『見えない絵本』



●書評

暗闇の中にいるぼくと桐一おじさんの、見えないものを見ようとする(見えない絵本を読む)試みは圧巻で、通常、見える者が見えない者へ見えたもののイメージを伝達すると考えられやすいが、ここでは眼球に写る像を見えるものとせずに、お互いのイメージが、お互いのイメージを喚起する。ある意味では桐一おじさんも目をあきながら暗闇をさまようことになるのである。暗闇の二人は、執拗な追求を繰り返し、ついに全体を明らかにしていく。(中略)かなり本質的なことに迫ろうとしていることは確かで、桐一おじさんは「オレは、この絵本を見つけたとき、映画にしたいと思ったのさ。それぐらい、考えさせられた、オレなりにね。子どもむけの絵本でも、ここまで書けるのかとおどろいたよ。オレが、ずっと問題にしてきたのと同じことが、この簡単な物語に埋めこまれとる。……オレが一番気になって、大事に思っている話を君に読んであげたかったからだ」と述べている。これはそのまま、この『見えない絵本』の読者へ向けて放つ長谷川集平のメッセージでもあるのだろう。(石井光恵 「図書新聞」'89.6.10より抜粋)


選評を行った今西祐行氏は次のように感想を述べた。
「これは非常に不思議な作品だと思う。何のために作品を書くのかという意味のことを、あとがきで作者も書いておられますが、作品を読むことは、その作者と二人っきりの秘密を共有するという魅力なのではないか。
 最後に聖書が出てきて、信仰や宗教など、いろんな事を考えさせるわけです。私の思い過ごしかもしれませんが、聖書というものは不思議なものでして、知識の本として読んでも何の魅力もない。しかし、ある共有する秘密をもちますとそこに信仰が生まれて生涯、取り付かれて離れることができない、ということになる。とてつもなく大きな世界を描こうとされているのかな、と思いますし、児童文学であるとか、ないとかいうことを超えた魅力を感じました。
 きっと、それぞれの読者が、長谷川集平さんと秘かに秘密をもちうる作品ではないか」(中略)
 受賞の挨拶の中で長谷川氏は児童出版への熱意を次のように語った。
「『赤い鳥』創刊の時の鈴木三重吉先生の言葉を読みますと、当時の児童出版のひどさを批判され、小さい人たちのために優れた芸術を与えたいという決意が述べられていました。今、わたしたちは、雑誌を作っていくなかで、何度も繰り返し読み直して、先生の精神を引き継いでいきたいと思います。
 鈴木三重吉先生は、西欧には小さい人達のための芸術の伝統があるが、日本にはない、と仰っておられますが、それから、何十年もたったこの時代に生きているわれわれは、その伝統の中にいます。そして今、ぼくも赤い鳥だったんだな、ということに少しだけ気付きかけた。ぼくがどういう実を小さい人のために用意できるか、というときっと真っ黒な実だと思いますけど。これから、もっと勉強して、しっかり生きていきたい」(第20回赤い鳥文学賞 『見えない絵本』「ドゥ・ブック」'90.10月号より抜粋)


『見えない絵本』は、作者が絵本作家の長谷川集平だけにタイトルが意味深長に見える。(中略)後半では東京に帰った少年を桐一おじが訪れ、何日がかりで一冊の絵本を語って聞かせる。目の見えない相手だから、絵についてこと細かに説明しなければならない。これがさすがに分かりやすく、生き生きと伝わってくる。そして少年はこの物語を受け取る中で、自分の体験を見つめ、いやされていく。
 最後、再び見えるようになった少年が、桐一おじが残していったはずの絵本を探すと、それは旧約聖書の民数記だったというところで、ぼくらはあぜんとさせられ、同時にあの"絵本"を自身の心の中にしかないものとして痛切に思い返すのだ。(藤田のぼる 山陽新聞 '89.4.25より抜粋)



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