アイゲリ!

コラム22
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●1月17日
動画はアイルランドの口三味線、リルティング。彼らは大航海時代に低賃金で雇われ、リルティングを世界各地に伝えた。それが長崎では童謡「でんでらりゅう」になったのではないかというぼくの仮説。そこからロックンロールまでの遠いようで近い旅。明日の集平セミナリヨで。

【Bobby Gardiner Lilting】


アイルランドのリルティングは古代のスタイルの継承というよりも、ひどい差別の中で楽器がなくてもダンスしたい欲望がもたらしたものだと思います。リバーダンスのもとになった上半身を使わないアイリッシュ・ダンスのための音楽ですね。

リバーダンスにはすごく影響を受けました。フラメンコや黒人音楽、その後つけ加えられたアフリカ音楽も、世界史の主流からはぐれた下層の音楽が集まっておおらかな流れになっていくというストーリーに込められた思いに頭がクラクラしました。
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●1月18日
第10回 集平セミナリヨから帰ってきました。題は「ジグとリール」。ケルトのリズムが船に乗って世界中に伝播する。日本にもその残滓がある。ロックンロールが庶民のビートを取り戻す。ロックが世界を塗り替えていく。アイリッシュ・ダンスを練習する女の子のビデオも観たよ。

【Irish Dance Light Jig】

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●1月29日
アイルランド人の本質に斬り込むユーモアを「死んだ鍋」と言うそうです。まわりを困り顔で笑わせておいて、本人は死んだ鍋のように笑っていない。王道から外された人たちのユーモアです。

日本人にいるとしたら、それは個性なんでしょうけど、アイルランド人の場合は文化なんですよ。司馬遼太郎の『愛蘭土紀行』にくわしく書いてあります。ジョン・レノンや『ガリバー旅行記』のジョナサン・スウィフトの英国に対する辛辣な「死んだ鍋」ぶりも。
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●1月30日
アイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリックはシャムロック(クローバー)の三つ葉を指して、父と子と聖霊、これが三位一体だと説いたそうです。わかりやすい。その逸話も『愛蘭土紀行』に書いてある。あの本に足りないのはアイルランド音楽についての考察。司馬さんは音楽が苦手だったようです。
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●3月8日
ランブリン・ジャック・エリオットとウディ・ガスリーは一緒にギターを担いで旅をした。ジャックが歌うウディの歌は格別だ。ウディの息子アーロ・ガスリーの「最後のブルックリン・カウボーイ」(1973年)はジャックに捧げられた。アイルランドの伝承音楽を世界中に紹介した初めてのレコードでもある。

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●3月11日
アイルランドの盲目のハープ弾きオキャロラン(1670 ~ 1738)の作品。死者の救霊のための曲です。地震や津波や火災で亡くなった人たちを思って。(2011年4月6日)

【長谷川集平 - Separation of Soul and Body】

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●4月16日
長い間、ぼくの仕事を見てくださっているKさんから絵の注文が届く。ありがたい! 受注制作ゼロの不安を1日で払拭できた。アイルランドの至宝、歌手ドロレス・ケーン(画像)の肖像画をリクエスト。ブルブルッと武者震いしてます。最近やっと絵を描くのが好きになってきた。注文が続くとうれしいです。

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●4月22日
受注制作、次はアイルランドの至宝、女性歌手ドロレス・ケーンの肖像。薄幸の人ドロレス。彼女の歌声はアメリカの伝承音楽家、故ヘイゼル・ディケンズや故ラルフ・スタンレーにも似て、地の底からぶ厚い地層を魂の力で透かして見上げる青空。抜けるように高くて、ひゅうひゅう風が吹くので泣けてくる。

【Dolores Keane - Galway Bay】


全盛期(70年代半ば〜80年代後半)のドロレスの歌は…別の何ものかが彼女の口を使って歌っているような…力みというものがまったくなく…軽いコブシのひと回しで聴く者すべてを地にひれ伏して大泣きさせてしまうような凄みがあるのだ。こんな歌手はもう2度と出てこないのではないか。──大島豊



皆川達夫さん(92歳)のご冥福を。隠れキリシタンのオラショとグレゴリオ聖歌の関連を実証したアルバム「洋楽事始」(1976年)に示唆を受けました。このような教会音楽や天正少年使節がもたらした上流の音楽だけではなく、船員たちが伝えた下層の音楽もあるはずだとぼくが気づくきっかけになりました。


