SHUHEI'S BLACK BOX SINCE 1996
ブラック‐ボックス【black box】 機能は知られているが、内部構造が不明の装置。または飛行データ記録装置。----『大辞泉』より

 デ・キリコ「通りの神秘と憂鬱」(1914年)による

集平が今考えていること、興味を持っていることのメモ。
新しい順に載せます。古くても残してるのもあります。

●下に載せた李克勤(ハッケン・リー)のベスト盤が到着。右は入手困難な香港オリジナル版、大陸版ではこの画像が盤面に印刷されている。
ざっと聴いてみたけど「護花使者」以外は、いわゆるアジアン・ポップスで日本の歌謡曲の広東語バージョンも数曲混じっている。でも、なぜか嫌な感じがしない。なんでかなあ。まず、どうしても素直に聴き流せないあの日本語の歌詞がないというのがあるかな。音だけだとまったく意味のわからない広東語だから。それと歌い方、最近の日本の若者のあの口先と喉だけのいやらしい子音と母音、音程とリズムの悪さ、ごまかしビブラートなどがなく、水準を満たす歌唱力を持っている。そうじゃなきゃ世界的に(普遍的に)プロの歌手になんかなれないでしょうと納得できる。バックの演奏も上手い。

いつから日本の歌はこんなになってしまったんだろう。歌謡曲って必要なんだよ,本当は。ぼくだって70年代の後半までは歌謡曲に感情移入していたもの。好きな歌がいっぱいあった。それに比べて、フォークやロックは斜に構えているような感じがしてた。そちら側にあえて自分を置いていた。それが、サザンオールスターズが出てきたあたりからだんだん歌謡番組を観る気がしなくなって、歌謡曲とフォークやロックの差がなくなっていって、今じゃJポップをかける美容院もラーメン屋も行く気がしない。
長崎に来たころに有線で和製ポップスをかける書店にぼくはクレームをつけて、以降その店ではクラシックの室内楽を静かに流し、ずいぶん居心地が良くなったものだが、今は店のあちこちに設置した宣伝用モニターの音が混じってやかましい。経営者は音大の声楽出身なのにね。

サザンは「勝手にシンドバッド」30周年のことし一区切りをつけたようだけれど、この30年間に日本人の心はあの歌のようにハイテンションで無意味な言葉の羅列になってしまった。躁状態がそうであるぶん、鬱状態もより深刻になっていく。
きのうの夜、ある寒村の老人たちが戦争体験を語るドキュメンタリー番組をたまたま観て、戦時の日本人の顔つきのゆるみのなさに目の覚める思いがした。明治・大正・昭和がいい時代だとは思わないとこないだ書いたところだが、それより今は劣化している。あの顔つきはこの30年で「♪胸騒ぎの腰つき〜」に置き換えられていった。

声でわかると思うんだよ。何を言っているのか理解できなくても声でわかる。ある人が米軍向けラジオで説教しているのがプロテスタントの牧師かカトリックの神父か、声を聴いてればわかると書いていた。ぼくもだいたいわかる。その人がどこに立っているのか。その意味で日本に今、どれぐらいリアルな、聴き手と同じ立脚点を持ち得る歌手がいるだろう。ダメなやつと和んでるようなのじゃなく、一所懸命生きている庶民に寄り添う、それを探して探して、ぼくは氷川きよしを見つけた。
絵本『ホームランを打ったことのない君に』の原画に取りかかる前で、あまり氷川ばっかり聴くので病み上がりのクンにうるさがられたこともあったけれど、ぼくにとっては今、大衆芸能はどこにいるのか、そしてそこからどこに向かうのかを見極めるために必要なことだった。野球という大衆文化を描く前に確かめておきたかった。

『ホームランを打ったことのない君に』は「よい絵本」に選定されたこともあって、じわじわ動き出したようだ。夏休み前の6月だけで500冊以上出荷されたという。最近の絵本出版ではびっくりするような数だと思う。そして読書の秋、やっと、ぼくの望んでいた状況になりつつある。
そんな時に李克勤の歌声を聴きながら新たに見えてきたことがある。それを形にしなきゃと思っている。08/09/05



