SHUHEI'S BLACK BOX SINCE 1996
ブラック‐ボックス【black box】 機能は知られているが、内部構造が不明の装置。または飛行データ記録装置。----『大辞泉』より

 『大きな大きな船』の表紙のふたりに吹く風

集平のメモ。古いメモは気まぐれに消えていきます。   長谷川集平をAmazon.co.jp和書で検索 Yahoo!オークションで検索


  

●去年は間に合わなかった七面山の啓翁桜(ケイオウザクラ)花見。きのう日曜日、雨の予報がなんとか持ったので行ってきました。

写真上左:山の下に「櫻が咲きました。三丁目七面山」と控え目に掲示してありました。写真上中:日本一狭い車道を登る。毎回会うブス猫が途中同行。写真上右:30分後には満開の桜の中。ただただ見とれる集平とシャッターを切り続けるクン。写真大:リセット気分でポカンと過ごす、結婚31周年を迎えた夫婦である。行ってよかったです。10/03/08



●映画「ダージリン急行」(07年)のサントラ盤に入っていたキンクスの3曲はすべて1970年のアルバム「ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組 第一回戦」(画像)から。手に入れて聴いてみた。すごいわ、これ。知らなかったことが悔やまれる。キンクスもっと聴かなきゃ。

エリザベス女王即位50周年記念ライブ(02年)で、キンクスのレイ・デイヴィスが「ローラ」を歌ってるのを観ていいなあと思いつつ、あの時はオジー・オズボーンとブライアン・ウィルソンのツーショットを観たとたんに他のことは霞んでしまった。
「ローラ」というオカマの歌を即位50周年記念に女王の前で歌っちゃって平気なところがイギリスだね。ユニオンジャックのジャケットを着て飄々と歌うレイ。王室の方々もうれしそうだ。そこにいるほとんどの人が歌を知っている。たぶん、「ローラ」以前と以降でイギリスは、世界は変わったのだ。
60年代カルチャーの一翼を担った国がこうして讃えられる。ステージの上は○○中毒やスキャンダルの前科者だらけ。そいつらが「サー」なんて称号を与えられて尊敬されている。日本とは全然違う。

「ローラ対パワーマン…」はキンクスの自伝的なアルバムで、「ローラ」は家を出た主人公の初体験を語りながら、まがいもの文化を自分に重ねる重要な歌だ。労働者階級出身の主人公たちは大ヒットを飛ばす。人気が出て有頂天になるが、結局「パワーマン」に操られているだけだ。「マネーゴーラウンド」すなわち業界。そこから出て自由に向かおうと主人公が決意するところでアルバムは終わる。
キンクスの音楽はねじれていながら根っこのところが明るい。めちゃロック、めちゃシンパシーを感じる。オレもそうだよと言いたくなる。オレもローラを、パワーマンを、マネーゴーラウンドを知ってるよと。10/03/05



  

下の記事の補足:これが崇福寺でたぶん350年使われてきたチープー(占卜)です。床に投げた時に左のようになれば曲面と曲面で否、中は平面と平面で否、右は曲面と平面で可。易占いの原初的なものと言えます。きのうの朝は早く終われたかな。10/03/02



●きのうはランタンフェスティバル最終日。春節祭の本体は福建省の人たちが護る崇福寺にある。ここまで来る観光客は少ない。写真は護法堂に献灯されたたくさんのロウソクを見るぼく。

三角亭の潘(バン)さんのはからいで、控室で汁ビーフンと生姜湯をいただいた。身体が芯から温まる。医食同源を実感した。
潘さんに聞いた話で特に面白かったのは、明朝5時に祭を終えるにあたって、神仏に「もう充分祭ったでしょうか? 片づけていいですか?」と伺いを立てるそうで、そのためにチープーという物を投げる。チープーはこぶし大の豆をふたつに割ったような一対の木片で、香を焚き、祈り念じてこれを床に投げる。曲面と曲面、または平面と平面が出ると答えはノー、30分置いてまた香を焚き、祈り念じてチープーを投げる。曲面と平面が出れば答えはイエス、イエスが出るまで祈り続け、チープーが繰り返される。昼までかかることもあるという。
チープーはどんな字を書きますか? と尋ねたら老人たちは知らず、後でやって来た留学生がクンのメモ帳に「占卜」と書いてくれた。ぼくは易者をやっていたので、陽と陽、陰と陰は凶、陰陽あい混じって吉ということかと合点した。華僑の人たちにそう言っても首をかしげている。チープーは350年かけて長崎と一体化しているのであり、そこに生きる人には小理屈は不要なのだろう。カトリック文化にもいえることだが、生活の中に溶け込んでこその信仰なのだ。

