「はなす」
竹内敏晴●文 長谷川集平●文と絵
2015年復刊('96年 温羅書房) 復刊ドットコム A4変形


「きょうは いいひだ。よしくんと ともだちになれたし それに、たんぽぽとおはなしできた」──公園で「よしくん」と待ち合わせをした「わたし」は、幼稚園からの帰り道、きれいなたんぽぽがたくさん咲いているのを見つけます。よしくんにそのことを話してあげたいと、公園へ駆けて行くと……。この絵本の中には、「言う」「話す」「声を上げる」「つぶやく」「喋る」「わめく」「こたえる」など、たくさんの意思伝達のためのことばが出てきます。女の子は、どんなふうに「たんぽぽのこと」を伝えたでしょうか。心の機微を描いたやさしい物語。


1996年『たんぽぽのこと』
2度の絶版を乗り越えて
●1983年「ブリタニカ絵本館ピコモス」シリーズ(日本ブリタニカ)の1冊として出版された『はなす』。セットで訪問販売された中の1冊だったため、当時はほとんど人目にふれませんでした。

●1996年、岡山の地方出版社・温羅書房より改訂改題版『たんぽぽのこと』として復刊するも、出版社倒産とともに姿を消しました。

●2015年、「ブリタニカ絵本館ピコモス」シリーズのうち10冊が復刊ドットコムから再編集・復刊されることになり、『はなす』も再び読者のもとへ帰ってきました。
……復刊ドットコムの詳細ページ

1983年当時の表紙


『はなす』韓国で出版

 2016年7月25日奥付で韓国の出版社・ブックバンクから『はなす』(復刊ドットコム)が出版されました。
出版後すぐに本屋さんで平積みが目撃されたり、ブログに書いてくださった方がいるようです。

日本語の「話す」を考察するところから生まれたこの物語を韓国語で読んでもらえる。描いた時には予想もしなかった広まりが大変うれしいです。──集平



はなすこと 長谷川集平
(『たんぽぽのこと』はさみこみ「温羅だより」より)

 今回『たんぽぽのこと』と改題改訂して出すのは、'83年に日本ブリタニカからセット販売された「ブリタニカ絵本館ピコモス」の一冊『はなす』です。谷川俊太郎さんと小松左京さんの監修で、子どもにさまざまな行為を示すことばのひとつひとつを絵本で教えようというセットであったらしい。らしい……というのは、ほかを未見なので。たしかカセットテープも付属して、このころの谷川さんの、絵本を百科全書のようにコンセプト化する考え方が反映されていたのだと思います。一冊ずつ学者、あるいは作家と画家の組合せを変えて、人間の基本的行為を子どもに教えていくものだった。
 ご自身の言語獲得の経験をもとに、障害を持つ子どもにユニークな演劇指導を通してことばをつかませようとしている竹内敏晴さんと「はなす」ことについて絵本を作る、という課題が与えられました。初対面の竹内さんと、それこそ話すことから、この仕事は始まったのです。
 話す、ということは、人間が人間として生きるための、もっとも大事な行為です。イルカなどの動物が話すことも知られていますが、とにかくこの言語を使ったコミュニケーションこそ、良くも悪くも人間の歴史を作ってきたのです。
 ソシュールは言葉の意味するものよりも、意味されるものの方がはるかに広大であることを指摘したわけですけど、そういう言葉にできなかったものをも、ぼくは絵本でなら描けると思ったのでした。
 竹内さんはアイヌ伝説を話してくださいました。言葉にしてもらえなかった怨念が怪物化する物語で、この怪物はふとしたことから命名されて成仏します。美しい話でした。ぼくが「怪獣」にこだわっていることの論証を得たような気がして、ぼく自身の中の怪獣も、この時1回目の成仏を果たしました。
 結局、竹内さんと話したことの結晶のようなこの絵本が生まれました。大好きな作品なので、また書店には届かなかった絵本なので、復刊に嬉々としています。



声のないページ 竹内敏晴
(『たんぽぽのこと』はさみこみ「温羅だより」より)

 谷川俊太郎さんから「話す」というテーマで絵本をと言われて私はとまどった。だってエホンはミルものだろ、ハナスことをミルことにするなんてできないよ。
 絵が長谷川集平さんだと聞いたとたん私はヤルヤルと言ってしまったが、どうにも案がまとまらない。初めて逢った集平さんに恐る恐る差し出したが黙って天井を見上げられてしまった。自己紹介代りに拙著『ことばが劈かれるとき』を手渡して出直すことにした。
 ところが3日も経たないうちに連絡が来て、すてきな絵本ができていた。集平さんは無表情のまんま、あの本良かった。読んだら1日でできた、と。へーえ、と私。私の初めからのアイデアを言えば、まったく一言も発しないシンとした見開きがまん中にほしい、ということぐらいか。集平さん改めてありがとう。



「生きるとは」を伝える 長崎市の絵本作家 長谷川集平さんに聞く
(「長崎新聞」'96年9月14日より抜粋)

(前略)「よしくん」と初めて話をした日の帰り道。きれいなタンポポが咲いているのに気がついた「わたし」は、おもわず「きれい」とつぶやく…。「はなす」という行為は、伝達が目的とは限らない。
 逆に、言葉にしなくても伝えること、感じとることはできる…。まったく文字のない、絵だけの見開きのページがそのことを教えてくれる。
 心の動きに沿って変化する「わたし」や「よしくん」の表情や動作が、ごく普通の子どもの日常の物語に、豊かな叙情性を吹き込む。
 長谷川さんの絵本は、いつも人間が主人公。人と人との出会いやかかわり合いを通して、子どもたちに「生きるとは」をごまかさず、ありのままに伝える。
 「欲しがるものばかり与えていても、子どもは成長しない。おもしろい、ゆかいですませるのではなく、糧になるようなことをやっていきたい」
 受け手が欲しがるものしか作らない、それが今のメディアの仕掛け。それでは視聴者、読者は駄目になってしまう、と危ぐする。
 「表現者とメディアが、うけなくても、いいものはいい、という価値観を持つこと。読者の糧になるものを生み出せるかどうかが大事になってきている。しかし、商品である以上、現実にはそうとばかりも言っていられない。そこが表現者の悩みであり、難しいところ」





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