インタビュー



『7月12日』復刊記念インタビュー




←27年ぶりに復刊された
『7月12日』(あかね書房)を手に。




'08年6月9日 シューヘー・ガレージで
集平=長谷川集平/Guitar Vocal
クン=クン・チャン/Cello Vocal

ジャスコの小さな書店に並んだ『7月12日』。いいねえ。

── 『7月12日』('81年)が復刊されることになりました!
クン わー、おめでとう! パチパチパチ(拍手)
集平 先月わかったのかな。タイトルが『7月12日』なのでそれまでに出すことになりました。驚いたよ。どうして復刊されることになったのかと聞くと、読者からの要望でボツボツ復刊してきてようやく『7月12日』に順番が回ってきたということらしい。出版社のセレクトなわけで、復刊ドットコムのリクエストじゃなくこうして復刊されるのは嬉しいね。出版社がもう一度振り返ってくれた。今はリサイクルの時代、過去のいいものを再評価する時期がきてる気がするな。
── 初版がだいぶ前だし初めて見る人も多いかもしれませんね。
集平 出てすぐ絶版になっちゃったんでね。ぼくも記憶があいまいで、あかね書房にも当時を知る人がすでにいない。誰が担当だったかもわからない。たぶん斉藤さんという女性だったんじゃないかと……。

松ノ木の玄関前で。木戸と生け垣がなかなかいい味出してたなあ。

集平 『はせがわくんきらいや』が'76年出版され、ぼくの絵本作家生活が始まって、'79年にクンが大学卒業、ぼくらはその3月に結婚した。松ノ木に家を借りて、電話を引いて、その時の貯金が……。
クン 5千円。
集平 ──で、そこの家賃が……。
クン 5万円。
集平 電気代やガス代なんかを払うと毎月6〜7万円必要だったのに、貯金5千円でぼくらは無謀にも結婚してしまった。
── 通信44号の年表にも「電話を引く」と特筆してあるでしょ。その前はなかったんですね。
クン 電報。
集平 ぼくはかなり不安ったけどクンは大丈夫大丈夫と言ってた。本当にどんどん仕事が舞い込んできたんだよね。
クン わっはっはっ。
集平 今、著作リストを見てるんだけど、'79年まではポツポツとしか本が出てなくて、1980〜82年にピークが来る。最も忙しい3年間だったね。'80年に『青いドッグフーズ』『たかし、たかし』が出てるでしょ、'81年『おさむ、ムクション』『日曜日の歌』『7月12日』。'82年の『土手の上で』でいちおう絵本作家としての一区切り。『夏の終わり』も単行本化された。
クン 『夏のおわり』は『トリゴラス』の次に描いてるんだよ。本の挟み込み(『叢書児童文学〈第2巻〉絵本の時代』世界思想社・'79年)で。
集平 この間の共作絵本は『おばけのドジドジ』『だれもしらない』『とっちゃんこぞう』『ぼく、おにっ子でいくんだ』『メアリー』。翻訳絵本『とてもかわったひげのねこ』、小説『夢の隣』を出してますわね。挿絵もすごいよ『もしもし、こちらオオカミ』『おれたちのはばたきを聞け』『おれがあいつであいつがおれで』『ピラミッド帽子よ、さようなら』『雪の日のりんご』『ゴンちゃんなんばしよるとや?』『つの笛がひびく』『川とノリオ』。

元祖「元気印」ステッカー。

── 雑誌も多かったでしょう。
集平 多かった。専門学校で教え始めたのもそのころで、池袋コミュニティカレッジを含め同時進行で3つは授業を持ってた。最多忙期ね。今国会議員やってる保坂展人との元気印もそのころ。
クン 元気印の第1回大会でスペシャル・サンクスがデビューしたんだよ。松ノ木から花小金井への引越を保坂さんも手伝ってくれたね。
集平 '80〜'82年、絵本作家・長谷川集平のイメージはその3年間でできあがったと思う。ぼくの一番華やかな時代で一番ダメだった時期。今のぼくが当時のぼくに会ったらぶん殴ってるかも、いい気になるなっ! て。
 '83〜'84年には急激に絵本ブームは冷えていく。同時にぼくには仕事が来なくなってった。ぼく自身も心身のバランスを崩して、自分を作り直す勉強と自己分析の時期に入ってく。そして80年代の後半に洗礼を受けるわけだ。

シューヘー・ガレージ売り上げNo.1のねこT、
じつはこじこじ屋敷で30年前に作られたロングセラー。

── ※シューヘーが住んでいた場所と年代:松ノ木(杉並区・'79-'81)→花小金井(小平市・'81-'85)→久我山(杉並区宮前・'85-'91)→長崎
集平 この絵に描いてある家は松ノ木のぼくらが住んでた風呂なしの家ね。近くに公園があってよく野球したな。
クン 和田堀公園。
集平 この家にはいろんな人が泊まりに来て、いろんな人がこの家で出会ったんだよ。
クン 新婚時代はお客のピークだった。私たちが松ノ木に住んだことで友だちも近くに引越して来たし。
集平 それで近くにアパート借りてこじこじ屋敷を始めたわけだ。シルクスクリーンでTシャツ作って売ったりして。
クン 結局わたしたちが引越すことになってこじこじ屋敷は閉鎖、藤井くんだけ残ってみんなバラバラに引越しちゃった。

松ノ木時代の集平とクン・チャン。
『日曜日の歌』の著者写真と同じ日に撮ったものと思われる。

集平 『7月12日』をいつどこで描いたかほとんど覚えてない。松ノ木だと思ってたけど花小金井に越してすぐに描いたんだね。『日曜日の歌』や『土手の上で』は描いてた時の瞬間瞬間、空気の感じまで覚えてるのに。たぶん住んでる家を追い出されて、まだ動揺してる中で描いたんだな。前に住んでた家をこうやって描き残しておこうという気持ちが強かったのかもしれない。
クン そう思ったよ。この家にすごく愛着があったもん。2年契約が終わって3年目、大家の娘婿に出てけって言われてね。
集平 夏の暑い日に大家の娘婿が殴り込んできて、地上げ屋だったんだね、プロの。暑いのに窓締め切って寝たのを覚えてるよ。これは出た方がいいってことだなと秋に引越したから2年ちょっとだな。
クン 次の花小金井の家は左翼のヤクザに追い出された……つづく

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