帰りに眼鏡橋あたりを散策した。チリの大地震の津波が長崎までも到達し、中島川が下から上にゆるやかに逆流していた。初めて見る異様な川面にランタンが映っていた。10/03/01



●映画「ショコラ」(00年)でナショナル製の鉄板リゾネーター・ギターを弾くジョニー・デップ。リゾネーター・ギター好きのぼくのツボにハマります。映画の出来はイマイチだったけどね。
ジョニーは水上を移動するジプシー団のひとり。後ろで微笑んでるのは町から町へチョコレートづくりを伝えるジュリエット・ビノシュ。ふたりはフランスの田舎町で出会う。この映画にぼくが好感を持つのは、彼らのような流浪の民が定住者に異文化をもたらす物語を綺麗に描いているからだ。

異文化といっても小難しいものではない。チョコレートはかたくなな心身をとろりと溶かし、教会や演奏会場ではない生活の場で奏でられる音楽は人を泣き笑いさせ、踊らせる。人を深いところから変える。変わることを人は恐れる。それゆえ、物珍しいうちは喜ばれても、そのうちにうんざりされるか過敏なサーモスタットが働いて、「河原乞食」たちは和を乱す悪魔として疎外され、迫害追放される。「バベットの晩餐会」のオペラ歌手も料理人バベットも悪魔呼ばわりされた。ぼくにも身に覚えのあることだ。

ドン・ジョバンニが男の悪魔ならカルメンは女の悪魔。ヤバいクラシックは大衆音楽に受け継がれる。それをぼくはロックと呼ぶ。悪魔そのものになって歌うブルースやロックは多い。ジャズには少ない。カントリーは悪魔よりも天使を好む。天使も悪魔もいない歌謡曲。それはなぜか。悪魔呼ばわりされた人間にしかわからないことがある、と言わせてもらおうか。「悪魔」だぜ。アホとかスケベとかクソッタレとか、そんなんじゃなくて。10/02/27



●昔の写真が出てきたと、ひらさんがメールにファイルを添付して送ってくれた。ネガケースに「78.7.15 ぐゎらん堂 by 平さん」と書いてあったそうだ。吉祥寺のぐゎらん堂。ひらさんはあのころカメラマンの卵だった。

これはその中の1枚で、マンドリンを弾くぼくと隣りのモザイク男は弟だ。演りたがりのふたりが突然席を立って歌い出し、お店をシラケさせた夜。クンはぼくが「ぐゎらん堂はもうダメだ」とプンプン怒って帰ってきたのを覚えていると言う。長谷川集平がやることは何でもウケる時代はもう終わりかけていた。マンドリンを力まかせに弾いて右手の指が血だらけだった。あまりいい思い出ではない。今でも夢で見てうなされることがある。ひらさんが教えてくれるまで、いつのことかを忘れていた。

1978年か……『トリゴラス』を出した年だな。79年にすばる書房が倒産する。慢性的な出版不況が来る。その予感もどこかにあって、23歳のぼくはブルーだった。作家としてやっていけるかどうか、何の確証もないうちに足もとががらがらと崩れていく。まだ結婚もしてなかった。

写真を見て気づいたのは天井に貼られたセックスピストルズのポスター。ぼくはよく自分はパンク世代だと言う、これはその証拠物件でもある。ひらさん、貴重な記録をありがとう。なつかしいけど、あそこには戻りたくないし、戻れないよ。10/02/25



