ここはクン・チャンの切り抜き帳、レッド・ゾーン。そのときどきに気になった言葉をメモしていきます。

       聖ヴェロニカ/1420年頃/ミュンヘン/アルテ・ピナコテーク




●東京に雪が降る。人間の様々な欲望を象った街を白いものが覆っていく。ぼくは雪が好きだ。

長谷川集平著『音楽未満』「幻想の雪冤」から。雪が降るたびに心に浮かんでくるこの言葉、どの本で読んだのかな、忘れていたら……。ランタンフェスもあと3日。今日は雪の舞いちる孔子廟で2度目の太極拳演舞をしてきました。とても寒かったけれど、心はポカポカになりました。謝謝。(2/3)



●不厭

いとわず。今年の私の目標です。何事も面倒くさがらず行うようにしたいです。明日はランタンフェスティバル孔子廟会場で太極拳の演舞をします。良い時間になりますように。(1/27)



●「静」という字は左が青年の青、右半分は争う。のびざかりの青年は争う力も持っているのです。いいかえれば「静」というのは、一番、戦える力を持っている、秘めている状態。だから乱れがなくて静かで美しい。これが兵なれば一番強い筈です。「静」とはつまり、内に力があって平らかなることなのです。

『楊名時の生きる心 動く心』「心平氣静」という用語の説明の件から。「静」という最もスタティックと思える言葉にこんなにダイナミックな意味が含まれていたとは、目からウロコである。太極拳経の冒頭の部分(以下)を思い出す。「静動」を改めて思う。(1/20)

●太極は無極にして動静の機、陰陽の母なり。動けば則ち分かれ、静まれば則ち合す。



●攻者は一人づゝ本基(い)より発して各基(ろ、は、に)を通過し再び本基に帰るを務めとす、かくして帰りたる者を廻丁(ホームイン)といふ。ベースボールの勝敗は九勝負終りたる後、各組廻丁の数の総計を比較し多き方を勝とするなり。(中略)廻丁といふは正方形を一周することなれどもその間には第一基第二基第三基等の関門あり各関門には番人(第一基には第一基人これを守る第二第三皆然り)あるを以て容易に通過すること能はざる也。走者(通過しつつある者)或る事情のもとに通過の権利を失ふを除外といふ。(普通に殺されるという)審判官除外と呼べば走者(または打者)は直ちに線外に出で後方の控所に入らざるべからず。除外三人に及べばその半勝負は終るなり。(中略)除外三人に及べば防者代りて攻者となり攻者代りて防者となる。此の如くして再び除外三人を生ずれば則ち第一小勝負終る。彼れ攻め此れ防ぐ事九度、攻むる事九度に及びて全勝負終る。

正岡子規『松蘿玉液』から「ベースボールの勝負」。明治時代に書かれたこの文章は子規のベースボールに対する愛情に満ちていて、興味深い。またベースボールの歌も九首読んでいる。その中から三首。野球はやっぱりいいなあ。(1/13)

●久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
 今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな
 うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に



●餅の上に橙をのせたって意味ないわ、それに堅くなってしまって食べるのに困るし、すぐにカビが生えるから、と若い人たちはいいます。なるほどさもあろうと思うのですが……。お供えを飾る時、まず三方に白米を敷きつめて、次に奉書を敷いて、お供えを置いてごらんなさい。お供えはカビません。11日のお鏡開きの朝、飾付けをといたらすぐ寒風にあててごらんなさい。お供えはどんどん大きなひび割れをして手で割れます。暇をみては小さく小さく割ってゆきます。カラカラに干しあげて、堅餅にしてこれを油で揚げれば、だれだって大喜びです。また堅餅を罐に入れて保存すれば、いつまでたっても変化しません。私は堅餅にし揚げ餅を作るために鏡餅を作るようなものです。こう説明すると、なるほどそうすれば無駄ではありませんね、ときき分けてくださいますが、はたして堅餅になさる方が何人あるでしょう。

あけましておめでとうございます。
年の初めは辰巳浜子さんの『料理歳時記』から。年が明けてから読んだので、年末には挑戦してみようかと思うのですが、果たしてどうなる事やら……。新しい年に、新しい知恵をえる喜び。今年もよろしくおつきあいください。(1/6)




●クリスマスの日、私たちは、か弱く、貧しく、幼い乳飲み子としてのイエス様を見ます。彼は、愛し、愛されるために来られました。私たちは今日の世界で、どのようにしてイエス様を愛することができるでしょうか? 私の夫に、私の妻に、私の子どもたちに、私の兄弟や姉妹に、私の周りの人たちに、そして貧しい人たちの中におられるイエス様を、愛することによってできるのです。さあ、ベツレヘムの貧しい飼い葉桶の周りに集いましょう。そして、私たちが日々出会うすべての人の中におられるイエス様を愛することを固く決心しましょう。

マザー・テレサ『日々のことば』から。昨日は冬至、一年でいちばん暗い季節に、光であるキリストが来てくださった。いよいよ明晩は主の降誕。クリスマス、おめでとう!(12/23)



●愛の秤(はかり)は、秤なしに愛するということである──聖アウグスティヌス

キリストは誠に秤なしに私たちを愛するために生まれてきてくださった。 クリスマスを思うたびに胸がキュンとなる。待ち遠しいなあ。(12/9)



●雪降れり時間の束の降るごとく 石田波郷

●美しき生い立ちを子に雪降れ降れ 村上喜代子

●まだもののかたちに雪の積もりをり 片山由美子

●太陽に命ゆだねし雪達磨 稲畑汀子

●雪だるま溶けて記憶の日向かな むしか

集平の新作『小さなよっつの雪だるま』を読んでから、雪のことを思う。 もう12月! (12/2)



●今日の仕事は、明日に延ばすな。──ホセマリア・エスクリバー

そうできますように。(11/25)



●思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

集平のブラック・ボックスで知ったマザー・テレサのことば。今私の中でこの言葉が大きくなっている。思考が言葉を産み、言葉が行動を……。運命とは、生きざまで変わりうるもの、そんなことを今まで考えたこともなかったから衝撃を受けている。心したい。(11/18)



