集平リモート・セミナリヨ レポート
第22回
『大きな大きな船』を語る
2025年1月15日
2009年 ポプラ社
2009年にポプラ社から出版された『大きな大きな船』。前作『ホームランを打ったことのない君に』(2006年)から3年の間に何があったのか、まずは前回に続き「プロ野球再編騒動の中で」フリップの後半を。2005年、集平さんが師と仰ぐ高田渡さんと、クン・チャンの太極拳の師・楊名時さんが亡くなります。絵物語『小さな小さな海』(文・岩瀬成子、絵・長谷川集平)が出版されます。2006年、絵本作家デビュー30周年を迎えた年に『ホームランを打ったことのない君に』を出版。集平さんの母・小枝子さん、集平さんを「同級生」と呼んだ灰谷健次郎さんと、この年も大事な人たちが亡くなりました。『泣くなツイ』(2006年)には亡き母への思いが込められています。
『ホームランを打ったことのない君に』のあと、連作「サルコーデ・ナガサキ」を描きながら1年間展示。それが2007年に終了、間を置かずにミニ自伝「こじこじ年代記」を西日本新聞に掲載、心身ともに消耗し切ったという集平さん。そんな時に飛び込んで来たのが『大きな大きな船』の依頼でした。
スライドショーを上映しながら朗読します。
ポプラ社の「おとうさんだいすき」シリーズの2冊目として描いてほしいと言われて、解けない難問を与えられた気がしました。
ぼくは父親を大好きと思ったことがない。『大きな大きな船』を描く前に母が、出版後に父が亡くなった。ぼくは両親の良い子ではありませんでした。反抗期が今も続いています。そんなぼくが「おとうさんだいすき」…!
『小さな小さな海』(2006年)で岩瀬成子さんの文章にデジタルで絵をつけました。1980年代に初めて成子さんの挿絵を描いてから、彼女の繊細な感性に敬意を払いつつ、勝手にライバル視してきたんです。『小さな…』のミニマルな物語に対して大きな物語を書こうと思った、父親とは子どもにとって大きな存在だという連想もありました。そんなわけで『大きな大きな船』はタイトルをまず決めました。
サムネイル、テキスト、ダミーどの段階だったか忘れましたが、こんな絵本はどうでしょう? と編集者に送って返事を待ちました。編集経験の浅いYさんは山口県出身の若い女性で、ぼくの友人の娘さんでした。
ある日、留守電が入っていたので、聞くと、すごく良いです! 素晴らしいです! というYさんの涙声が入っていました。『日曜日の歌』(1981年)の原画を見て、わあーッと泣いた編集者ツネちゃん以来の反応でした。よかった、気に入ってくれたと、聞いた集平さんも感動しました。そこから具体的な作業が始まります。Yさんと、彼女のサポート役のベテラン編集者・Mさんとやりとりする途中からポプラ社の社長の横ヤリが入りました。ことごとくケチをつけてくるのです。こんなもの売れない、商品価値がないと言うのです。ポプラ社でこのあとに出した『小さなよっつの雪だるま』の時も同じように罵倒されました。どう切り抜けたか、忘れてしまいましたが、とにかく原画を描き始めました。
コロナ禍以前の長崎には週に何隻も大きな船がやってきましたと、松が枝埠頭に停まる大きな観光船クリスタル・シンフォニーの写真を見せながら話します。集平さんとクン・チャンが手前に映った写真を見ると、まるでビルのような大きさです。池袋のSEIBUとPARCOのビルが並んで壁を作っていた、あの大きさを思い出しますと集平さん。『大きな…』に描いたタイタニック号はタテにすると都庁とほぼ同じ高さです。(タイタニック号268m、都庁243m)よくそんなものが海に浮いているなと怖くなるような大きさですね。都庁を設計した丹下健三さんは、旧約聖書に出てくるバベルの塔(人間の思い上がりを象徴する塔)を造りたかったと言いました。なんてニヒルな建築家でしょう。
ダミーの段階では見返しに大きな船を描きましたが、絵本では父子がボートに乗っています。ユリー・シュルヴィッツの絵本『よあけ』(1977年)や、浦山桐郎の映画「キューポラのある街」(1962年)に出てくる手漕ぎボートのような小さな船が、最終的に見返しの絵になりました。ぼくが絵本を描くきっかけのひとつになった谷内こうたさんの『のらいぬ』(1973年)の少年とのらいぬが灯台の上にいる絵をイメージしながら表紙の絵を描きました。
教えに行っていた京都の大学で編集者と落ち合い、原画を渡しました。
ここでページをめくりながら、絵本に込めたものをひとつずつ説明してくださいました。見返しの父と子がボートに乗っています。ネガの絵にしているのは写生ではないからです。この父子は大きな船に乗るのと同時に小さな船に乗っているのです。
買い物に出かけた二人が乗る軽自動車(シューヘー・ガレージと色違いのワゴンR)に若葉が反映しています。春の話です。『ホームランを打ったことのない君に』(2006年)はデジタルで、この絵本は連作「サルコーデ・ナガサキ」と同じサクラマット水彩で描きました。