●立ち読みして、思わず買ってしまった『ヤバいクラシック』(09年、樋口裕一、幻冬舎)のまえがきより。

「クラシックを聴くと、心が落ち着く。心の癒しにクラシックはぴったりだ」------そう語る人は多い。(中略)
 もちろん、クラシック音楽の中に、心が安らぎ、落ち着くような音楽がないとはいわない。バッハやモーツァルトの曲の中にそのような楽章は少なくない。だが、そうでない曲のほうが圧倒的に多い。穏やかな楽章があるとしても、ほとんどの場合、前後の激しい楽章をいっそう際立たせるために、それがおかれているにほかならない。「クラシックは癒しだ」と語る人はきっとクラシック音楽を一曲も聴いたことがないのだろう。(中略)
 私の好むクラシック音楽の多くがヤバいものだった理由は、簡単だ。要するに、クラシック音楽のほとんどが、誰が聴いてもヤバいからだ。
 そもそも現在「クラシック音楽」として一般に聴かれている音楽は、癒しを否定するところから生まれてきたといっても間違いではないと私は考えている


異議なし。芸術の多くは、外見はともかく中身は映画「エルム街の悪夢」のフレディ(画像は89年製フィギュア)であると今のぼくは言える。普遍的な芸術は、だよ。
ジョニー・デップ流れで観た映画「夜になるまえに」(00年)が激ヤバ。「潜水服は蝶の夢を見る」(07年)のジュリアン・シュナーベル監督作品だ。革命の時代を生きたキューバの作家レイナルド・アレナスを描く。ジョニー・デップはちょい役、それも最低の二役で、彼の名がなければ観なかったぼくのような人も少なくないだろう。その意味でもジョニーはいい仕事をしている。
ジョニー主演の「ネバーランド」(04年)は「ピーターパン」の作者ジェームズ・マシュー・バリを描いたマジカルな映画で、こちらもまたすこぶるヤバかった。

先生方、たしか「絵本はアートだ」とおっしゃいましたっけ。アートはヤバいって、わかって言いました? 10/02/23



●絵本作家・瀬川康男さんがきのう亡くなった。77歳だった。ご冥福を祈ろう。絵本のことだけではなく、瀬川さんと話したいことがいっぱいあった。教えてほしいことも。でも結局、会えなかった。瀬川さんは道を貫く人だった。理解者は多くなかった。良き理解者でライバルの赤羽末吉さんが90年に亡くなった時、瀬川さんは大丈夫だろうかとぼくは思った。赤羽さんも瀬川さんもいない絵本の世界はさびしい。絵本づくりイコール人生という人が本当に少なくなった。荷物の担ぎ手がひとりふたりと去ると、残った者の受ける加重が増える。それでいい。重い十字架ほど甘いはずだ。

藤田まことさんが亡くなったのもショックだった。ぼくは子どもの時に「てなもんや三度笠」を観た世代だ。きのうは一日中「♪てなてなもんや、てなもんや」と口ずさんでいた。

昭和は遠くなりにけり。ゴジラのシェーがなぜか今の気分にぴったりだ。あれを見た当時10歳の集ちゃんは幻滅したけどね。ゴジラは強面(こわもて)のままでいてほしかった。
センダックの『かいじゅうたちのいるところ』は原題の『Where the Wild Things Are』を神宮さんがああ訳したのだけれど、あれって怪獣じゃないよね。最初の翻訳本は『いるいるおばけがすんでいる』だった。ウエザヒル翻訳委員会訳、複数の監修者の中に三島由紀夫の名前がある。だから、三島さんのお墨付きで、あれはおばけなんです。ジミ・ヘンドリックスがカバーした「ワイルド・シングス」を思い出せばよろしい。そんなわけで、正しい怪獣はシェーをする前のゴジラであり、正しい怪獣絵本は『トリゴラス』なのです。一応、自分で言っておきます。10/02/19



●長崎にちょこっと寄港した世界最大級豪華客船クイーン・メリー2号。夕方には横浜に向けて出港しました。写真はうちから見たQM2、左が船首。松が枝ふ頭から後進離岸、そのまま行くと対岸にぶつかるので大きく曲がってこちら側に船尾を向け、前進で出て行きました。

水面からの高さは20階建てのビルほどの62メートル。右奥に白い線で写っている女神大橋をくぐり抜ける時、船と橋の隙間は3メートルしかなかったそうです。絵本『大きな大きな船』のモデルにしたタイタニック級のクリスタル・シンフォニー号より100メートル長い345メートル、重さは3倍の15万トン。これまで長崎に寄港した船で一番大きい。ぼくもこのクラスは初めて見た。