●私たちの目的は、神と神の愛を、貧しい中でも最も貧しい人々にもたらすことです。彼らの出身民族や信条がなんであっても関係ありません。 私たちが助けの手を差しのべるかどうかの判断は、信じていることではなく、必要性によるものです。この働きの中で、私たちは神の愛の証人です。ですから、カトリックであれプロテスタントであれ、仏教徒であれその他の信仰者であれ、より善い人間になりさえすれば、私たちは満足なのです。彼らは神の愛の中で育まれ、神により近づいた存在になり、神の善の中に、神ご自身を見いだすことでしょう。

『マザー・テレサ 日々のことば』今日の箇所から。自分の暮らしの中でどれだけ人を愛することができているかどうか。(11/11)



●あなたを傷つける人がいても、つねに、最初の瞬間から、努めてゆるしてやりなさい。迷惑や侮辱がいかに大きくても、神はそれ以上にあなたを赦してくださったではないか。

●愛徳は「与えること」よりも、むしろ「理解すること」にある。それゆえ、隣人を判断する義務のあるときには、その人の言い分を探してあげなさい。必ず見つかるはずだ。

お馴染み、ホセマリア・エスクリバー神父の『道』から。一番難しいこと、それが人間関係だなあ。(11/4)


●自分をささげること、それが、生きることの条件である──ヘッロ

●幸福になる秘訣は、それを待ちのぞむより、むしろそれを与えることにある──ノルマン

●心を養うかては、おのれをささげることである──サン・テグジュペリ

サクリファイス、自分をささげることを考える。自分ことばかり考えて、 自分をささげることを忘れていないか。(10/28)



●横浜の仲間、赤間太郎氏のことばから。
「太極拳はその人とともに成長する──進歩と成長について。今の社会を支配している原理は競争にある。身近な受験戦争を見れば分かるように、競争はどうしても自分中心にならなければならぬ。友人といえども自分が合格するためには、負かすことが必要だ。自己中心の物の見方は顕微鏡的になる。競争は優劣を明白にするために目に見えるものだけで判定する。受験の場合は点数で、一定時間内に試験問題を解く技術がすべてを左右する。目に見えないものは無用というわけだ。
 目に見えないものとは『心』の世界である。『心』の世界をすててかえりみないのが競争社会だ。そのゆがみが、社会の病的現象を多発させている事実も否定できまい。
 太極拳は心身のバランス運動である。『進歩』では、『心』が含まれないきらいがある。
 技の進歩とはいうが、心も技も一つになって表されている。
 楊先生が教室で稽古する前に必ず『みんなの健康と幸福を願おう』とおっしゃるのは、顕微鏡的な自己中心の狭い世界からぬけ出して、心の地平を広げようとの呼びかけではないか。みんなが入るほどの心の地平が広がればそこに「ゆとり」が生まれる。
 樹木のように深く大地に根ざし、梢は無限の天空を目ざして『成長する』。私は太極拳とともにこう生きていたい、と思う。」
 「八段錦(太極拳)の精神は、病気を予防したり、治したりするだけのテクニック、手段だけにとどまらない。それは一つの生き方を示唆するということです──楊名時」

楊名時著『太極拳の心』から。抜粋編集した。太極拳ととも成長していくということ……心に刻んで歩んでいけますように。(10/22)



●有縁千里来相逢、
 無縁対面不相識。
 ──縁があれば遠いところからでも逢いに来る、
   縁がなければ目の前にいても相識らぬ。

楊名時著『太極拳のゆとり』から。
くんちも終わって長崎にも秋が来た。今年は京都から二人の学生がくんちにやって来た。そのおかげでどっぷりと祭を体験できた。長崎にいてもくんちと出会えない人もたくさんいる。情熱があれば、あんなに素晴らしい体験ができる。この言葉をこんなに実感したことはない。スーちゃん、ユウちゃん、ありがとう!(10/14)




●Stay Hungry, Stay Foolish.

昨日亡くなった米アップル社のスティーブ・ジョブスのことば。彼は確実に時代を変えた。同世代でもっとも大きな仕事を成した彼のご冥福を祈ろう。(10/7)



●悪魔がきらう率直さ──プシカリ

悪魔のことを考える。神のことを考える。(9/16)



●どんなことをするにしても心をこめてせよ。おこたりや軽率は高慢からでるもので、けんそんな人のけっしてすることではない。高慢な人は、他人と別格のものであることをのぞみ、けんそんな人は異常でないことをのぞむものであるから、あなたもごく普通のことをおこなって、特異なことをさけるようにつとめよ。

●あなたは、自分のつとめ以外のこと、すなわち、神にたいしても、人間にたいしても責任をもっていないことに干渉してはならない。それらのことに干渉するのは自負心の結果であって、増長するにつれて、罪のみなもととなりうるのである。自分のつとめをはたして、人のことに干渉しない人は、魂の平和をあじわえるのである。「キリストにならう」には、「自分に責任のないことにかかわるな。そうすれば、めったに平和を失うことはない」と書かれている。

レオ13世著「けんそんのしおり」から。高慢から逃れることの難しさを思う。マリアにより頼むしかない。昨日はマリアさまの誕生日。そして12日は中秋節。(9/9)



●要するに、そしてとりわけ人間関係の質のみが大切なのだ。

サン=テグジュペリ著『手帖』から。広く浅くではなく、深く誠意をもって人と接することを心がけたい。そんな大切な友を亡くした。さびしい。(9/2)



●まことに、愛にあふれた家はのきばから火をふいているようだ──八木重吉

口から吐き出して空間に霧散するようなことばの愛。それは私たちの主イエズスの教えではない。ことばの愛だけが吐き出される世の中になったら放射能のちりを蓄積した宇宙よりも住みにくくなる。
ひとりひとり、詩のように真理と霊において愛を持たなければならない。心にあふれる愛をいだいたならば、私たちは愛の炎をあげる家となる。まことにのきばから(私の周囲から)愛の火をふく家となる。

