集平セミナリヨ レポート15
集平リモート・セミナリヨ レポート


第15回
『プレゼント』を語る

2024年6月19日

1987年 BL出版
村上康成/絵


村上康成さんと集平さんによるヨット3部作の最終章『プレゼント』。3部作の全貌が明らかにされる期待の中、朗読からスタートしました。言葉が少ない絵本なので充分に間を取りながらの集平さんの朗読が心を開かせます。

ヨット3部作は約10年の構想を経て1987年に出版され、翌1988年『プレゼント』はボローニア国際児童図書展でグラフィック賞を受賞しました。この作品は3部作の中でもカトリック色が強いこともあり、日本ではあまり評価されなかったのですが、カトリック文化の根づいたイタリアのボローニアでわかってもらえたことはすごく嬉しかった、と当時を振り返ります。

クリスマスの朝、おじいさんが描き上げたのはウラジミールの聖母像と呼ばれる古いイコンの模写です。

「クリスマスおめでとう」と港でお祝いの言葉を掛け合いヨットに乗って灯台へ向かいます。少しすると怪獣が現れます。その日が誕生日の少年におじいさんは怪獣と一緒に聖母像を届けます。絵を見た少年は「おかあさん」と呟きます。さまざまな解釈ができる一言ですが、集平さんに確信があったわけではなく、ただそう書きたくなったのだそうです。灯台守のお父さんと少年が住んでいる灯台小屋。少年の部屋の窓からは光を照らす灯台が見えます。ベッドの横にはあのイコンが置かれています。

ロシア正教では福音史家・聖ルカが描いたと言い伝えられているウラジミールの聖母(生神女 しょうしんじょ)。崇敬されているこのイコンはギリシャからウクライナ、そしてロシアへとプレゼントされてきた絵です。村上さんはマリアをかわいい表情で描いていますが、原画はイエスの死を知っているマリアは黒い喪服を着ています。母マリアは憂いを秘め、幼子イエスはぎゅっとマリアにしがみついています。イコンは中世のテンペラ画、板絵です。近代芸術のような自由な表現などできない、修道僧が祈りとともに忠実に模写することしかできませんでした。聖母マリアもイエス・キリストも、天使も聖人も、だれかに似せて描いてはいけなかった。それらの聖なる人たちを俗世間のだれかに似せて描くようになるのはルネサンス以降です。

絵本に出てくる灯台は五島・福江島の大瀬崎灯台をモデルにしています。実際には灯台小屋はなくなっています。この絵本や映画「悪人」(2011年)に出てくる灯台小屋は物語のために作られたものです。全国の灯台を灯台守がつきっきりで管理したのですが、自動化が進んで管理する必要がなくなりました。大瀬崎灯台の灯台小屋の遺構を見たことがある集平さん、絵本や映画と違う場所にあった灯台小屋は近代的でモダンなブロック作りの建物だったそうです。灯台守は超エリートで高給取りの公務員でした。

ここで、月刊絵本(1978年4月号)に掲載されたフォーク・シンガー 三上寛の絵本についての文章から集平さんが特に影響を受けた箇所を抜粋したフリップが紹介されました。集平さんが高校生のころから好きだった言葉の人・三上寛は「絵本は送られるべきもの」「人から人へと渡って歩く、魂の告げ口男みたいなもの」と書いています。『はせがわくんきらいや』から数年間、集平さんにはプレゼントというイメージを持つ余裕がありませんでした。それが『トリゴラス』を描いたころにこの文章と出会って変わり始めます。その先に絵本『プレゼント』が生まれたのです。

短歌や俳句を書いていた母方のお祖父さんの名前は「貢(みつぐ)」、お祖父さんの作品に自分と似た目を感じていたそうです。貢の意味はまさにプレゼント。プレゼントの語源はプレゼンス(存在する)、自分という存在全部を相手に捧げる代わりに、私たちは人に小さな何かをプレゼントするのです。

ヨット3部作を描く直前、ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの遺作「サクリファイス」(1986年)を試写会で観て、目から鱗が何枚も剥がれ落ちるような衝撃を受けたそうです。作品のタイトルバックには、レオナルド・ダ・ヴィンチの未完成作「東方三博士の礼拝」が映し出されます。救世主が生まれることを予知した遠い国の3人の博士が高価な捧げ物を持って幼子イエスの元へ駆けつけたというマタイ福音書の記述をもとにしています。『プレゼント』で老人が少年に絵をプレゼントするというアイデアの源泉です。

このヨット3部作は3冊でひとつの作品なんですと、集平さんは『かいじゅうのうろこ』『おんぼろヨット』『プレゼント』を続けて朗読してくださいました。

『プレゼント』の終盤、少年が寝ているころ灯台は海に向かって一直線に光を届けます。最後のページでは、右方を照らしていた光がぐるりと回って読者に向けられます。読者の心の中を照らすこのページ展開は、絵本表現を浪人時代からぼくと一緒に学んできた村上康成の最高のアイデアでした。