1月4日から4月22日で世界一周、全日程参加費用は200万円から2,000万円。乗る人がいるんだよな。きょうは2,500人が船を降りて長崎観光したそうな。ぼくらの感覚を見事に裏切る巨大な動く建造物。ぞっとするほど美しい。大きな大きな船には日暮れがよく似合う。世界の日暮れを思わせる。10/02/17 灰の水曜日



●13日(土)は姫路文学館「わたしの詩」発表会で講演。ここでの講演は十何年ぶりだった。会場は椅子が足りなくて急遽並べ足すほどの満員。ありがたかった。
写真は駆けつけてくれた高校の担任・岡田先生と。1970年代初め、国士舘出身の柔道現役バリバリの岡田先生と左翼気取りで長髪のぼく、火花散らしたなあ。岡田先生に投げられて投げられてぼくは柔道の受け身を覚えたんだ。岡田先生は卒業後もずっと気にかけていてくださる。再会は最高にうれしかった。
地元の文化人たちに囲まれた打ち上げは姫路出身のデザイナー・高田賢三さんの妹さんのお店「たかた」で。ごく庶民的なお好み焼き屋さん。ここで「ちゃんぽん」といえば、焼きそばと焼うどんのちゃんぽんなのだ。解散後、今度は文学館の学芸員・美女ふたりを誘って、詩人の大西隆志さんに連れられて場所を変えて呑んだ。楽しかった。

15日(月)は福岡県の○○中学校(関係者の要請で固有名詞を伏せました)で講演。寒い体育館の床に座らされた生徒がかわいそうだった。「北風と太陽」の北風みたいな学校。あれじゃ、子どもたちの身体も心も閉じてしまう。
前もって『はせがわくんきらいや』を授業で読んだそうだが、教師は絵本の中の長谷川君イコールこのぼくと教えていた。案の定、生徒に歩み寄って語りかけたぼくに応える子どもはいなかった。みんなうつむいて、ひきつった薄笑いを浮かべている。『はせがわくんきらいや』の「ぼく」みたいに関わろうとするやつはひとりもいない。さびしい日だった。

姫路と○○で1勝1敗。もっとこういう機会を増やして、読者と直に会って話さなきゃいけないと、今回ばかりは切実に思いました。10/02/16



●最近はこればっかり聴いてます。ウェス・アンダーソン監督による現代のマジカル・ミステリー・兄弟ツアー映画「ダージリン急行」(07年)のサントラ盤。インド音楽中心、それもサタジット・レイ映画のサントラ流用ときたもんだ。プラス、シンガー&ソングライターあり、ドビュッシーあり、ベートーヴェンの第7あり、シャンソンあり、なんでもありのようでいながら妙に統一感のある妙に気楽なCDです。キンクスやローリングストーンズも入ってます。

ウェス・アンダーソン映画にここのところイカレてましてね、もとはといえば年末にセイちゃんに借りたジャッキー・チェンのアクション映画の共演者オーウェン・ウィルソン流れでして、オーウェンとウェスは大学時代から一緒に映画を作っていたそうです。ぼくが最初に観たのは「ライフ・アクアティック」(04年)、一体こいつは何物だ、と気になって「ダージリン急行」を観て、これは本物だと思い、次が「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」(01年)ウェス君がぼくの大好きな映画「ホテル・ニューハンプシャー」(84年、トニー・リチャードソン監督)に大きな影響を受けていることがはっきりわかってきました。そう感じてる人がネット上にも多数おられます。

ただ、ここから先はぼくにしか言えないでしょうが、たしかにウェス君の世界は「ホテル・ニューハンプシャー」の原作者ジョン・アーヴィング的ではあるけれど、あっちになくてこっちに濃厚にあるのはカトリック臭さ、とりわけその笑っちゃうような家族関係と異文化交流。作品を貫くすべてがロックンロールなところです。新しい。ディーヴォのマーク氏を音楽監督に迎えたりするところ、たまらなく親近感を持ちます。今、洋画を10本を選べと言われたら「ダージリン急行」は間違いなく入るな。