F・バルバロ編『三分の黙想』から。まずは家庭から愛を。(8/26)



●与えるために、どれだけ”持っているか”が問題なのではなく、私たちがどれだけ空っぽであるか、ということが大切なのです。空っぽなので、日々、十分にいただくことができるのです。自分自身を見つめるのをやめ、何も持っていないこと、何者でもないこと、何もできないことを喜びましょう。あなたの無があなたを脅かす時はいつでも、イエズス様に、大きなほほえみをささげましょう。

『マザー・テレサ 日々のことば』の今日の箇所から。良いものは全て神からくる、悪いものは自分から、ということをどれだけ自覚できてるか、改めて省みる。(8/19)



●人は、神に開かれた窓でなければ、空白である──サン・テグジュペリ

明日は広島、9日は長崎の原爆忌。神にも人にも誠実であるか、この時期こそ自分に問いかける。(8/5)



●理解されようとしなくてもよい。
その無理解は幸いな無理解なのだ。あなたの犠牲を隠れたままにしておくことができるから。

●腹の中で怒りが煮えたぎっているときは、いつでも沈黙しなさい。たとえ、もっともな理由があって怒っているときでも。
そのようなときには、いくた口を慎んでも、必ず言いすぎるからである。

●沈黙に後悔はないが、お喋りは往々にして後悔を招く。

●あなたは、内緒にしてくれと懇願する。しかしその願いは、自分で内緒にできなかった証拠ではないか。

ホセマリア・エスクリバー著『道』から。暑い夏、身体の不快に心が負けないようにしたい。(7/29)



●あなたの祈りが言葉だけにとどまってはならない。実際的な行いと結果に現れる祈りでなくてはならない。

●一日に一度で良いから、臨終の時を考えなさい。死という光に照らして日々の出来事を見るためである。
そうすれば、すばらしい心の平安を経験できると保証する。

ホセマリア・エスクリバー著『鍛』から。ちっともできないこと、それが祈りと絶え間ない回心。(7/22)



●巧詐不如掻誠拙
上手で器用であることは、つたなくとも誠実であることには勝てない。
不器用でも、誠実であること、誠を貫くことが、ずっとずっと尊い。
上っつらの小器用ではなく、誠を尊ぶことこそが大切。

楊名時著『生きる心 動く心』から。明後日の研修会の今回のテーマにしようと思う。

●大切なのはどれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。

マザーテレサのこの言葉にも通じると思う。(7/1)



●悲しい夜は歌ってあげよう
うまく歌えますように
あなたの大事ないのちが
かわいてしまわないように

そうさ それが
ぼくにできるたったひとつのこと
生まれて死ぬまでくりかえすのが
悲しみだけじゃないように

「セレナーデ」(詞:長谷川集平)。
安物のバナナにあたって半日寝込んでしまった今日一日、この歌が頭から離れない。なーんでか?(堺すすむ風に……)(6/17)




●手に乗りて息吹きかえす蛍かな──むしか

じめじめした梅雨、今年もたま蛍をたくさん観た。音もなく飛び交う蛍は私たちに和やかな気を贈ってくれる。このきれいな川を守らなくてはならない、と思った。(6/10)



●まことの希望は、克服された失望である──ジョリー

●不成功にうちかった人でなければ、人間とはならない──ジャン・モリ

●いちばん悪いのは、落ちることではなく、そのまま地面に残ることである──ミシェル・クォスト

F・バルバロ遍『三分の黙想』から。ニュースを見るたびに、この国の小さい人々のことに心を痛める今日この頃。(6/3)



●氣は聲(こえ)無くして人を呼ぶ。

5月22日、楊名時太極拳九州ブロック長崎大会に全国から250名が集まって充実した大会を終えることが出来た。その時、楊先生の愛弟子Sさんが教えてくださった先生のことば。ほんとうにこの言葉を思う素晴らしい出会いがあった。参加してくださったすべての方々に感謝です。(5/27)



●グランドには文字がある。本を読むようにグランドを読んで学ぶのだ。

ドミニカのエピ・ゲレーロのことば。彼はこれまでに沢山の大リーガーを育ててきた。野球のことばを知ること。人間はことばでできている、と改めて思った。(5/6)



●悪天候の中、山頂を目指し私の山行はまだまだ続きますが、絶景を希望に登山口へと踏み出しました。

福島で、朝日新聞折り込みミニコミ新聞を20年間編集している「ををうちやすを」さんから今日再出発号が届いた、福島の銘酒「大七」とともに。その挨拶文から。彼から元気をもらった。心からの拍手を贈りたい。福島のお酒は本当に美味しいです。みなさんぜひ飲んでください。明日は復活徹夜祭。(4/22)



●聖母マリアの謙遜はなんとすぐれたものであろう。エルサレム入場のしゅろの枝の大歓迎のとき、聖母の御姿はみえない。カナの最初の奇跡のときは別として、主が偉大な奇跡をなさるときにも、おいでにならない。
けれども、ゴルゴタの軽蔑から身を逃れようとはされなかった。「イエズスの十字架のかたわらに、御母は立っておられた。」

ホセマリア・エスクリバー神父『道』から。来週は復活祭に向けた聖なる一週間です。キリストの御受難を思う。マリアさまの強さを思う。(4/15)



●文化はつねに先人への敬意を忘れない人によって守られます。

旅チャンネル「中国 誘遊紀行」の硯職人のことばから。だからこそ、説得力がある。その通りだと思う。(4/8)



●「生命生命」と二言めには、口にしながら、だしをひくのが億劫とは。何事を為すにも、成しとげるためには、いくらか自分を励まさなければなりません。仕事は手につけば、面倒であったものが面倒でなくなるときがくるものです。
あるいは、人より一生面倒を感じるかもしれません。それはそれでよいと思います。そういう自分を受け入れて、成すべきことをいたしましょう。それは楽々なさるより、もっと尊いことだと思います。

