アルバム『three-legged/二人三脚』をめぐって

「シューヘー通信」創刊号・インタビューから

(問)アルバムの全体的なテーマはどういうものですか。

集平/前回のスタジオ録音では完成度を目指したところがあるけれど、今回はそれよりも、どれだけぼくらの音楽の生の部分が出るかというのをテーマにしたんだ。だから完成度でいえば低いかもわかんないね。

(問)1st『シューヘー』と同じく一発録音ですが、以前と比べて変わってきた点はありますか。

集平/1stのとき手探り状態だったレコーディングのノウハウが、ある程度わかってきたから、それがプラスになって出ればいいなと思ってやったんだけどね。

クン/1stと比べると音がだいぶ太くなってるよ。

(問)この絶妙の曲順には理由があるんですか。

集平/1stと2nd(『チェロギタ・ロック』)は頭で考えた曲順で、アルバムを通して物語の流れがあるんだけど、今回はもっと感覚的に並べたんだ。デモ作ったときに、バーッと思いつきで並べちゃって、案外それがいい流れだなと思ったんで。

クン/1枚目と2枚目が、大河ドラマみたいな感じだとすると、今度のは短編集で、どっから聴いてもいいですよという印象がある。

(問)前作よりも、曲の中の登場人物が恐くなったと思うんですけど。

集平/ある意味の開き直りが出てきたからね。

歌には演劇的な要素があって、自分じゃない人間を演じるわけだけど、お客さんの前でアブノーマルな世界を表現するのは、けっこう恐いことなんだ。それで躊躇していたのが、今はできる段階になってるんじゃないかな。どの立場から表現するかっていうことで、最初の頃のシューヘーは、わりとモラリスティックな印象があったと思うんだよね。善良な市民の側に立ってたと思うんだけど、今はもう普通の市民からこれぐらい離れてても大丈夫なんだ、と。

歌だけじゃなくて、ぼく自身の表現の覚悟のようなものが出てきてる。「オレは、はぐれたところにいて、そこから表現してるんだ」ということが、前は苦痛だったり疑問に思ったり、「どうしても自分の色を持てないんだろうか」って悩む、レオ・レオニの『じぶんだけのいろ』という絵本に出てくる若いカメレオンみたいな立場にあったけど、今はもう逆に「残念ながらね。でもぼくら一緒にいてみないか」っていう歳とったカメレオン側にいるんじゃないか、と。

クン/カート・コバーンが言ってたけど、はじめてパンクを聴いたときに「俺みたいなのがいる」と思って元気が出たって。小さい田舎町で、はぐれてたから。そういう人達の側の表現に一番近いんじゃないかな。特に今回の3rdは。このひと(集平)は、もともと普通の人たちがホッとするような表現をする作家ではないと思ってたけど、そのへんの居直りが出てきたんじゃないかと、わたしは思います。

一曲ずつ解説してください。

●「シャブ」
集平/これはスペシャル・サンクス時代('82年〜'83年)にやってた。メンバーの鈴木常之の曲。アレンジはディーヴォとか、あの辺のぼくらの好きだったパンクを意識してやった。もちろんシャブっていうのは覚醒剤のこと。昔はシャブやる人ってアブノーマルなんだったけど、今は普通の人が麻薬に手を出したりするぐらいだから、だんだん歌の意味に現実が追いついて来たという感じがするね。素人さんが危険なことに手出しちゃってる社会っていうのは、本当にどんづまりだよね。

●「ドライブ・イン」
集平/思いついてその日のうちにできた曲。

ライブをやっていると、いろんな人生の横を通り過ぎてく。出会いがあったり、すれ違いがあったり、そういうのがこの歌になったんだ。最初はラップっぽくしようかと思ってたんだけど、韻を踏んだりリズムに縛られたりするよりも、こういうトーキング・ブルースみたいなスタイルの方が物語がよく語れるね。

クン/長谷川集平ってリアリズムの作家だと思われてるけど、それは誤解で実はフィクション作家なんだよね。

●「注射器」
集平/これもスペシャル・サンクス時代から歌ってた曲で、最初は主人公は男だったけれど「俺の注射器」って歌うとセクシャルなイメージが強くなる。ようするに注射器がペニスの置き換えになるんだけど、じゃあ「あたいの注射器」になったときどうなるか。もうひとひねりあるわけ。これもアレンジが二転三転してレコーディングの現場で決まったんだけど、結果的にトム・ウェイツのぶっ壊れた音楽みたいになって面白かった。