●「護花使者」収録の李克勤(ハッケン・リー)ベスト盤を見つけてオーダー。01年に香港で出たものの07年リメイク大陸版。広東語のベスト盤が北京語標準の大陸で出るというのは大進出なんだろうな。こないだ三角亭の奥さんに、ぼくが昔作った歌が今、中国で流行ってるようなんですよと言ったら「あらあ素敵、よかったですねえ」と喜んでくださったんで、CDが届いたらまっ先に潘家の人たちに聴いてもらおう。

清の時代の短編小説集『聊齋志異(りょうさいしい)』(蒲松齢:作)の「花情曲」という物語に出てくる六天(リウテン)というキャラクターが、天帝から使命を受けて下界へやって来た護花使者。守護の天使ということね。日本では皇(すめらぎ)なつきが漫画化しているそうな。ネット上でちらほら見かける護花使者というハンドルネームは漫画やゲームの影響なのかもしれない。
李克勤の「護花使者」(潘偉源:詞)は、オレはおまえを守る天使になるぜというバッドボーイの熱烈ラブソング。こういうホットな歌が流行るというのは健全だな。

こないだからの個人的「護花使者」パニックがだいぶ落ち着いてきて、思うのは、あの歌のヒットの質と量はまったくぼくの想像を超えている。7月18日の記事に書いたように、ぼくは自分の作品を、気取りのない大衆的なものと見ていて、それが本来のポップアート、ロックということなんだろうけれども、山中恒さんが、自分は子どもの読み物作家で児童文学者ではないと言いたくなるのも、その意味でよくわかる。でも作り手の思いと裏腹に距離を置かれがちなんですよ。いつまでも遠巻きに見られてる。

踏絵を踏まないぼくにも要因があるのかもしれないけれど、それ以上に、これは長崎に来て痛感したことですが、芸術文化というのは生活に余裕のある趣味人のもので、庶民とは関係ないという先入観がまだまだ根強い。たしかに業界はお高くとまったセンセイだらけだし、それじゃなければウットリ系かオタクか卑屈な人気取り。ロックがまだ入ってきてないから、芸術文化がよそよそしい。
「やあ、よろしく」って右手を差し出したら、相手が強ばっちゃって「ちょっと待っててください、手を洗ってくるから」と、結局いなくなっちゃうようなことばっかり経験する。握手してから手を洗うやつもいる。

それゆえ、この「護花使者」のウケ方というか売れ方というか、を見て溜飲が下がりました。そうだよねーって。いいイメージトレーニングができた。遠くからエールを送られたような気がします。元気出して行こう。08/09/02



集平のビックリニュース ぼくの歌「真っ赤な夕陽が燃えている」の印税が入金されてる。なんだろなあ、前はカラオケ使用で何十円とか何百円、年に何回かの振り込みも少額過ぎて据え置き状態だったのが、すんなりと数万円入ってる。書類には国外使用と映画使用とある。詳細を知らされないので謎だったのが、曽我がついにネットで見つけました。
香港の有名スター・李克勤(ハッケン・リー)が「護花使者」というタイトルでヒットさせている。歌詞の内容はぼくのとは違うね。こうして歌うとまるで中国製の歌みたい。まんまセメントミキサーズのアレンジです。クレジットにぼくの名前が出る(間違えてるのもある)。観てちょうだい、ハンパじゃないから。
まずはビデオクリップ。91年、ぼくが長崎に引越してきたころじゃん。ということは、最近ブレイクする何かきっかけがあったのかもね。

※たぶん、これかな。アイドル時代劇で使われたようです。そういえば、アジア映画で集平さんの「真っ赤な夕陽…」がかかったんで驚いたと何年か前、だれかに言われたな。この曲は実はストレイ・キャッツもカバーしているワーレン・スミスの「ユバンギ・ストンプ」(56年)がネタなので、それじゃない? と答えたんだけど、なあんだ、やっぱ「真っ赤な夕陽…」だったんだ。ぼく作曲というのはこそばゆい、でも、ちゃんと著作権登録されてるんだよ、セメントミキサーズがCD出した時に。前例は山ほどあるから許されよ。