●家事は、家庭を持つものにとっても、持たぬものにとっても、生活の基盤であり、その管理は、生命を管理することにひとしいのであります。家事の台所仕事は、一日も休むことのできぬ、必須仕事です。ですから、何よりも台所仕事は、計画的、組織的に行わねばなりません。計画性をともなわぬ台所仕事は、際限がないという重荷となります。何事によらず荷はかるく、負うべきものは負う、しっかり負うのが、人生です。

辰巳芳子著『辰巳芳子がつたえる母の味 手しおにかけた私の料理』から。ひとこと、ひとことに重みがある。地に足のついたとは、こんな人の事を言うのだなと、思う。辰巳さんと出会って家事が楽しくなった。感謝しています。(4/1)



●小さな悪だからといって、けっして行ってはならぬ。小さな善だからといって、けっして怠ってはならぬ。賢と徳、この二字が人を動かすのである。

三国志の劉備のことばから。

●事業を発展させる基礎になるのは、その人の徳である。基礎がぐらぐらしているのに、建造物が堅固であったためしはない。

『菜根譚』から。うーん、その通りだなあと思う、今日この頃。(3/25)



●出来事や人の意見について話せば、必ず人々の名前が出る。もちろん、他人を裁くためではない。「裁くのは主である。」
そういうとき、心のゆがんだ人が、悪意からか分別がないからか、あなたの言葉を中傷だと決めつけても心配するには及ばない。

ホセマリア・エスクリバー著『鍛(きたえる)』から。今の私の心を励ましてくれる言葉だ。元気が出て来た。(3/18)



●一期一会──山上宗二

「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ」という茶会の心得。
 今日、三陸沖地震があった。日本全国で多大な被害を受けている。いつも人に対して真心をもって接しているかを考えさせられる。常に心がけたい言葉だ。(3/11)




●この貴重な一冊は、私たちの日本が……その国土のなかに、どんな豊かな、幅広くそして深い「味の素材」を生かしたくわえていたか。そして、心と実力のある日本の母たちは、いかにその豊かな国土の素材を、丹誠込めて育み、手しおにかけて夫や子供たちに食べさせる独自の文化を所有できていたか。これはその証言なのである。

●……日本の自然が土と水と大気のなかに生みだしてくれる純正の食材を、四季の季節感がうつりゆく動きの、その道しるべのようにとりだしてみせ、同時に、その素材が持つ真の美味を正しくひきだすには、どんな知恵と工夫と手間が必要か、を日常生活の息づかいと感覚の場で語った料理基本書である。

先週と同じ、辰巳浜子著『料理歳時記』の荻昌弘氏による解説から。
この本と出会ってから世界がまた違って見えてきた。春の野原を歩くのが楽しい。昨日は野蒜をみつけた。多分今まではそれと気づきもせず、踏みつけて通っていたんだろうなあ……。(2/25)




●腐った鯛より、活きた鰯です。

辰巳浜子著『料理歳時記』(中公文庫)から。衝撃の料理入門書だ。こんなに本質的な人がいたなんて、まだまだ知らないことだらけだなと思った。(2/18)



●「あいおおく」
あ──あせらない
い──いばらない
お──おこらない
お──おこたらない
く──くらさない

楊名時先生のことば。楊名時太極拳のスローガンともいえるなじみのことばでもある。この精神を忘れずに日々暮らしたい。
今日はランタンフェスティバル孔子廟会場で太極拳を演舞してきました。小雪混じりの中、沢山のお客さんが一緒に動いてくださって、いい日になりました。謝謝! (2/11)




●愛人の欠点を美徳と思わないほどの者は、愛しているとは言えない。

●性急にやらなければならぬこともたくさんありますが、
節度を保ち、不自由を忍ばねば、手に入れることのできぬものもあります。
徳はそれだと申します。
徳とは縁続きの愛も同様です。

●結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上でもある。それは乱暴者を穏やかにする。また、高い教養のあるものにとっては、その温情を証明する最上の機会である。結婚生活は解消しえないものでなければならない。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、それに対しては、個々の不幸なんか、すべてものの数ではない。

『ゲーテ格言集』から三つ。最近、身近に結婚話が多い。若いカップルに贈りたい、また私も考え直したい言葉です。明日は26聖人の祝日。(2/4)



●自分の家庭の外で人々にほほえむことは、たやすいことです。
あまりよく知らない人をお世話することは、実はとても易しいことなのです。
あなたの家の中で毎日会っている家族を、思いやりをもって、優しく、ほほえみを忘れずに、愛し続けることはとても難しいことです。
特に疲れていたり、イライラしていたり、機嫌が悪かったりする時はなおさらです。
だれにでもそんな時があります。
そんな時こそ、苦しむ姿のうちに救い主が私たちのところに来ておられるのです。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。一番身近な人を愛すること、微笑みをもって接することができることができますように……。(1/28)



●私たちは、人からの屈辱を明るく受け止めることを通して、謙虚さを学ぶのです。学ぶチャンスを逃さないようにしましょう。うぬぼれたり、ぶっきらぼうだったり、気分屋だったり、自己中心だったり、こんな自分でいることは、いともたやすいことです。けれども私たちは、もっとすばらしいことのために創られたのです。なぜ、心の美しさをだめにしてしまうようなことに自分を陥れるのでしょうか?

