2006年に理論社から出版された『ホームランを打ったことのない君に』。
前作『あしたは月よう日』(1997年)から9年のブランクがありました。まずは朗読からスタート。
この絵本を描く直前、日本のプロ野球は史上最大の危機に瀕していました。ここで「プロ野球再編騒動の中で」と題してまとめたフリップを紹介。何時間あっても語り尽くせないだろう1989年から2009年の野球界とホークスの様々な出来事と集平さんの創作について駆け足で教えてくださいました。
日本のプロ野球は市民球団と呼ばれる広島カープは例外として、地元との繋がりを重視してきませんでした。読賣ジャイアンツ中心に運営されてきたからです。
1989年、大阪の南海ホークスが福岡に移転してできた「福岡ダイエー・ホークス」は地域密着型のチームの先駆けになりました。1995年に王貞治がダイエー・ホークスの監督に就任、1999年にはリーグ優勝を果たします。集平さんはダイエー・ホークスの初優勝で喜びを爆発させる福岡の人たちを見て感激し、自分もこの中にいたいと、翌年ファンクラブに入りました。
クン・チャンが過労で倒れたことをきっかけにシューヘー・ガレージはクン・チャンを最優先にする生活に変わります。故障したホークスの選手が地味できついリハビリを克服して復帰する姿を自分たちに重ね、ぼくらもがんばろうと一日一日大事に過ごしました。
1995年の阪神・淡路大震災、集平さんは京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の客員教授になり定期的に京都へ。
2005年に高田渡、クン・チャンの太極拳の師・楊名時、2006年に集平さんの母・小枝子、灰谷健次郎と、大事な人たちが続けて亡くなり、絵本を描いていないので外から見ると何事もなかったように見えたかもしれないけれど、心の中は嵐のような日々でした、と振り返ります。(集平註:亡くなった年をフリップに誤記していたのでここで訂正します)
2004年、球界再編成騒動が勃発。Jリーグは人気上昇、野球人口は下降とマスメディアが喧伝。意識操作していたのではないかと集平さん。球界の混乱に気を揉みながら、野球を援護射撃する絵本を構想し始めます。佐世保の小六女児同級生殺害事件が起きたのもこの年でした。
2005年、タイトルを決めないまま野球の絵本の制作を始めます。
2006年、長谷川集平 絵本作家デビュー30周年の年に『ホームランを打ったことのない君に』、前年の佐世保の事件に対する思いを綴った『デビルズ・ドリーム』を出版。亡き母を思いながら書いた『泣くなツイ』を出版。
そんな中で描いた『ホームランを打ったことのない君に』。全部は話しきれないけれど…と、ページをめくりながら、絵や文に込めたものを一つ一つ紹介してくださいました。『ホームランを打ったことのない君に』は初めてコンピュータで描いた絵本です。ストレスのせいでしょう、手が震えて絵も字もまともに書けない。それで修整可能なデジタルを採用しました。デジタルならテンペラ画のような描き方ができることに気づきます。1980年代に水彩マーカーと色鉛筆で真似してみたテンペラ画を今度はデジタルで試してみます。集平さんにはめずらしく輪郭線のない絵になりました。
舞台は長崎、ルイが試合をしている背景に見える並木は諫早運動公園のメタセコイア並木をイメージしました。
ルイと仙吉が歩くシーンにRightning Barというライブハウスが見えます。アーロ・ガスリーの「Lightning Bar Blues」から命名したのですが、LとRの綴りを間違えてしまっています。集平さんも編集者も気づかなかった。結果「稲妻バー」が「右傾化バー」になっちゃった。右傾化するライブハウス…意味深ですね(笑)。ドアに貼られた告知を見ると今夜は高田渡NIGHT、出演者は集平さんの友人夫妻とシエマL(シューヘーの別名)、制作前に亡くなった高田渡さんの追悼ライブを絵本の中で実現させています。
