「芸術新潮」2010年1月号 わたしが選ぶ日本遺産
異文化混交という恵み ●長谷川集平 より抜粋

1、楊名時の太極拳
2、高田三郎の典礼聖歌
3、尾竹正一の弦楽器


 日本的なものを考える時に、この国の独自性や純粋性に注目するのは当然だが、ぼくはここが古代から異文化混交の場であったことに特別の魅力を感じる。鎖国はなかったというレトリックに違和感を持つのは、徳川時代の洗練は異文化混交のダイナミズムを拒絶・限定した結果であって、あの250年間の損失は決して小さくないと思うからだ。そのことを長崎に住んでぼくは考え続けている。
 ここでは個人の才能と研鑽によってなされた異文化混交、きわめて日本的でだれもが共有でき、ぼく自身がそこから限りない恵みを受けてきたものを選んでみた。

 山西省の武門に生まれ育った楊名時さんは京都大学に官費留学。新しい中国では毛沢東のもとに太極拳が健康法として再編される。その後、文化大革命の嵐が母国を吹き荒れ、楊さんは帰る故郷を失う。古来の太極拳の神髄はこうして日本に残ったのだ。
 空手を学んだ楊さんは独自の健康太極拳を工夫する。礼に始まり礼に終わる、立った姿勢で気を整える立禅を取り入れるなど、武道が生かされている。日本の禅の心は楊名時太極拳の細部まで浸透していて、よどみない動きの中に静寂がある。人に見せることを意識せず、BGMは使わない。上級者は空手着に黒帯を締める。稽古をした年月によって階位が与えられるが、優劣は言わない。和を尊び、競わず争わない。競技はしない。暴力によって奪われた伝統文化への楊さんの思いが託されているとぼくは思う。(後略)