……さて、これからアネ郎が書いて演出した芝居「西の魂舟(たまふね)」を観に行こう。10/02/05



●隣りの客はよく牡蛎食う客だ。きのうは京都造形芸大の准教授・中山和也さんが所用で来崎。夜はうちで生ワカメの春しゃぶ鍋を囲み、牡蛎を食べました。深夜まで食べ続け、牡蛎殻1箱約50個平らげました。有明海沿いの元祖牡蛎焼き小屋「高尾」のおばちゃんが卸す牡蛎は東京のオイスター・バーでは最高値がつくそうですが、地元ではめちゃ安。うまい牡蛎を心置きなく食べられるシアワセ。

中山さんはインスタレーションの仕掛人。京都造形芸大のHPにある自己紹介には「展覧会多数。最近では、ドイツ、スペイン、アメリカなど海外で作品を発表。恋人同士をありえない状況で遭遇させたり、展覧会に遅刻する作品だったり、新しい新幹線の駅を誕生させたり、森の中の坂道を転がる夏みかんであったりと、鑑賞者に『いったいこれが作品なのか?』という疑問を浮かび上がらせ、日常生活と作品とのギリギリな境界線を展覧会場にあぶり出す」とあります。
大学で一緒に授業をしているのですが、あまりじっくり話すことがなかった。きのうは実に刺激的で楽しい時を過ごせてうれしかったです。中山さん、ありがとう。10/01/31



●気になってジョニー・デップの出る映画を少しずつ観直している。観てないのも多い。「ドン・ファン」(95年)は前に観た時は印象が薄かった。ところが今回は強烈だった。自分はドン・ファンだと言い張る患者(ジョニー・デップ)を診る精神科の医者(マーロン・ブランド)。患者の語る色彩豊かな冒険談に次第に魅かれていく。
画像は医者が家でCDを聴いているところ。モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」だ。ジョバンニはイタリア語読み。妻(フェイ・ダナウェイ)はオペラ嫌いの夫をからかって「ベッドに行きたいの?」と言う。図星だ。ドン・ファンの登場によって夫婦の倦怠が破られる。
そういえば「バベットの晩餐会」(87年)に、旅の中年オペラ歌手が牧師の娘と「ドン・ジョバンニ」の二重唱を歌うシーンがあった。誘惑に耐えかねた娘が身を引き(サーモスタットが働いちゃったんだろうね)失意のオペラ歌手は村を去る。牧師の思惑通りである。牧師は村を悪魔から守ったのだ。

 そしてここに悪魔がいる。ヘーゲルの言いまわしを思い出すならいまがその機会だ。ぼくらが「モーツァルト」と呼んでいる男にとっては、とくに価値がある。「一般に、よく知られているもの、まさしくそれがよく知られているがゆえに知られているものは、知られていないのだ。なにかがよく知られているという前提に立って、それでよしとしてしまうのは、自己に幻想を抱いたり、他者に幻想を抱かせたりする、もっともありがちな方法である」
「ドン・ジョバンニ」の序曲は言っている。いまこそあなたがたにすこしばかり物事の本質を語って、地獄をかきまわすときだ、と。ぼくらは雲のなかにいるのではない。そこから降りてくるのだ。黒々とした、陽気で健康的な風が立つ。さあ、はじまったぞ。
------ソレルス『神秘のモーツァルト』より

この本、きょうが図書館の返却期限だ。この2週間でものの見方がだいぶ変わった。10/01/28



●きょうも防音室でリハビリ、もといリハーサルに励むシューヘー。がんばっちょります。

このページの下から2番目に紹介した李克勤(ハッケン・リー)の「護花使者」はアジアの広い範囲で流行っているらしく、きのうは李バージョンではなくぼくのオリジナル歌詞をマレーシア語に訳して歌っていいかという問い合わせが来た。断わる理由は何もない。「真っ赤な夕陽が燃えている」をマレーシアの人たちが歌って踊るわけね。「♪仕事は早めに切り上げて ハデにやろうぜ ゴーゴーゴー 踊ろうよ 笑おうよ 愛しておくれよ骨までも 一晩中起きていて 朝日が昇ればあしただよ」って。いいねえ!