その気づきが、ぼくにこのアルバムを作らせました。アイルランドの笛1本で録音した「My Generation」(2002年)です。
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●4月23日
ドロレス・ケーンの肖像画を、Kさんは『音楽未満』の補遺としてと注文してくださった。鋭い!『音楽未満』以降に長崎に来たぼくはハード・ロック好きになり、アイルランド音楽に深入りして音楽の聴き方がすっかり変わった。続篇を出す必要をぼくも感じている。画像は『音楽未満』のジャン・コクトー。


受注制作、ドロレス・ケーンの肖像。Kさんは『音楽未満』の原画と同じA4サイズを注文してくださった。それで、描き始めると80年代に月刊「音楽広場」(クレヨンハウス)に連載した時の感覚がよみがえってきた。あの時は水性マーカーで下塗りして色鉛筆で仕上げた。今回は水彩で下塗りしてみる。


受注制作、午後に載せた下塗りに魂入れて描き上げました。ドロレス・ケーンの肖像。なんかオソロシイ絵になっちゃたんで、オレは今、冷静に見られない。一晩置いてクール・ダウンして、明日必要なら加筆します。注文主のKさんにも画像を送ろう。…ふーッ、絵を覆って今日はもう見ないことにします。

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●4月24日
受注制作、ドロレス・ケーンの肖像。ちょっとうるさかったバックの緑色を静め、頭上に彼女の名前を書く。これで完成とします。『音楽未満』の原画と並べられる絵になったと思う。自然光で撮った写真の色、昨日より原画に近いです。注文主のオーケーが出たらサインと日付を入れて発送準備します。

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●4月26日
受注制作、ドロレス・ケーンの肖像画、注文主に気に入ってもらえました。「何だか途方もないものが出来上がったという印象です。アイルランドの緑の中に佇むドロレス。様々な思いを語りかけるかのような眼差しと表情。全盛期のあの声。彼女自身の人生…」よかった! 画像は部分。水彩と色鉛筆による。


アイルランドのドロレス・ケーンとイギリスのジョン・フォークナーが生み出した魂の名盤『Broken hearted I’ll wander』(1979年)。

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●6月8日
受注制作、集平のいるどこかの絵。今日は線画まで。大好きな五島の大瀬崎灯台を見下ろす高台(に似た場所)で、ぼくがティン・ホイッスルを吹いているところを描きました。向こうに広がる海は東シナ海。アイルランドのメロディとリズムが風に乗ります。次は楽しい楽しい塗り絵だよ〜ん。

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●6月9日
受注制作、B5サイズ、ほぼ完成です。注文主に見てもらってから仕上げます。「南風」という題にしよう。2002年に作ったCD-R「マイ・ジェネレーション」に入れたアイルランドの曲から。かつて南蛮船が行き交った東シナ海を背景にティン・ホイッスルで「南風」を吹くぼく。ああ、また五島に行きたい。

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●7月21日
こじこじ音楽団で下村誠・訳「Hard Times Come Again No More」を演りたくなって、彼のCD「Bound For Glory」の歌詞カードを見たらトラディショナル(作者不明)となってる。ちゃうちゃう、これフォスターが19世紀に作った歌でっせ。写真のフォスター歌曲集を昨夜じっくり聴いた。いい。オススメです。


アメリカ音楽の父といわれるステファン(スティーブン)・フォスターのことをぼくはよく知らなかった。彼はアイルランド移民の子で約200曲の歌を書いて1864年に37歳で貧困のうちに亡くなった。「白人向けに書かれた当時の楽曲には珍しく、黒人奴隷の苦しみに共感を示している」とウィキに書いてある。

上のCDから、ダグラス・ジマーソン(と読むのかな)による、きわめて原型に近い「ハード・タイムズ・カム・アゲイン・ノー・モア」。

【Hard Times Come Again No More】

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●8月10日
17世紀ごろから黒人奴隷やアイルランド貧民が英国のリバプールから米国のニューオリンズやニューヨークに渡航する。かの国で差別されながら生き抜き、やがてロックンロールを生む。それがリバプールに輸入されてビートルズを育む。目からウロコが落ちる本。オススメします。

ビートルズ都市論 ─ リヴァプール、ハンブルグ、ロンドン、東京 (幻冬舎新書)
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●9月14日
肉屋は賤業。日本では被差別部落、長崎ではカトリック、プロテスタント圏ではカトリック、カトリック圏ではユダヤ、最下層の稼業だった。ビートルズの通称ブッチャーカバー(1966年 画像)には細切れ肉みたいに作品を扱う米キャピトル社への皮肉とともに、ロックは賤業だという自嘲も込められている。