李克勤 護花使者 MV 1991


ライブ/チアリーダー付き/みんなで踊ろう/のど自慢などなど 再生中画面クリックでデフォルトを表示


……ね、めちゃ流行ってるでしょう? オレの知らんところでオレの歌が勝手に稼いでる。どう受け止めたらいいのか、じゃっかんパニクッてます。08/08/30



●きのうの夜はホークスの新垣投手が今シーズン初勝利でお立ち台で泣くのを見届けてから、チンチン電車に乗って崇福寺まで。読経続く境内を散策しているうちに10時を過ぎ、金山銀山を燃やすクライマックスがやって来ました。爆竹が弾け、炎が空高く上がる。暦の上は秋なれど、長崎の夏を締めくくるのが中国盆

お金に見立てた紙製の金山銀山に毎年点火するのは『ホームランを打ったことのない君に』の球場のフェンスに店名を書かせてもらった三角亭のご主人・潘(バン)さん。潘さんは崇福寺の総代、ということは長崎華僑のビッグ・ボスだ。三角亭は港の小さなちゃんぽん屋で、潘さんはお店では呑気なおっさん風なので、そんなに偉い人だと気づくお客はいない。ぼくらに対しては威張ったところのこれっぽっちもない。忙しそうに境内を行き来する潘さんを見つけて挨拶すると「こいを持って行かんね」と縁起物の饅頭72個入りの箱を奥から出してポンとくださった。太っ腹ー!(食べきれないので、きょうはクンが西坂教会の神父様がたにおすそ分け。大変喜んでいただけたとのこと。実に長崎ですな)

ぼくは境内に飾られるあの世の(絵の)商店街が好きで、おととしはサルコーデ・ナガサキに描いた。第2楽章・夏「24 あの世の楽器店」お店の前に登場してもらったのは故・高田渡。楽器店の隣には渡さんの歌「ブラザー軒」にちなんで架空の「兄弟軒」を描きました。あの世で使うお金が足りないと困るだろうとお盆ごとに金山銀山を燃やして送金してあげる、渡さんの歌の世界みたいでしょ?

長崎の中国文化は古い形を保持しているので、同じものでも台湾では新しい形に変えられていたり、共産党が宗教弾圧したために中華人民共和国では途絶えているものもある。長崎だけの中国文化。龍(じゃ)踊りも古い型、ここで長い時を経るうちに和風も混じる。ちゃんぽんは長崎で考案されたものなので日本料理とも言える。中国にちゃんぽんはない。
アメリカ文化にもそれは言えることであって、ブルースはアフリカにはない。ブラジルにもない。あれはアフリカ出自だとかラテン出自だとか、いやいやユダヤだ、アイルランドだ、それもプロテスタントだカトリックだなどとルーツ争いをしても仕方ないのであって、隠蔽されてきたものにスポットライトを当てて歴史の見直しをすることはあっても、最終的にはアメリカという開かれた場でそれらがいかに出会って普遍に向けて昇華してきたかというところを見なきゃ、本質から目を逸らすことになってしまうんじゃないかとぼくは思う。

長崎に伝わった中国音楽・明清楽は江戸後期から明治初期に全国を席巻するが、日清戦争の時に敵性音楽として禁止・弾圧される。今かろうじて伝承されているものは、リアル・ミュージックとは言えない、昆虫採集の標本みたいなことになってしまっている。
日本はこの前の戦争ではアメリカ音楽を敵性として禁止・弾圧しますね。ぼくの父は南方戦線でゲッツィ楽団の「碧空(あおぞら)」を蓄音機で聴いたと言っていた。あのコンチネンタル・タンゴは同盟国ドイツの音楽だから許されたわけです。日本は何かと閉ざす傾向があります。
ジャズを演るには上海に行かなければならなかった。上海のジャズ屋たちの悲喜劇を「上海バンスキング」という芝居が描いている。主人公たちがこき使っていた中国人召使いが、実は大学でフランス語を教えていた教授で、その家の持ち主だったと戦争が終わってみてわかる。主人公たちは自分をより小さく感じて恐縮してしまう。夏はランニングに短パン、サンダル履きで店に出ている潘さんを見て、ぼくはあのシーンを思い出すのです。08/08/29