『ホームランを打ったことのない君に』韓国版の打ち合わせが最終段階。台湾版よりも注文の多い料理店ならぬ出版社だった。王貞治は台湾籍、象島(城島)選手は日本籍、ならば韓国籍のプロ野球選手のエピソードも書き加えてくれと要求されたのにはびっくりした。もちろん原作になるべく忠実にとお願いした。いい絵本になりますように。韓国の子どもやおとなにビシッとしたものを届けたい。10/01/26



●図書館で借りた『神秘のモーツァルト』(フィリップ・ソレルス、集英社)を京都で読了した。面白かったなあ。面白いという表現はぼくは褒め言葉としてはあまり使わないんだけれどね。これは褒め言葉。手元に置いて、時々読み返したくなるような本だ。そう思ったのはルネ・ジラールの『このようなことが起こり始めたら…』(法政大学出版局)以来だ。

 ……モーツァルトの母の生家、咲き誇るエニシダ、しずかでひろい湖、そしてそこから、モーターボートでザンクト・ヴォルフガングの、岩の多い島へ。この十世紀の聖人が有名なのは、自身の教会を建てるに際して悪魔を働かせたあげく、狼に変えてお祓いしてしまったからだ。人間が手をこまねいて見ているあいだせっせと働いている悪魔、(中略)彼女はついに見出された息子の、ながったらしい名前のひとつに、この聖人ヴォルフガングを滑り込ませたのである。
 ヴォルフガング・アマデウス、このおなじゆりかごのなかの悪魔と神は、ともあれたいした芸術である。母親には母親の理性があって、それは一般的な理性の知らないものだ。彼女たちの理性においては、悪魔が仕事をして、神はその仕事を逆に祝福してしまうことがある。だから1778年、パリで客死した母親に対するヴォルフガングの冷ややかさは、けっして驚くにあたらない。
(『神秘のモーツァルト』より 堀江敏幸・訳)

巻末に著者推薦のモーツァルトCDリストがある。その中の「フリーメイソンのための音楽」(マルティン・ハーゼルベック指揮、ウィーン・アカデミー)を十字屋三条本店で見つけた。大当たりだったので、リストにあるバーンスタイン指揮、ウィーン・フィルの後期交響曲集を注文したのがきょう届いた。バーンスタインのモーツァルトを推薦する日本の評論家はきわめて少ない。半信半疑だったが、抜群の名盤でした。10/01/25



●映画「リバティーン」(04年)は17世紀イギリスに実在した放蕩のポルノ詩人の生涯を描いている。主役のジョニー・デップが美しく醜悪な演技で迫る。あっけにとられつつ観た。映画の冒頭、闇から浮かび出たジョニーは観客を見つめてこう言う。

初めに断っておく。諸君は私を好きになるまい。男は嫉妬し、女は嫌悪し、物語が進むにつれてどんどん私を嫌いになる。淑女たちに警告。私はところかまわず女を抱ける。これは自慢ではない。医学的事実だ。どこでもやれる。それを見た君は吐息を漏らす。よせ。想像に身をゆだねるだけなら災いを招かずに済む。ペチコートの中に私を招くな。紳士諸君は嘆くことなかれ。私はそっちもいけるから、気をつけろ。(中略)私がどう感じたか、たっぷりと思いめぐらせろ。彼も同じように震えたのだろうか。より深遠なものを見たのか。惨めな壁を突き破り永遠の恍惚を得たのか、と。以上が私の前口上だ。韻も踏まなければ上品ぶる気もまったくない。私はジョン・ウィルモット。第二代ロチェスター伯爵。私を好きにならないでくれ。

ジョン・ウィルモットは悪魔のように生き、梅毒に身体を蝕まれ、死の床で回心し33歳で亡くなった。きのうから読み耽っている本がこの映画をも説明してくれるような気がする。この辺が思想の最前線と考えていいのだろう。きわめてカトリック的かつ反カトリック的な。

ぼくたち、つまり女ともだちとぼくは、むかし、モーツァルトの音楽とサドのテキストを交互に流すというラジオの深夜番組をつくったことがある。ただちに苦情が殺到した。神聖なものと悪魔的なものをならべるなんて、いったいどういう了見なのか、と。しかし、それはじつに美しかったし、また、悪の信奉者にとっても善の信奉者にとっても、居心地の悪いものだった。両者は似ているのだ。サドとモーツァルトがおなじ世界に属していると言いたいわけではない。彼らはまた、塵芥(じんかい)の、あるいはシロップのなかにあって、不浄な世のなかでまあよしとしようとする連中をかき乱す、と言いたいのである。------『神秘のモーツァルト』(フィリップ・ソレルス:著、堀江敏幸:訳、集英社)より 10/01/15



●SansAmp「Classic 20」こんな商品が去年出とったんですわ。中古に見えますが新品でこの姿。20年間使ってきた某アーチストの持ち物のコピー塗装だそうです。みんなが同じキズ物を持ってるなんて変じゃない?