『マザー・テレサ 日々のことば』から。反省反省。(1/21)



●平和を願う祈り

神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいのあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光を
もたらすことができますように、
助け、導いてください。

神よ、わたしに
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを
望ませてください。

自分を捨てて初めて
自分を見出し
赦してこそゆるされ
死ぬことによってのみ
永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。

アッシジの聖フランシスコのこの祈りは、いつもわたしに反省を促す。
お正月に、この祈りをもう一度心に刻みたい、と思う。(1/14)




●春風吹又生
「一陽来復」と共に、冬が去って春が来ること、また、悪いことや苦しいことが、ようやく好運に向かうことです。枯れた木や草も春がやってくると、芽が出て、また伸びる。春風に吹かれ、陽光を浴びて成長していくのです。

楊名時先生のことばから。
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくおつきあいください。
今日は七草粥。クリスマスと正月の飾りを仕舞った。
先日、初詣に行ったら、神社の境内の梅の木に「もうつぼみが膨らんでいます。おみくじを結ばないでください」の旨の短冊が風に揺られていた。春はもう、着々と支度を始めているのだなあと思った。(1/7)




●「ここに百匹の羊をもっている人がいて、そのうちの1匹が群れをはなれ去ったら、99匹を山においていなくなったのを探しにいかないだろうか?」キリストさまは、人間を数えて合計することには興味がないようである。ひとりひとりがたいせつであって、ものを数えるみたいに人を量で考えることは、ゆるしがたいことではないだろうか。

今週も沢田和夫著『聖書を生きる マタイによる信仰入門』から。ほんとうにひとりひとりを大切できているだろうか。(12/17)



●「真珠を豚に投げてやるな」(7・6)とは、どういうことでしょうか。わかりにくい。自分を犬とか豚にたとえればよい。とうとい教えを、おろかにも足でふみにじるようであってはならないと自らをいましめる。

●祈りについて(マタイ7・7)。「苦しいときの神頼み」でもいいから、願い、探せ、たたけ、願って受けよ。きょうもこの人、あの人の無事を願い、心とからだの健康を願って祈る。なによりも、きょう、み心にそうことができますように。門とは神さま、たたいて開かれるのです。おん父は、よいものをくださるにきまっている(7・11)。これこそあらゆる祈りを支える信仰です。

沢田和夫著『聖書を生きる マタイによる信仰入門』(女子パウロ会)から。聖書を人を裁く材料として読んでいないか。いろいろ反省させられてばかり。(12/10)



●福音は食べものです。神のことばを食べものとして自分の血管の中に入れておくのです。そうすれば、とっさの場合にとっさの福音的行動ができるでしょう。そうなるほかないと思います。自分の心臓の鼓動とともに神のみことばが自分の血管の中をめぐっているような人でなければならないと思います。それには、キリスト様のみことばを食べて生きることです。そして、肉になり、血になったものが血管の中を走りめぐるのでしょう。そういう人種をつくる。それが神の国造りの始まりであり、目標です。

沢田和夫著『キリストの建設』(中央出版社)より。身体の中の血が沸き立つような感動を覚える。そうなりたい。ザビエルの祝日に。(12/3)



●私が出会うすべての人は、なにかの点で私よりすぐれている。だから、私はその人から、なにかを学ぶ──エマーソン

●悪を指摘する時間があるなら、一つの善を行うがよい──ティボン

●まことの希望は、克服された失望である──ジョリー

●不成功にうちかった人でなければ、人間とはならない──ジャン・モリ

●自分をにくむということには、まだかなりのごうまんである──ベルナノス

●だれも悪い星のもとに生まれたのではない。ただ、空をよく見ない人があるだけだ──ダライラマ

またまたバルバロ神父『三分の黙想』から。いろいろと考えさせられる秋である。(11/26)



●友のいるところから苦もなくすぐにも去って、ほかのことがらを楽しむ人の友に対する愛は無であるか無に近いというほかはない。

「トマス・アクィナス『神学大全』入門」沢田和夫著から。(11/19)

●人間の生活の中には一貫性を欠いてはならない。



●短所があっても自分なら愛し貫く。他人に対しても、その短所を越えて愛さねばならない。E・ド・マルボ

私たちは、自分に対して、なんと寛容なことか。自分には多くの短所がある。しかし、それに目をとめないか、あるいは長所であるかのように思い込む。たとえば、乱暴な人ならそれを率直と思い、向こう見ずな人ならそれを熱意があるといい、口の悪い人ならそれを真理への愛だという。
また、粗暴な言行を、はっきりした決断力といい、怠惰を反省心だという。
それにしても、他人に同じ「長所」があれば、あなたはそれを、必要以上にきびしく判断するではないか。
短所があっても自分を愛する。しかし、同じ条件のもとで他人を愛することは、なんとむずかいしことだろう。

続けて、バルバロ神父の『三分の黙想』から。己に厳しく、他人には寛容にできているか。(11/12)



●現代人は、神のセンスを失ったから、ひいては美のセンスを失った。──マーラー

現代の、詩や、絵や、彫刻や、映画や、芝居には、あきれるほど”非芸術”が多い。芸術家といわれる人たちの中には、魂をもたない人が多いのか、材料に魂を吹きこむ仕事がなされていない。
こういう人たちは、神との関係を絶ってしまったから、もう、真理も、善も、美も、つかめなくなっている。
無神論者のサルトルは、大自然を眺めてもただ嘔吐を感じるだけだと語っている……。
人が、自分の中で美の感覚を養うと、その程度に応じて、神を理解するにふさわしい人間になってくる。
自分の魂が、唯一の芸術家である神に一致すれば、その程度に応じて、大自然の美を見ても、人間のつくったすぐれた物を見ても、心は深い感動に打たれるようになる。

バルバロ神父の『三分の黙想』から。真・善・美について今一度真剣に考える必要を感じる今日この頃。(10/29)



●いつくしみ深い父よ、キリストの平和のうちに亡くなった人々、あなただけがその信仰を知っておられるすべての死者を心に留めてください。あなたの子であるわたしたちすべてが、神の母乙女マリア、使徒と聖人とともに、あなたの国で、永遠の命にあずかることができますように。その国で、罪と死から永遠に解放された宇宙万物とともに、主キリストによってあなたの栄光をたたえることができますように。

祈祷書から「諸死者のための祈り」。今日は義父の一周忌。(10/22)



●茶道が「茶を点てて飲む和の芸術」であり、華道が「花を生ける和の芸術」なら、楊名時太極拳は「からだを動かす和の芸術」と言えるのではないでしょうか。

「太極の心」楊慧+河野太通著の太通老師のことば。楊名時先生が何を作られたかがこうやって少しずつ理解されていくのだろう、と思う。(10/15)