『はせがわくんきらいや』で絵本作家デビューした集平さんの一つの区切りになったというこの3部作、それ以前が夏休みだとすれば、3部作は夏休みの宿題みたいなつもりで描きました。少年から青年になりかけたころに絵本を描きはじめ、中年になり、やがて今のぼくのように老いていく。人生の三つの段階で、どうやって絵本と向き合っていくのか、怪獣としか言えないエモーショナルな自分の中の何かとどうつき合いながら、ヨットのように風まかせの絵本作家人生を歩めばいいのか、あの時点で考えられる理想型を描いた、これは人生のシナリオですとお話されました。それがぼくと村上の理想だけではなく、読んでくださる方の理想にもなったらいいなと思っています。出版されてから早々に絶版になってしまったので、図書館や書店でこの3冊の絵本と出会えるようにしてほしいと思う昨今でありますと講義を締めくくりました。

放課後では、参加者のみなさんからの質問や感想などを聞きながら、ざっくばらんに話していきます。

『おんぼろヨット』を読んだ時に、とても悲しい気持ちになっていたけれど、『プレゼント』では救いが散りばめられていたことで心底救われました。3作品に出てくる登場人物たちが同一人物なのでは? などと深読みもしましたという感想には、同一人物ではないけれど、普遍的なあり方は一人一人の個性を超えていると思います、連続性もあるでしょうと返答。

少年にイコンを描くおじいさんは画家なのでしょうか。イコンを誰かに似せてはいけない、というのはどういう意味があるのでしょう。という質問には、おじいさんは画家でもないし、漁師でもない、それは分かりません。イコンは、ぼくらの思う絵とはまったく違います。人の手によるものをありがたがってはいけない、それは偶像崇拝だという考えが長い間支配的だったのです。イスラム教の宗教建築を飾るのは具象画ではなく幾何学模様です。カトリックではステンドグラスや壁画を使って、字が読めない人に教義を絵解きしました。ロシア正教は早い段階でイコンが使われました。人の手によらない絵だからそれができたのです。聖ルカが描いたとウラジミールの聖母が崇敬されるのは(普通の)人の手によるものではないからです。そんなイコンだけが祈りとともに模写されてきました。不思議な絵です。イコンのことを知った時、自分が考えていた芸術だけが芸術ではない、ルネサンス的な自由を獲得する前の聖なる営みの中で生まれたもの。茶道や中国の水墨画なども似ているのかもしれません。音楽で言うと、教会音楽と世俗音楽があります。教会の管理のもとに作られたのが教会音楽、教会をあまり気にせず作られたのが世俗(ポピュラー)音楽です。ぼくがイコンにとても魅力を感じるのは、ふだん自由という不自由を感じているからかもしれません(この部分は報告文のための補足です)。

講義で紹介しきれなかった資料もどんどん見せてくださいます。映画「サクリファイス」のタイトルバックの動画、映画の解説も丁寧にしてくださいました。老人が海辺に立てる1本の枯木を「日本」と名づけます。昔ある修道士が上司に言われるままに毎日枯木に水をやり続けた、何年も何十年も水をやり続けたある日、木に若葉が生い茂ったという話を孫ほど歳が離れている息子に語り、おまえもこの木に毎日水をやりなさいと言います。核戦争が起こり世界が破滅に向かう中、老人は神に救いを乞います。主の祈りを唱え、サクリファイス(犠牲=捧げ物=プレゼント)を神に約束します。祈りはかなえられます。感謝とともに神に捧げ物をし始めたところで老人は精神病院へ連れ去られてしまいます。残された息子は教えられた通り枯木に水をやり続けます。集平さんはその枯木の写真を額装して壁にずっと飾っています。

ヨット3部作とほぼ同時期に書き始められた児童文学『見えない絵本』(1989年)も『プレゼント』と大きく響き合っています。目の見えない主人公がおじさんに読んで聞かせてもらう絵本の中に、絵馬が出てきます。おじさんは絵馬のことを「人にじゃなく神に見せる絵なんだ」と説明します。イコンも人ではなく神に向けた絵です。『はせがわくんきらいや』を描いた時はクン・チャンがいつも一緒にいて見ていてくれた。集平さんはだれかが見ているところでしか絵も文も書けなかったそうですが、1980年代後半にはだれかが見ていると書けなくなってしまったそうです。そのような体質的な変化が集平さんにありました。今思うとそれは、ゆるやかな回心だったかもしれないと言います。絵本は商品なので多く売れることを求められるのですが、『おんぼろヨット』でゲンタがナオミだけに秘密を打ち明けるように、まず一人の子に届けなければと思って仕事をしています。一人の子に届かない絵本が多くの人に届くとは思えません。ぼくはあきらめずに枯木に水をやり続けます。やがて若葉が生い茂ることを夢見ながら。

毎回本質的なお話をプレゼントしてくださる集平さん、今回朗読してくださったヨット3部作全ては、まるで映画を観ているかのようで、絵本モンタージュの特性が垣間見えた素晴らしいものでした。濃厚な時間をありがとございました! 参加者のみなさんもおつかれさまでした。

(齋藤)



『プレゼント』より。おじいさんが少年に贈った絵は「ウラジミールの聖母像」の模写。


ウラジミールの聖母像(左)と、集平の模写(右)


五島・福江島の大瀬崎灯台を背に。集平とクン・チャン。


海から見た大瀬崎灯台。


三上寛曰く「絵本は送られるべきもの」●クリックで拡大


母方の祖父の名は貢=プレゼント。


タルコフスキー監督「サクリファイス」を紹介。



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