クン/最近のトム・ウェイツね。

集平 これはレコーディングしてよかった曲なんだよ、やっぱり。レコーディングっていうとこに追いつめられないと、このアレンジは出てこなかった。 クン もうちょっとコミカルな感じだったのが、これだともう完ペキにキレてる。「なにこの人」みたいなさ。

集平/やっぱりトム・ウェイツの親戚みたいな感じだよね。

●「いつも」
集平/歌ってたのはスペシャル・サンクス以前の、ブルーグラスやってたころで、歌詞はだいぶ変わってきた。元歌にしているのはビル・モンローの「イン・ザ・パイン」っていう監獄の中をうたっているプリズナーソングなんだけどね。レッド・ベリーも同じ歌を歌ってたらしくて、ニルヴァーナのカート・コバーンがアンプラグドのときにその歌を歌ってて、意外な共通点があったんで、ぼくらもまた歌い出したんだけど。裏声で歌う部分はビル・モンローがモンロー・ブラザーズで1930年代か40年代に歌ってるアレンジをそのまま使ってる。レッド・ベリーを元にしてやっているニルヴァーナにはこの部分はない。今回1番きれいな曲なんじゃないかな。ビューティフル。

●次の「ナイナイ」は前回のライブのときは歌ってましたよね。

集平/作ってから半年くらいたつかな。これはジャズ的な要素を入れたいと思って作り始めた曲なのね。スパイ映画のテーマソングみたいなイメージがあったわけ。なんでそんなこと考えたのかわからないけど。

クン ブラシのドラムが入ってるようなね。「シューシャッカ、シューシャッカ……」ライブのとき口でやろうかな。

集平/ベンチャーズなんかにそういう曲があるから、作っときたいという感じはあった。歌詞の内容は、まあ個的なことから出発してるんだけど、もうちょっと大きな歌詞になったと思う。前にクラシックの歌曲の詞を書いたことがあって、そのときにも引用したんだけど、聖書の黙示録の中に「あなたがたは熱くもなく冷たくもない」っていう戒めがあって、これはぼくの中でとても意味を持っている言葉なんだけど、特に今の若い人に対して言いたいことでもあるからね。いいことをするにしても、悪いことをするにしても、もっと情熱的にやらなきゃいけないんじゃないかって。それが人間の本来の姿なんじゃないかというメッセージ・ソングです。ぼくらが熱くて力を持ったものをライブで見せないと、この歌が説得力のないものになってしまうから、自分を叱咤激励する歌でもある。

●「ドラキュラ・ソング」はこじこじ音楽団の演奏からずいぶんイメージが変わりましたね。

集平/前は茶化した感じで歌ってたのが、今回は自分の言葉として歌ってるよね。音的にもだいぶ重心の低い音になってきてる。今回のCDは全曲そうなんだけど、録音のことを知ってる人が、これをカセットの4チャンネルで録ったというのを聞いたら驚くと思う。

クン/この曲ではチェロで高い音を弾いて、ギターが低く地を這うような感じで低音部を担当しているから、うちのアレンジにはあんまりないパターンだね。 集平/最後にリコーダーを入れたのは、ライブでもできるから。基本的にライブでできる音を録音しよう思うので、あまり手は加えない。ライブに来てもらっても、おおかた同じ音で聴けると思う。

●「サーカスがやってきた」
集平/これもスペシャル・サンクス時代に作った曲。歌詞の内容が内容なんで、ずっとノスタルジックに歌ってたのが、これまた「注射器」や「ドラキュラ・ソング」と同じで開き直って、物語の登場人物として歌ってるようなところがある。うっとりするよりも、ごろんとした存在感を大事にしたかったから、安物の音が割れてる拡声器でおじさんががなってるみたいな音づくりをしたわけ。やってて楽しかったね。

●頭のチェロの音もおもしろいですね。

クン/ああいう効果音はシューヘーになってから。チェロでしかできないからね。レコーディングまでは、リアリズムっていうか、歌詞が「おんぼろトラックの列が・・・」だったらそういう音を出そうとしてた。だけど、今回はそういうのなしでストーリーとは無関係に、ただ「キレましょう」ていうコンセプトでやったのね。

●「スイート,スイート・ポテト」
集平/こじこじ音楽団でやった直後に再レコーディングするとイヤミみたいだけど、人とやるとお互いに妥協してる部分が多いからね。逆に人とやることで新しい発見もあるわけだけど、じゃあ自分達が納得できるアレンジと演奏っていうのは何なのか、いっぺんやっときたかったから。

