楊先生、ありがとう

楊名時先生追悼特集より


 楊名時先生が逝去された。7月3日午後0時22分 80歳だった。苦しむことなく、声をかけると目をぱっと見開き「はい」と返事され、家族の手を力強く握って「ありがとう」と言って逝かれたという。ご自分の足でしっかりと旅立たれた誠に見事な武道家の最期だった。

 7月29日帝国ホテルで行われたお別れ会には1,500人を超える人たちが、それぞれの思いを胸に献花の列に並んだ。

 日本を愛し、日本人の心にふさわしい太極拳を構成された。せっかちな日本人になかなか受け入れられなかった太極拳は、楊名時という種まき人をえて確実に根を下ろし実を結んでていく。そのご苦労は並大抵のものではないかったろう。天性の柔らかさで舞う先生の太極拳は、武術を芸術の域まで引き上げ、説得力に満ち、見る者を感動させた。不世出のものだろう。

 私事を少し。駆け出しのカメラマンだったころ無理がたたって重度の関節炎にかかった。藁をも掴む思いで、ふと書店で目にした空手着姿の楊名時先生の姿に強く惹かれ、門を叩いたのが四半世紀前。あのころは私たちの教室にもよく来てくださった。稽古の後の食事会も大きな楽しみだった。初伝から全て先生に審査をしていただいたことも今では夢のようだ。気持ちよくお稽古を続け、気がつけば関節炎をはじめ冷え性や慢性の胃痛もいつの間にか消えていた。2000年、コンピュータストレスから脳梗塞に、数回の発作にも命を落とすことなく、ここまで快復できたのも太極拳なしにはあり得なかっただろう。それからなにより教わった「心」のこと。くよくよイライラしがちな私に、のんびりとおおらかな生き方を示してくださった。おしゃべりが好きで、いつもユーモアを忘れなかった先生。先生の言葉にはいつも既成概念を覆されっぱなしだった。

「心偏に亡ぼすと書いて忙しいと読みます。忙しいときには旅に出よう」「人はそれぞれに長所、欠点があるからこそ素晴らしいのであって、優劣を物差しにしてはいけない。武道は生きる叡智を深く掘り下げ、高め、己を磨く道であって、勝敗に左右されるものではない。体の大きい人、小さい人、丈夫な人、弱い人、若い人、年輩の人、女の人、男の人、皆それぞれが自分の体に応じた太極拳を究めてこそ、その人が輝くのです」  望塵莫及(塵を見て遙かに及ばず)――師を失った今、私たち一人一人が先生の志「心の太極拳」を胸にしっかりと刻み、たゆまず稽古を続けていきたい。 



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