サンズアンプは1989年にニューヨークのTECH 21から発売。世界初の電池式小型アンプ・シュミレーターで、アナログ回路ながら3タイプの真空管アンプの音を多様にコントロールでき、有名アーチストが次々とレコーディングやライブに活用するようになる。どでかいアンプをフルテンにしなきゃ出ないような音が、これひとつで出る。

実はぼくも17〜8年間使ってきた。サンズアンプはその間2回生産中止になっている。再生産品には「Classic」のロゴが入って回路も変更されたようだ。それがまたなくなって、去年、発売20周年記念モデルとして回路を元に戻し、再々生産品「Classic 20」が出たんだそうだ。ぼくのはそれらの追加ロゴなし初期タイプ。ここまで傷んではいない。

きのう、手持ちの機材をあれこれ試してみた。次のライブもサンズアンプを使おうと思った。MXRのフェイズ90とサンズアンプだけで行けそうだ。ふたつともアメリカ製。日本製ではどうしても出せない音がある。技術の差、それとも目指すイメージの違いなんだろうか。
機材が決まったんでとりあえず安心してサンズアンプのことを調べていて、カート・コバーンも使っていたことを知った(画像)。あんなに好きだったのに知らなかったのがおかしいぐらいだ。ぼくらは同時代にいたということなのかな。この写真も17〜8年前のものだろう。機材は上のコピー塗装のようにボロになるかもしれないけど、心は、音楽は古びさせないぞ。10/01/06



東京・お茶の水のカザルス・ホールが来年3月に閉館というニュースは、まさに寝耳に水、あんな大切なものを失ってしまっていいのだろうか。ここのところの不況パニックの中で、ぼくらは多少の犠牲を払っても残さなければならないはずのものや人をどんどん切り捨てている。ホンダのF1撤退や名門スポーツ・クラブの廃部ラッシュにしても、おかしなことだと思う。ぼくに言えるのは、人間を豊かにさせるのは決して経済の豊かさではないということだ。

画像は92年3月9日、カザルス・ホールで開場前のサウンド・チェックをしているシューヘー。チェロを弾いているクンの向こうに写ってるのはぼくじゃなくて音響の人のようだ。
路傍の石文学賞の授賞式で演ってくれと言われて「ロックですよ? カザルス・ホールで、いいんですか?」と聞いたら、どうぞどうぞということで。会場の響きが素晴らしかった。
たぶんアンプリファイドされたチェロとギターをこのステージで鳴らし、ヤクザな歌詞を大声でがなったのはシューヘーが初めてで、その後もなかっただろうと思う。つまり、ぼくらは「室内楽の殿堂」カザルス・ホールで演奏した、たぶん唯一のロック・ユニットなんだが、ホールが来年以降も維持されて、あの場にふさわしいロックが出てくる時代が来ることを望みたい。

満員の会場にはドイツ文学者・高橋健二さん、児童文学者・灰谷健次郎さん、漫画家・永島慎二さん、ミュージシャン・下村誠さんもいた。この人たちはもうこの世にいない。あの人もあの人もあの人も来てくれた。長崎のテレビ局の取材もあった。ディレクターとカメラマンが家族連れで上京した。会場の入口にはプロレスラー・前田日明さんが贈ってくれた大きな花輪。……もう、ひと昔前のことなんだな。09/02/09




集平のビックリニュース ぼくの歌「真っ赤な夕陽が燃えている」の印税が入金されてる。なんだろなあ、前はカラオケ使用で何十円とか何百円、年に何回かの振り込みも少額過ぎて据え置き状態だったのが、すんなりと数万円入ってる。書類には国外使用と映画使用とある。詳細を知らされないので謎だったのが、曽我がついにネットで見つけました。
香港の有名スター・李克勤(ハッケン・リー)が「護花使者」というタイトルでヒットさせている。歌詞の内容はぼくのとは違うね。こうして歌うとまるで中国製の歌みたい。まんまセメントミキサーズのアレンジです。クレジットにぼくの名前が出る(間違えてるのもある)。観てちょうだい、ハンパじゃないから。
まずはビデオクリップ。91年、ぼくが長崎に引越してきたころじゃん。ということは、最近ブレイクする何かきっかけがあったのかもね。