クン/そうしたら、ライブで納得のいくアレンジでもって、シューヘーのレパートリーに入れれるじゃない。好きな曲だから、ときどきやりたくなるんだけど、やるとなればやっぱり納得のいくものでないと。

集平/こじこじ音楽団ではチャック・ベリーみたいな50'sのアレンジを意識してやったけど、やりたかったのはセサミ・ストリートのテーマソングみたいな感じの、60'sポップなのよ。結果的にはぼくがやるとならなくて……。晴れた感じを出そうと思ったけど、曇り空になっちゃった。

ギターは今回のアルバムが一番進歩してると思う。1、2枚目はブルース・ギターとかカントリー・ギターの延長線上でやってたんだけど、ロック・ギターになった。カポタストを1曲も使ってなくて、エレキギターの一番ギターらしい音を出しているし、コードの押さえ方なんかも、ぼくなりに新しい押さえ方を開発しているから。で、この「スイート,スイート・ポテト」はそれの典型的な曲。

●「貧乏人の歌」
集平/フォークソングだからどうやって歌おうかと思ってたら、同じメロディーラインの曲をローリング・ストーンズがやってるのよ。ストーンズってフォークソングやブルースをロックにして歌うのがすごくうまくて、普通のカントリーギターの弾き方でギター弾いてもロックになっちゃうんだよ。いつかやりたいと思ってた。阪神大震災の後を見てきたけど、歌ってる間そういうイメージがずっとあった。街の雑踏の音をいれたのもやっぱりそういうイメージだったね。「貧乏人が死んでも歌は残る」というのはぼくの基本的な考え方。「残る」っていうことが大前提なんで、残らないのが前提だったら表現の仕事はしていないと思う。本当に貧乏なことや情けない生活を体験したら、明日にしか希望が持てないっていうのは、ぼくは確信を持って言えることなんだ。ぼくらの天国は後ろにあるんじゃなくて、前にあるんだよね。ぼくなりのこれまで考えてきたことが凝縮された歌だ。

●「しめきり」
集平/6〜7年前に作った曲。いつも悩まされている亡霊とか妖怪みたいなものが、ぼくにとっては職業がら「しめきり」なんだけど、そいつをまあ、わけのわかったような、わからないような言葉にして……。

今、アバンギャルドなスタイルと、パンクのスタイルっていうのが結びついてきてるでしょ。ぼくら自身の音楽もそれに共感が持てるスタイルなんだよね。この歌がようやくそのスタイルで歌えるんだなと思うと、けっこう楽しかった。

クン もう1回やれって言われてもできないような偶然性が入ってる。チェロが最後に残ってるのもプランを立ててやったわけじゃないし。

「待ち合わせ場所ですれちがい」という言葉がいきなり入るというのはさ、やっぱり歌詞カードつけちゃいけないなあ、と。すごいよね。

●その歌詞が突然来ると、驚きますよね。

集平/歌詞カードって、あらかじめ読んじゃうから、付けると音楽を先読みされてしまうでしょ。

その場で決めたアレンジで、チェロが「待ちぼうけ〜」って弾くのがおもしろい。ジャパニーズ・ロックだよね。レコーディング中にいろいろと事件が起こるんだけど、この曲の最後なんか思いもよらなかったことが入った。それをそのまま記録してるっていうのが今回の特徴かもね。

●1個1個、曲のコンセプトがはっきりしていますね。

集平/意図がはっきりしていたからね。曖昧な部分はレコーディングしてく中で、はっきりと見えてきたし、思い残すことはないね。1曲1曲の仕上がりが納得できた。

クン/演奏自体が、高い飛び込み台から「えいっ」て飛び込んじゃうような感じだった。後悔も言い訳もなくて、すっきりしてる。

(問)シューヘーと、ライブを観にくるお客さんと、このアルバム、それぞれの間が密接していて、まっすぐ対面している印象がありますが、そのへんはどうですか。

集平/海賊盤の中には、ストーンズが自分らだけで作ったデモ・テープがあったりとか、興味深いものが多いよね。それには全くレコード会社やプロデューサーは介在していないわけだ。そっちの音楽の方が、プロデュースされたものよりずっといい場合もある。そのうえ今の日本のレコード会社のプロデュース能力は、あまり信用できない。だったら自分でやる方がいい。誰かにプロデュースしてもらうと平均値にならされちゃう不安がある。優れたプロデューサーと出会うまでは、ぼくらはこういう方法で発表するしかないんだろうな。

('95年3月24日 長崎 シューヘー・ガレージで)


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