●子供というのは白い画用紙だと思う。赤く塗るか、黄色く塗るか、黒く塗るか。キッカケは大人が作るんです──王貞治

王記念館に行ってきた。王さんほど言葉と生きざまがぴったりと合っている人はなかなかいないんじゃないか、と思う。ホークス7年ぶりリーグ優勝おめでとう! (10/8)



●大臣の百の微笑を受けるより、ひとりの庶民の涙をふいてやるほうが、はるかにまさる──中国のことわざ

つい、ミーハーしてしまうので反省しかり。身近な人の悲しみや苦しみに心砕ける人になりたい。(9/24)



●たいせつなのは
どれだけ
たくさんのことを
したかではなく、
どれだけ
心をこめたかです。

マザー・テレサのことば。このことばの大切さを改めて思う。どれだけ心を込められたか。どれだけ愛を込められたか。真理はシンプルだ。(9/17)



●温故知新──故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。

「論語」から。歴史を学ぶことの重要性を思う。先人の積み上げてきた歴史の上に今の自分が存在しているということを心に留めて、忘れないようにしたい。(9/10)



●看病のかいもないく、まもなく死にそうな一人の子供を抱き上げ、声をかけつづけるマザー・テレサに周りの大人が「そんなに、長い間抱いていると疲れますから、寝かしてください」と言うと、マザーはこう答えました。
「食事や薬がだめでも、わたしの体温をこの子に伝えたいのです」

「聖書と典礼──マザー・テレサの体温:板倉恵二」より抜粋校正。人目も気にすることなく、目の前の一人を愛せるか、抱きしめられるか。
きのうはマザー・テレサの生誕百年。(8/27)




●式終えてゲリラ豪雨の祝いけり──むしか

一昨年の夏、従妹の結婚式の時に浮かんだ句。明日は愛弟子の結婚式で熊本まで行ってきます。いい日になりますように。(8/20)



●信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。(新約聖書ヘブライ人への手紙)

先日のミサ朗読のこのヶ所で思考がストップしてしまった。もう少しじっくり考えようと思う。(8/13)



●こしょうの種を、その小ささによって評価してはならない。
口に入れて味わってみなさい。そうしたら、どんなにピリッとくるかわかるだろう。 アラブのことば

”あなたは、まだ、私のように経験を積んでいない。だから、あなたの意見には値打ちがない”。これは、反論されたことを認めようとしないおとなの逃げ道である。
ああ、しかし、もしいつか、いちばん若い人、経験のない人、免状を持たない仲間、自分の妻、あるいは自分の兄弟に、口を開かせたら、どうであろうか……。
それはたぶん、あなたの生活に、ヒリヒリするものを与えるかもしれない。試してごらんなさい。

F・バルバロ編『三分の黙想』から。人の意見に柔らかな心で耳をかたむけることができているか。こんな事柄も平和な社会へとつながる一つの道だと思う。
猛暑の広島原爆忌に。(8/6)




●雨過天晴
 雨が過ぎれば、つまり、雨が止んだあとは、天は必ず晴れます。人間も病気や心配事やこだわりがあったりする時は、丁度、自然が雨や風や嵐の時のように、順調でないときです。しかし、心が安らぎ、気持ちが穏やかになれば、悩みも心配も消えて、体の調子も回復し、意欲も盛んになります。

楊名時著『太極拳の道』から。止まない雨は無い。明けない夜も無い。みなさん、夏バテしてませんか。不調の時こそ、それを信じて乗り切りたいものです。(7/30)



●梅干しは梅、塩、しそのたった三つの素材で作る長期保存食です。そのひとつひとつの素材が、自然の恵みであり、太陽の光で干しあげるという作り方にも、その恵みを最大限に生かそうという先人の知恵があふれています──中略──私が梅干しファンである最大の理由は、その「心の効用」にあります。「梅干しのおにぎり」に感じる安心感、白い炊きたてのご飯にのせて、その年の味を確かめるとき、幸せな感動があるのです。それは、生まれ育った土地や、母のぬくもりに共通するものです──中略──司馬遼太郎氏の著書に、中国を旅した日本人の一行が、路上のムシロに干し広げられた「梅干し」を見つけて、歩みが止まってしまうというエピソードが紹介されています(『中国・江南のみち』)。司馬氏の眼には「梅干しというものが、日本人に対して一種の呪術的な力を放射するものであるのかとさえ思えてくる」様子に映ったようです。

都築佐美子著『梅干しを極める』(NHK出版 生活人新書)から。只今、土用干しの真っ最中、日光浴中の梅の香りに包まれて、これを書いています。今年の出来も上々です。気もそぞろ、他のことが考えられない。
梅干しを作ってみようと決心させてくれたこの本を毎年読み返しては感動しています。日本の文化、梅干しバンザイ! (7/23)




●平素、尊敬に値する人は尊敬するでしょうが、そうではなくて、ごく平凡にだれをもお互い同士尊敬するという精神が欠けているかも知れません。そして平凡にではなく、非凡に尊敬するということを生活に持ち込むのが、ベトレヘムに生まれたキリストを信じる者の使命にちがいない。尊敬される人というのではなく、人を尊敬する人になりたい。自分から始めて、そのような尊敬の人になりたい。尊敬する人になっていくことによって、近いところから遠いところまで、「平和」が広がっていく。せめて尊敬から始めたらと、ルカ2章を読んでの一つの祈りです。

澤田和男著『キリストの建設』から。この箇所を読んでから、町行く人、ひとりひとりが違って見えてくる。ひとりひとりの人間に対する尊敬の心を持ちうるか、ひとりひとりと出会えるか。久々に、心の奥までずしんと響いてくる美しくも深い言葉で綴られた本と出会った。(7/16)



●遠くにいる人たちを愛することは簡単なことです。
インドの飢えた人たちのことを考えるのも、とても簡単なことです。
あなたはまず自分の家庭に、次にお隣に、そしてあなたの住んでいるところ、それからあなたの街に目を向けなくてはなりません。
それから、初めて外に向かうのです。