※たぶん、これかな。アイドル時代劇で使われたようです。そういえば、アジア映画で集平さんの「真っ赤な夕陽…」がかかったんで驚いたと何年か前、だれかに言われたな。この曲は実はストレイ・キャッツもカバーしているワーレン・スミスの「ユバンギ・ストンプ」(56年)がネタなので、それじゃない? と答えたんだけど、なあんだ、やっぱ「真っ赤な夕陽…」だったんだ。ぼくとしてはパロディのつもりだったので作曲というのはこそばゆいけどね。

李克勤 護花使者 MV 1991 再生中画面クリックでデフォルトを表示


ライブ/チアリーダー付き/みんなで踊ろう/のど自慢などなど 再生中画面クリックでデフォルトを表示


……ね、めちゃ流行ってるでしょう? オレの知らんところでオレの歌が勝手に稼いでる。どう受け止めたらいいのか、じゃっかんパニクッてます。08/08/30


「護花使者」収録の李克勤(ハッケン・リー)大陸向けベスト盤(07年)



●JR新宿駅東口改札を出て左、丸ノ内線に向かう通路左側にベルクという19坪の小さな店があります。ビール、ワイン、日本酒、喫茶、軽食どれも最上のものを格安で出すので大人気。店内に写真や絵の展示もあって、昔の新宿の雰囲気も漂います。くわしくはHPを覗いてみてください。このクオリティでこの値段、お店が成立するのかしらと、びっくりするよ。

その店長が著書『新宿駅最後の小さなお店ベルク』を送ってくださった。実は店長の井野朋也さんと副店長の迫川尚子さんはぼくの絵本講座に来ていた人たちで、そのころ井野さんは学習塾の講師、迫川さんは小さな出版社を手伝っていたのかな。本によると90年にお店を受け継ぎ、試行錯誤を続けながら次第に幅広い客層を得たそうです。
ぼくらの知り合いの写真家・橋口譲二さんの写真集をバラして(ぼくが絵本をバラして見せたのがヒントになったと書いてある)額装して店内に飾ったのをとっかかりにして、本橋誠一さんのオリジナルプリントや様々な人の作品を紹介してきている。通信も出している。すでにお店に歴史が刻まれています。ぼくらが長崎にいる時間とほぼ同じ長さの時間がベルクにも流れていたのですね。
それが店舗スペースの現オーナーにあたるルミネから突然、立ち退きを迫られた。立ち退き反対の声がファンから上がり、常連客の編集者がベルクの本を出しましょうと持ちかけたそうです。応援サイトも立ち上げられています。

ぼくがうれしかったのは、今行っている大学でもそうなんだけれど、絵本作家なんてだれもがなるもんじゃない、それよりも、こうやって絵本を通して芸術・文化・歴史・社会を広く深く知り考えることが、それぞれの人生でいつか少しでも意味を持てばいい、その人を今いるところよりも前に押しやる推進力になればいいとずっと言ってきたのね。それをこのふたりは飲食店という場で生き生きと展開しているんだなあ。それでいて、しっかりと地に足がついている。お見事。この19坪の絵本を閉じさせてはいけないと思う。
HPの「店長に聞く!」というコーナーに次のようなQ&Aを見つけてぼくはニヤリとしてしまいました。井野さん、キープ・オン・ロッキンしてるよ。

Q29:自分の中でのヒーロー、ヒロインは?
ザ・ビートルズ。
Q30:これだけはやりたくないこと!
自主規制。

みなさん、ベルクを応援してください。新宿駅を利用する人はぜひお店に立ち寄ってください。一番の応援は客のひとりになることだと思う。08/07/04


garage@cojicoji.com
[index]へ戻る
[What's New?]●[シューヘーとは]●[LIVE・EVENTスケジュール]●[「シューヘー通信」を読もう]●[歌詞集]●[長谷川集平の仕事]●[PHOTOアルバム]●[本とCDの通販カタログ]●[集平のブラックボックス]●[クン・チャンのレッドゾーン]●[リンクページインターネット・コネクション]●[おまけネコ]