ルイに買ってきたもらったマーガリンを使いお母さんはアイルランドのスコーンを作っています。お母さんの髪留めは鶴の形をした簪(かんざし)。京都の今はない「二十三や」で買ってクン・チャンが愛用している簪です。長崎は鶴の港とも言われます。
西坂トゥエニシクスというチーム名は西坂の日本二十六聖人から、黄色いユニフォームは大好きな映画「がんばれ! ベアーズ」(1976年)と同じ色です。東京時代に仲間と結成した草野球チーム「バウワウ」のユニフォームもこの色でした。
球場の外野フェンスの広告に「シューへー・ガレージ」と「セミナリヨ」、ちゃんぽんを食べに行く「大波止三角亭」、あったらいいなと思う「浦上シネマ」。実際にフェンスに広告出すのは高いけど、これは絵本ですからね。
象島はもちろん当時ホークスで活躍していた城島。パ・リーグ独特の試合風景を描いています。
ジャングルジムの上で仙吉がルイに言います。「始める前からあきらめるのかい。夢見るだけにしとくのかい」これはシューヘー・ライブの定番曲「映画に行こう」の歌詞の引用。
ルイが見た夢の中で仙ちゃんがホームランを打つ球場は宮崎のホークス・キャンプで使われる球場がモデルです。後ろをよーく見ると、『日曜日の歌』(1981年)の家族が歌を歌っています。その他にも絵の中に仕掛けがたくさんあります。見つけてください。
ルイがお母さんから事故の話を聞く前と後で仙ちゃんの印象が変わるように、視点を変えると違ったものが見えてくる。冒頭の野球の試合と「ありがとう。ぼく、いつかホームランを打つよ」は同じ時を違う視点から見ている。後のシーンでバックネット裏から見ている仙吉を見つけ、ページをめくり返して初めから仙吉がいたことに気づく。クン・チャンが倒れたことで、いつも見ているのと違う視点があることを知った。それがこの絵本に反映されているかもしれない。違う視点を持つことで絵本は違うストーリーを語り始めます。今日は用意したものがたくさんあるので、続きは放課後にしましょうと講義部分はおしまい。
放課後では、日本二十六聖人のお話から。講義部分でも触れましたがルイの野球チームは西坂トゥエニシクス、西坂26です。洗礼を受ける前にNHKのドキュメンタリー番組「雪のサンタマリア 流転の南蛮絵師たち」(1987年)の録画を観た集平さんとクン・チャン、日本二十六聖人記念館長の結城了悟神父に心を動かされます。長崎に引越してすぐに殉教地・西坂公園に本籍を移しました。二十六聖人に呼ばれてきたぼくらのアイデンティティをあそこに置いたんです。
ジャイアンツ・ファンだった幼少時代、当時テレビでは巨人戦だけが放送されその他の試合はラジオでした。姫路生まれの集平さん、中学生になったころから阪神タイガースを応援しはじめます(集平註:叔父・浦山桐郎は阪急ブレーブス・ファンで、セ・リーグの野球は古いと言っていました)。上京してからはすっかりアンチ巨人になっていました。東京に対するネガティブな感情が巨人に投影されたのでしょう。西坂トゥエニシクスがいつも負ける諏訪の森ゴーレムズのチーム名は、長崎の諏訪神社がある諏訪の森とユダヤに伝わる巨人ゴーレム伝説から来ています。つまり、敵です。
「稲妻バー・ブルース」(アーロ・ガスリー)の曲を紹介。この曲を中学生のころよく聴いていたという集平さん、飲んだくれの高田渡さんが歌うべき曲だったと一言。仙吉がホームランを打つ夢をルイが見ているころ、高田渡の歌で「右傾化バー」はあたたかくなっている、そんな読み方もできると思います。
日本の野球少年は礼儀正しい。マナーを叩き込まれ、親ができない躾(しつけ)をチームがしてくれる。ルイが監督と話すときに帽子を取ったり、先輩後輩の関係性、ルイが仙吉と話すときもちょっと敬語でしょ。何でも横並びにしてしまう昨今、ぼくは野球のような古めかしいタテ社会が好きです。礼にはじまって礼に終わるという武道の精神を日本の野球は受け継いでいます。