母親は亡くなったの? それとも離婚? とよく聞かれます。どちらでもいいと思っていますが、絵の中にヒントをこっそり描きました。父子が買い物をして帰ってくるのはK棟の304号室です。この記号と数字はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタK.(ケッヘル)304 を指しています。22歳のモーツァルトが就職活動に出た旅先のパリで同行した母を亡くした後に書いたと言われる、長調の曲が多かったモーツァルトには珍しく短調の、感情の起伏の激しい曲です。母を亡くしたぼくがよく聴いた曲です。絵本の母親もぼくの母親ももういません。風の強い団地の部屋、風の通り道に建っているうちのマンションと同じです。
タイタニックには煙突が4本ありますが、実際には3本しか機能しておらず、残りの1本はハリボテの見せかけです。煙突の本数で船の優劣を競っていたのです。まるでぼくたちが住んでいるこの社会のようではありませんか。
父の帰りを待つ母子、母さんは泣いています。長崎は海外出張の留守家庭が多い町です。父親は船乗りではありません。船乗りがそんなに転勤はしないでしょう。この父親は単身赴任の職場を転々とする企業戦士です。
集平さんとクン・チャンがよく遊んでいたというスポーツチャンバラ、熱の入る真剣勝負を曽我さんは笑い転げて見ていたそうです。楽しいこともあったよと息子は言います。母親の緑の衣装は、籠の中の鳥と相似形です。カウボーイの格好、ちょいヤンキーのお母さんが被る白いニットのキャップ。
父さんと母さんが出会ったころ、レストランの帰り道、ショーウィンドーのウェディングドレスの前を口笛を吹きながら通り過ぎる若い母。彼女が吹いたのはいつも同じメロディ「ラ・メール(海)」でした。
父子は港に大きな船を見にいきます、そこでぼくはもっと大きな大きな船を見ます。写生ではない、こういう現実を超えた表現が絵本はできる。最後のページはちょいヤンキーの父子が口笛を吹きながら闊歩しています。リーゼントにサングラス、スカジャン来た父親と、ラッパー気分の息子。口笛は「ラ・メール」? そうじゃないかもしれません。大浦天主堂下の坂道は長崎らしい和風、洋風、中華風の入り混じった石畳、そんな絵にしました。
そしてまた見返しの小さな船。ボートは後ろ向きに漕ぐでしょう? 父親には行先が見えない、来た道を振り返りながら進む、息子は父親のシルエット越しに前を見ている、そんな絵です。
絵本の細部まで丁寧に説明してくださった集平さん、大急ぎで絵本の中を走りましたと講義部分を終了。
放課後に入っても、講義部分の余韻が続き、だれも口を開くことができません。それじゃあと「モーツァルト●ヴァイオリン・ソナタ 第21番 ホ短調 K.304 」というフリップを見せてくださいました。集平さんのお父さんが大好きだったというモーツァルトが書いたこの曲のことを『大きな大きな船』の中に潜ませたのは、ぼく自身の記録として、自分に念を押したようなことだったかもしれません。
「サルコーデ・ナガサキ」の話をしましょう。童話館社長の故・川端強さんとぼくは長い間、おたがい敬遠気味でした。価値観の違いを感じていました。川端さんは五島出身のカトリックでした。『ホームランを打ったことのない君に』を描き上げたころだったか、「頼みたいことがある」と川端さんから電話がありました。来てくれと言われて童話館に行って社長室で話しました。長崎をテーマにした連作タブローを描いてほしいということでした。春夏秋冬それぞれ12枚ずつ、A2サイズで48枚、風景に人物を必ず入れて、物語のある絵にしてほしい。それを祈りの丘絵本美術館で季節ごとに12枚ずつ展覧会しましょうという依頼でした。いつか長崎を描きたいと思いながら、後回しにしてきた集平さん、今がその時かもしれないと思い、ぜひやらせてくださいと引き受けました。
ここから「サルコーデ・ナガサキ」全作品を猛スピードで一挙に紹介。実際の場所の風景、その場所の思い出も重ねながら話していきます。約20年前に描かれたこの連作は、長崎の今は失われた風景や人の記録でもあります。最後の一枚「飛べ」は、長崎の夜景の上空を女の子と男の子が飛んでいます。子どもたちに未来を託そうという思いを込めました。 長崎ではぶらぶらすることを「さるく」と言います。ぶらぶらしようは「さるこーで」。サルコーデ・ナガサキ、つまり長崎をぶらぶらしようよ、ちょっとポルトガル語みたいでしょう?(集平註:サルコーデ・ナガサキについて語った部分はとてもここに載せきれないので、シューヘー・ガレージのホームページを見てください。 ※文末に記載 )
ここで感想や質問が届きはじめました。
問:レストランの帰り道、お母さんが口笛を吹いているページには犬がいますね。おもしろいなあと思いました。
