?>
どうしてあなたの喜びをわたしと分かち合わせてくれないのですか。わたしはあなたの友だちではないのですか。この前わたしを訪ねてきたとき以来、あなたの心の慰めとなったことや、あなたを微笑ませたことについてわたしに話してください。きっと思いがけない愉快なことを体験したでしょう。良いお知らせや、手紙、愛情のしるしになるようなものを受け取ったでしょう。きっと困難を乗り越えたでしょう。それらはすべてわたしのわざです。あなたはわたしにただ「ありがとう、神さま」とだけ言えばよいのです。

ここにしばしば引用している、聖アントニオ・マリア・クラレ神父の「ご聖体訪問」から。イエズスが私たち一人ひとりに個人的に話しておられる、という形式をとっています。
神に全身全霊で甘えること、感謝をわすれないこと。(4/12)




●未来は私たちの手の中にあるのではありません。
私たちは未来に対してなんの力もありません。
私たちはただ、今日という日に行動できるのです。
私たちの会憲にこうあります。
私たちは、偉大な神が、未来のご計画を立てられることを認めます。
なぜなら、昨日はもう過ぎてしまい、明日はまだきていないのですから。
私たちは、人々が神を知り、神を愛し、神に奉仕するための今日という日しかないのです。
ですから、明日のことを心配するのはやめましょう。

『マザー・テレサ 日々のことば』4月5日から。「明日のことは思い煩わない」これがなかなか難しい。心配ごとは、なんでもマリアさまが責任をとってくださる、このことを忘れないでいよう、と思う。(4/5)



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