肉屋の白衣をブッチャージャケットというそうです。


ブッチャーカバーは、アイルランドの窮状を救うために子どもを食肉にして富裕層に売れという、ジョナサン・スウィフトの「穏健なる提案」(1729年)を思い出させる。アイルランド人特有の無表情のまま人を笑わせる皮肉や冗談を「死んだ鍋(Deadpan)」と呼ぶ。ビートルズもまた死んだ鍋だった。
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●10月15日
ジャガイモがなくなったので、人々がアイルランドからやってきたところがリヴァプールなのです。──ジョン・レノン

70年代に読んだ時はジャガイモ飢饉を知らなかった。日本人のビートルズ評にアイルランドは出てこなかった。視覚的には英国国旗が多用されていた。ビートルズをわかってなかった。


ぼくは司馬遼太郎の『愛蘭土紀行』で知りました。この本(番組もあり)でビートルズや『ガリバー旅行記』の作者スウィフトのアイルランド気質についても知りました。
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●10月29日
伝 レオナルド・ダ・ヴィンチ 作詞・作曲「Mouvesi L'amante」をティン・ホイッスル用に転調、テレビ・ヴァージョンを参考に採譜してみました。慣れない楽譜ソフトを使ったので、見た目イマイチですが、どうぞお使いください。タイトルの直訳は「恋人を動かす」。教訓的なラブソングのようです。

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●11月1日
ショーン・コネリーの訃報。90歳。ショーンはケルト語のジョン。写真は1966年「007は二度死ぬ」(翌年上映)ロケ時スナップ。ぼくの故郷、姫路は大騒ぎだった。今考えると、この年の夏にビートルズ、秋にショーン・コネリーが来日、5人のアイルランド系英国人がこの国をかき回したわけだ。ご冥福を。

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●11月4日
ビートルズは労働者階級出身で、労働者階級であり続けた初めてのバンドだった。通常は見下げられるからと訛りをやめるもんだけれど、僕たちはアクセントを変えなかったんだ。──ジョン・レノン

ぼくの記憶では、1960年代の日本人はビートルズを英国紳士と言っていた。わかってなかったんよ。


90年代に古代ケルト〜アイルランドが脚光を浴びる、それ以前と以降で、世界的にいろいろな物の見方が変わってきました。ヨーロッパ中世も前は暗黒時代と言われていましたが、今は肯定的に見られています。カトリックに対する評価も変わりました。
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●11月20日
リヴァプールの連中なんて、ロンドンじゃ黒人扱いさ。(ジョン)
リヴァプール訛りのせいで、田舎者扱いされたものさ。(ポール)
ちょっと薄汚れた感じだったけど、やっぱり素敵だったね。(ジョージ)
だれもがいつも言っているとおり、リヴァプールはアイルランドの首都なんだよ。(リンゴ)

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●11月21日
仕事場に飾ったタイタニック号とビートルズ「イエロー・サブマリン」の看板レプリカ。タイタニック号の母港はリバプール、潜水艦の発明者はアイルランド人ジョン・フィリップ・ホランド。今日の集平セミナリヨはこの辺をきっかけにアイルランドと長崎を語ります。お楽しみに。


セミナリヨから帰って日本シリーズ第1戦をテレビ観戦。ホークスがジャイアンツに5-1で勝ち、われら3人ハイ・タッチ。集平セミナリヨにもハイ・タッチだな。写真は今日話した、潜水艦を発明したアイルランド人、ジョン・フィリップ・ホランド。レオナルド・ダ・ヴィンチの夢を400年後に実現した人です。

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●11月23日
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論は宮本武蔵の五輪書に似ている。非情なまでの合理性、他流派(絵画論では彫刻や音楽など)を貶して我流を売り込む。レオナルドも武蔵も育ちが悪い。腕一つで勝ち抜いてきた。百戦百敗でも当人たちは百戦百勝のつもりでいる不撓不屈のアイルランド人気質にも似ている。

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●12月17日
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲をロックと同じように聴くという人がいた。その通り! ロックというパンドラの箱はベートーヴェンによって開かれた。下品で無価値だと忌み嫌われた大衆音楽を彼はベガーズ・バンケットに招く。動画はベートーヴェンが紹介したアイルランドの歌。

【Beethoven's Irish Songs for voice and piano trio (funny)】

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●12月30日
先日ケーブルテレビで映画「タイタニック」(1997年)をひさしぶりに観た。なつかしかった。3等船室の「本当のパーティー」のダンス曲を長崎絵本セミナリヨの人たちと演ったなあ。1912年にしてはモダンな編成と演奏だが、こうやってロックの種がアイルランドからアメリカに運ばれたと思うと感慨深い。



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