答:『青いドッグフーズ』『たかし、たかし』(1980年)もそうですが、どうしても犬が描きたくなっちゃう。犬はのんきに散歩しているんだけれど、地獄の犬にも見える。ウエディングドレスがあるお店の入り口には蛇の取手、蛇は「アダムとイブ」のイブを誘惑する悪魔、犬と蛇、結婚する前から母親に死の影がさしているのです。
問:集平さんの絵本を読んで長崎へ行ってから、長崎の景色が分かるようになりました。軍艦島からの帰りの船から『大きな大きな船』の景色が見えました。集平さんの描く光や色が本当に綺麗で、すごい! 一流のものに触れさせてもらっています。感動しかないです。「サルコーデ・ナガサキ」の経緯も知れて良かったです。
答:ありがとう、この大きな船の背後の山、長崎の色ですよね。長崎は夕陽の町、西陽にはオレンジ色が混ざっています。そのオレンジ色と山の緑を合わせると黒になる。それが長崎の黒っぽい山の色なんじゃないかな。『大きな大きな船』は青・黄・赤、3色で描いていて、どの絵も3色の微妙な割合で描いています。「サルコーデ・ナガサキ」では絵の具の種類や筆、光の印影など、いろいろ試しました。いい勉強をさせてもらったと思っています。描き終わってからしばらく何を見ても絵にすることを考えてしまって、半年くらい頭がおかしかった、それくらい消耗したけれど描いた甲斐がありました。
問:作品の中で登場人物の「大きさ」と「物語の表現」に注目しました。大きさの違いがどのような影響を与えるのか、教えてください。
答:大きさを変えようとしているのではなく、視点を変えているんです。被写体に近づけば大きく写す(描く)ことになる、離れれば小さくなる、距離によっては等身大になる。映画のカメラを意識して構図を決めていますが、カメラのこちら側にいる人の心理、描く人の心理が反映しています。計算やノウハウで決める大きさではなく、パッションが決める大きさです。どこから見るのがベストなのか、物語世界を読者にどの視点から見せたいのか、ということだと思います。
問:お父さんの表情が素敵です。
答:人の表情は大袈裟に描くと歌舞伎役者みたいになってしまう。とてもデリケートなものです。1980年代にぼくは雑誌の仕事で映画や音楽に関係した似顔絵をたくさん描いたことが勉強になりました。映画のシーンを描く時は、俳優に似せるのではなく、演技の狙いをつかみたいと思って、線を追求しました。いい訓練でした。その後の絵本に生きていると思います。
お母さんが口笛で吹いていたシャルル・トレネの「ラ・メール(海)」を集平さんの訳詞を見せながら聴かせてくださいました。フランス語の海は女性名詞、お父さんの目に浮かぶ涙、妻の女性像がよみがえります。朗読で口笛を吹こうと思ったけど、吹けなくなっている。さっき聞いてもらった口笛は録音です。ぼくはティンホイッスル(アイルランドの笛)を吹きますが、息を使う管楽器はいいですよね、息している、生きている…。
最後には、カバーのソデに書かれた「ラ・メールと3原色とグレイスランド」を紹介。ぼくはボブ・ディランより、ポール・サイモンのようになりたいと思っています。自分の表現に行き詰まっていたポール・サイモンですが、偶然アフリカ音楽のテープを聴いて驚き、アフリカを旅します。それまで知らなかったアフリカのミュージシャンと出会い、アルバムを作ります。その時作った歌が南アフリカの解放運動へと繋がります。そのアルバム『グレイスランド』(1986年)のメイキング・ビデオの中でポールは、自分は船長ではなく乗客だったということに気づいたと語っています。自分は船を操縦していたのではなかった。彼の中で自分のいる場所が大きく変わる。回心と言ってもいいでしょう。『グレイスランド』から、ポールがアフリカのミュージシャンと共演した「Diamonds on the Soles of Her Shoes」のライブ動画を見せてくださいました。なんとも素晴らしい!!
まだまだ見たい聴きたい、ところで本日は終了しました。(齋藤)
●サルコーデ・ナガサキへ
●『こじこじ年代記』(トクサ文庫)へ
『小さな小さな海』 文・岩瀬成子、絵・長谷川集平
松が枝埠頭に停まる外国の豪華客船。
浦山桐郎監督「キューポラのある街」に出てくる小さな船。『大きな大きな船』の見返しに反映されている。
『のらいぬ』の灯台(左)と『大きな大きな船』表紙(右)。
京都の大学で編集者に原画を渡す。
父子が帰ってくる部屋はK棟の304号室。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタK.(ケッヘル)304 を指す。クリックで拡大。
絵本に描き込まれたファイヤーキングのカップ。
シャルル・トレネ「ラ・メール(海)」集平・訳。
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