プロ野球は長い間、「聖地」神宮球場で試合ができなかったそうです。金儲けは汚辱と決めつけられていました。今はそんな理不尽なことを言う人はいません。間違った先入観を払拭するためにどれだけの努力が払われたでしょうか。
「ホームラン1本」(ヴァン・ダイク・パークス)、「野球小僧」(灰田勝彦)など野球の素晴らしさや朗らかさ歌った曲を聴かせてくださいました。
ぼくの場合、自分の実力を超えた絵が描ける時がたまにある。天の恵みとしか思えない。神様が手伝ってくれたのだと思います。人それぞれにホームランという実力を超えた領域があると思います。『ホームランを打ったことのない君に』は野球の盛んな韓国と台湾で翻訳出版されました。韓国では帯に韓国のプロ野球選手の「努力は必ず実る」というコメントを入れたいという話がありましたが断りました。努力すればホームランが打てるというものではないですから。
夢の中の仙吉のチームは「ナイヴズ」象島選手の「長崎フォークス」と対になっていますね。球団はFolksなんですが、シャレのつもりでフォーク(fork)を持って応援している人も外野席に描きました。内野席では長谷川くんとぼくが応援しています。ルイが自転車に乗って家に変えるシーンでは、ぼくに背負われた長谷川くんがバットを持っています。『はせがわくんきらいや』のラストと同じです。あちらは帰るところ、こちらは野球をしに行くところでしょう。いろいろな物や人が絵本の中で、あるいは絵本をまたいで、現れます。そんなところも見てもらえたらうれしいです。
チャットではジャングルジムの上でルイと仙吉が話す場面、陽が落ちていくところの感想が届きました。長崎は夕陽の町、陽が落ちていくと下の方が暗く沈んで上の方が照らされて輝く、信じられないぐらいきれいです。そんな長崎の特別な時間帯が描けたと思います。『ファイアー』(2020年)のラストシーンも同じ時間帯です。
もう一つ用意した曲がありますと、高田渡の1971年のアルバム『ごあいさつ』から「自転車にのって」をみなさんにプレゼント。この歌がぼくの中に沈潜して『ホームランを打ったことのない君に』という形で表現されたように思います。
これを描いた18年前から現在に至るまで野球のルールもどんどん変わってきました。ツー・ストライク、スリー・ボールと言っていたのが、今はスリー・ボール、ツー・ストライクです。見返しのすごろくのカウント表示はすでに古いです。古い新しいを超えた日本人の心の中にある野球というものを絵本という形で記録したかったのですが、どうでしょう。
数日前のホークス甲斐選手がジャイアンツに移籍するというショッキングなニュース以来、まだ気持ちがガサガサしているという集平さん、それくらい生活の中に染み込んでいるプロ野球。ぼくは日本ではプロ野球とプロレスこそ超一流だと思っています。この二つを文化の俎上(そじょう)にあげたいとずっと思っていると 熱い思いを語られ今年最後のリモート・集平セミナリヨの幕を閉じました。
(齋藤)
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年表「プロ野球再編騒動の中で」。クリックすると全3枚のフリップをつなげた画像が出ます。

メタセコイアの並木が描かれている。

絵本の中のライブハウス(右)。ドアの張り紙を拡大すると、高田渡追悼ライブのお知らせ(左)。

お母さんのかんざし(右)は、クン・チャン愛用、京都「二十三や」のもの(左)。

映画「がんばれ! ベアーズ」1976年

球場の外野フェンスの広告も見どころ。

「野球小僧」を歌う灰田勝彦。
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