『マザー・テレサ 日々のことば』から。家庭でいつも笑顔でいられるか。日々喜びをもって生活できているか。(7/9)



●一人の人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません──ゲーテ

湿気に心がやられてしまいそうだ。負けない心でいたいよ。(7/2)



●百里を行く者は、九十里を半ばとす

『戦国策』から。最後まで気を引き締めることが大切。目標はいつも高く持ちたいものだ。(6/25)



●百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり──孫子

武術の事を考える。人を生かす武とは何かを。(6/18)



●小さなことをさげすむなら、道を誤っている。

●忘れてはならない。地上に存在する大きなものはすべて、生まれた時は小さかったのだ。大きな形で生まれるものは怪物である。そしてすぐ死んでしまう。

●「何か大きなことをする機会があらわれたら、その時こそ、……」とあなたは言う。
「その時こそ」って? 日々の準備やトレーニングもせずに、いきなり超自然的なオリンピックに出場して、簡単に勝てるなどと本気で信じ、また、私にも信じさせるつもりなのか。

●人間同士の愛が「ささいなこと」のなかにあるのを見たか。神への愛も「ささいなこと」のなかにある。

今週もホセマリア・エスクリバー神父『道』から。日常のひとつひとつの小さな仕事に愛をこめられるようになりたい。(6/11)



●他人と衝突する……、そういうことはどうしても起こるだろう。あなたはだれからも喜ばれる金貨ではないのだから。
 さらに、隣人との交際にまさつがなければ、どのようにして自分のとげとげしさやでこぼこ、つまり不完全や欠点を取り除いて、均衡がとれて円熟した人、雄々しく優しい愛徳を完全に備えた人になれるというのか。
 あなたと隣人の性格が綿菓子のように甘くてふんわりしたものであったなら、あなたは決して聖人になることはできないだろう。

ホセマリア・エスクリバー著『道』から。人との衝突を恐れずに、勇気をもって最善をつくせるようになりたい。(6/4)



●なのにあなたは京都へゆくの(昭和46年)
 作詞/脇田なおみ  作曲/藤田哲朗   唄/チェリッシュ

私の髪に 口づけをして
「かわいいやつ」と 私に言った
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも

静かによりそい やさしく見つめ
「愛する人」と 私を呼んだ
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも

燃える腕で だきしめて
「永遠の愛」を 私に誓った
なのにあなたは 京都へ行くの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも
この私の 愛よりも


今私の中でこの歌がグルグル回っている。去っていく人がいる時、必ず口をついて出る歌だ。太極拳の仲間がもうすぐ岩手に行ってしまう。寂しい。なのにあたたは岩手にゆくの……。(5/28)



●波乗りのコツは波から逃げないこと。波と向きあって仲よくすること。

最近ふっと思ったことです。カッパの私の実体験から得たことが、生活の中で度々向かってくる波との向きあい方を示唆してくれます。(5/21)



●僕は野球で問題に直面したとき、本質から「逃げるな」ということをいつも考えています。自分の天命である野球に行き詰まったのならば、違う息抜きの方法で脱出を探すのではなく、とことん野球と向き合って、本質とぶつかってもがき苦しんでようやく一段上に上がれるのだと考えています。そうしたことも本から学びました。
 本を読むことで、小久保裕紀という一人の人間が形成されました。

「野球小僧」2010年6月号──小久保裕紀(ソフトバンク)の読書遍歴──インタビューから。彼のすばらしさの背景はここにあったんだなあ。人間は言葉でできているということを改めて思う記事でした。(5/14) 



●作り手が自信を持ったときは、彼がどんなに謙虚であろうと努力しても、傍から見れば、どこか傲慢に見えたりするもんなんです──渥美清

あまりにも作品を中傷される山田洋次監督を慰めようとして出た言葉。森英介著『風天──渥美清のうた』から。俳人としての側面から渥美清をまとめた一冊。短編映画のような俳句が並んでいる。その中から代表作を一つ。(5/7)

●お遍路が一列に行く虹の中──風天



●沈黙には後悔はないが、お喋りは往々にして後悔を招く。

●腹の中で怒りが煮えたぎっている時は、いつでも沈黙しなさい。たとえ、もっともな理由があって怒っているときでも。
 そのようなときには、いくら口を慎んでも、必ず言いすぎるからである。

ホセマリア・エスクリバー著『道』から。心穏やかにいきたいものだ。(4/30)



●たとい私が天使のことばを話しても、愛がなければ鳴る青銅と響きわたるどらに等しい。たとい私が予言の賜をもち、全奥義と全知識に通じ、山を動かすほどの満ちた信仰をもっていても、愛がなければ無に等しい。たとい私がすべての財を施し、この体を焼かれるために与えても、愛がなければ益するところはない。愛は寛容で、愛は慈悲に富む。愛はねたまず、誇らず、高ぶらぬ。非礼をせず、自分の利を求めず、憤らず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理を喜び、すべてをゆるし、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを耐え忍ぶ。愛はいつまでも絶えることはない。

新約聖書コリント13章から。行いを愛を以て行うことができているだろうか。自分の力ではできないけれど、その力を注いでくださるように祈ろう。(4/23)



●いつくしみ深い父よ、キリストの平和のうちに亡くなった人々、あなただけがその信仰を知っておられるすべての死者を心に留めてください。あなたの子であるわたしたちすべてが、神の母乙女マリア、使徒と聖人とともに、あなたの国で、永遠の生命にあずかることができますように。その国で、罪と死から永遠に開放された宇宙万物とともに、主キリストによってあなたの栄光をたたえることができますように。アーメン。

祈祷書「諸死者のための祈り」。今日は高田渡さんの命日。天国で再会できますように……。(4/16)



●別離はひとつの死である。

祈祷書「十字架の道の祈り」から。別離の季節、いつもこの言葉を思い出す。一期一会、その日その日の出会いを大切にしたいと思う。
今日は聖金曜日、キリストが十字架に付けられる場面を再現するミサに行ってきました。聖書朗読で私たち信徒全員が群衆の役で「イエスを十字架につけろ」と叫びます。私たちの罪がイエスを十字架につけたということを、こうやって毎年思い出させてもらいます。イエスを遠ざけないように、殺さないように。いつも心をイエス=愛で満たしていられるように。そして明日の夜は復活祭! (4/2)




●さまざまのこと思ひ出す桜かな──芭蕉 

長崎は桜満開、風強し。天気上々、花冷え模様。
明日から復活祭に向けての聖週間の始まりです。復活祭の当日にライブをやった滋賀県のあの町の風の強さを思い出す。
明日は和歌山でひさびさのシューヘー・ライブです。お近くの方はぜひ体験しに来てください。お待ちしています。(3/26)




●どんなことでも、見るもの、聞くもの、朝夕の自然の美しさ、あらゆるものは分かちあうことによってより壮大となる──マクサンス・ヴァン・デル・メルシュ

よろこびを自分だけで楽しむ人はそれを人に分かち与えないということによって、どれだけ損をするかしれない……。”地上のさまざまなよろこびは、分かちあうためにある”、と同じ著者は言っている……。  

バルバロ編『三分の黙想』から。自分の中に閉ざさないように。いつでも人とともによろこびを見出すことができるよに。(3/19)



●たいせつなのは、寿命の長さよりも、若さを保つことだ──リシュ

近所の教会のおじいさん神父が「ある人は若くても心はおじいさんでーす。ある人はおじいさんでも心は若いでーす」と話してくださったことを思い出す。あの神父は今頃お元気なのでしょうか……。なつかしい。心の若さを保てるようにしなくちゃ。(3/12)



●あなたの国にある真当な、公的あるいは私的な団体に、自由に、しかも自分の好みや素質に合わせて積極的かつ効果的に、またキリスト教精神に満ちた仕方で参加しなさい。そのような組織も人間の現世的な善と永遠の善に関係があるのだから。

●第一級の仕事である家事を含めて専門職は、人間の尊厳の証しである。

●キリスト者が仕事に対してもつ責任は、時間を費やして働くだけではなく、技術的にも専門的にも立派にやり遂げること、特に神への愛を込めて仕事にあたる態度に現れなければならない。

ホセマリア・エスクリバー著『錬(きたえる)』から。喜びをもって仕事しているか。反省したい。(3/5)



●沼のがまは、大海のことを知らない。

中国のことわざ。なんでも自分に敷延して考えるのは高慢だ、と思う。(2/26)



●身体はつねに「自由」でなければならないが、「怠惰」に流れてはならない。意識と動きの統一により肉体の「教養」を高めること、肉体が「輝き」を得てその「教養」を深め、心と体のバランスのとれた人間をつくること──これは、学校教育のみならず、生涯教育の場でも為政者がつねに目ざさねばならぬいちばんたいせつなことではなかろうか──渡辺礼輔

心の大切さを謳った楊名時著『太極拳のゆとり』序文から。この本が出版されてからもう30年、何も改善されていないように思ってしまう。(2/12)



●「友のために命をかけることより大きな愛はない」(ヨハネ福音書15-13)
 26聖人は愛の証し人である。
 26聖人は福音の歌い手である。
 26聖人は永遠性の憧れをもって旅する巡礼者である。
 26聖人は私達の兄弟、すなわち私達のような弱い人間であったがゆえに、私達の先導者になる。

結城了悟著『長崎への道 日本26聖人』から。今日は26聖人の祝日。いい天気。(2/5)

●日本26聖殉教者よ、あなたがたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、キリストのためにいのちをささげました。わたしたちがあなたがたにならい、勇気をもって信仰の証しをたてることができるように導いてください。わたしたちがどんな試みにあっても、終わりまで耐え忍ぶことができるように力づけてください。わたしたちがキリストの栄えを求め、救いのために働くことができるように取り次いでください──祈祷書から



●偉大な行為をする人は、すべての人から気にいられるはずがない。ソロン

 すべての人から気に入られたい、だれにでも満足されたいということを理想とするのはまちがいである。神さえもそれはできないのである。

『バルバロ神父 三分の黙想』から。城島健司のお父さんも「誰からも好かれようと思うな」というのが口癖だったという。八方美人にならないように、人に迎合しないように。人目を気にしない大きな人になりたい。(1/29)



●希望とは、地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

魯迅「故郷」より。やっと魯迅に辿り着いた。短編一つ一つがまるで一本の映画のように濃密で深い。出会えてよかった。(1/22)



●ミネアポリスで、脳の障害で絶え間ない発作に苦しんでいる車椅子の女性が私に尋ねました。自分のような人たちは、一体どうしたら他人のお役に立てるのでしょうか、と。私は彼女にこう言いました。「あなた方がいちばんたくさんのことをしてくださるのですよ。あなた方は、私たちのだれよりも多くのことをすることができるのです。というのは、あなた方の苦しみは、十字架上のイエス様の苦しみのひとつなのです。そしてその苦しみは、私たち皆を強めてくれるのですから」
 こうした絶えることのない分かち合い、共に祈り、共に苦しみ、共に働くことを通して、この世界にすばらしい支援の輪が育まれているのです。

『マザー・テレサ 日々のことば』今日の箇所から。こんな考え方! 何と素晴らしいことだろう。すべての人に存在価値がある、ということを改めて思う。自分の仕事をしなければ。(1/15)



●人生で大切な問題は4つしかない。
神聖とは何か。魂とは何か。命の意味は。死の意味は。
答えはすべて同じ。
”愛”だ。

ジェレミー・レヴェン監督「ドンファン」ジョニー・デップ扮するドンファンのセリフから。なかなか奥の深い作品だったなあ。今年こそ「愛こそすべて!」でいきたいものです。(1/8)



●あなたの一生が無益であってはならない。役に立つ何かを残しなさい。信仰と愛の光ですべてを照らすのだ。

ホセマリア・エスクリバー著『道』の最初の言葉から。
あけましておめでとうございます。今年もこの場が実りのあるものとなりますように。(1/1)




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