●きのうは柳川で講演。福岡県南筑後地区子どもの読書活動推進連絡会議のイベントで、200人ぐらいの熱心な人たちの前で喋ってきました。柳川ではことし2回目の講演、手応えありました。参加してくださったみなさん、ありがとう。ぼくらの時代の絵本が経験してきた大切なことを語り継ぐためにも、こういう機会を増やしたいと思います。どうぞ気楽にお問い合わせください。

ブルーグラス・ジャーナル「ムーンシャイナー」(BOMサービス、525円)8月号はアメリカ音楽の成り立ちに興味を持っている人、必読です。マイク・シーガーによる「初期アメリカ南部ギター」が貴重だし、渡辺三郎さんの講演原稿をもとにした「ムーンシャイナー2008年版 アメリカの歴史、前編」は目の鱗がポロポロと落ちっぱなし。後編が待ち遠しい。ぼくがあいまいにしか知らなかったことがはっきり書いてある。少し抜粋させてもらいますね。

[1492、新大陸発見「スペインとポルトガル」]イタリア人のコロンブス、スペイン王室の援助で西インド諸島に到達。アメリカ大陸発見はこれより500年ほど前、1000年頃にノルマン人のバイキングが到達しているが、植民地化には失敗している。(中略)おそらくカトリックとプロテスタントの違いでもあると私は思うのだが、カトリックに混血が多いことは中南米や南米を見れば明らかだし、一方、北米のプロテスタントには混血が少なく、そのゆえに音楽発展上も北と南で大きな差があるように思う。

[1619、最初の奴隷]アメリカに最初に連れてこられた黒人奴隷は、この年にオランダの船に積まれた20人だったという。皮肉なことに次項に登場するアメリカ建国の父たちを乗せたメイフラワー号よりも一年前
(のことだ。中略)

「メランジオン」(Melungeon)という人たちの存在のことにも言及しておこう。米国でもほとんど知られない彼らメランジオンは、ラテン系も含めた白人と黒人や先住民とが混血した人たちで、アトランティック・クリオールという表現もあるそうだ。現在その文化の痕跡は残っていないというが、A.P.カーターと曲探しをともにし、メイベル・カーターのギター奏法に多大な影響を与えたというギタリストのレズリー・リドルや、おそらくカーター&ラルフ・スタンレー、ジミー・マーチン、エルビス・プレスリーさえもがその子孫であるという説もある。たしかに、彼らの顔をよく見れば、同じ白人でもラテン系の雰囲気が漂っている。彼ら、メランジオンの多くは東テネシーを中心とした、まさにブルーグラス/カントリーの故郷のど真ん中にいる。第2次世界大戦のときに、白人として遇されるようになったというが、長年にわたって差別される対象であったことは想像できる。

この後、[1620、アメリカ建国の父][1650、スコッチ・アイリッシュ][1776、アメリカ合衆国独立][1818、フロンティア]そして後編に続く。こういうことを踏まえて、ブライアン・ウィルソンとヴァン・ダイク・パークスの「SMiLE」を聴き直そう。BOMサービスを応援するためにも買って読むべし。08/08/27



●きのう雨天中止になったKスタ宮城の室内練習場で野村監督と王監督がインタビューを受け、野村さんの星野ジャパン批判独演会になったようだ。このスポニチの記事には、最後に王監督がポツリとひとこと言うシーンが書かれていて、ニヤリとさせられる。いいなあ、元ホークスと現ホークスのこのふたり。

下は1974年というから、ぼくが名古屋で美大浪人をしていたころ、南海ホークスの野村克也監督・捕手の雄姿。男臭い観戦席。このころはプロレスもプロ野球もそうだった。
この写真を見て思い出した。ぼくの誕生日と同じ19番を背負う野村さんを阪神ファンのぼくはひそかに応援していた。この年の秋、讀賣の長嶋茂雄が現役引退、下宿の隣の部屋からテレビ中継と先輩の嗚咽が聴こえてきたが、ぼくには何の感慨もなかった。長嶋幻想を捨てないと日本のプロ野球は強くなれないんじゃないかな。08/08/25







●本邦初公開画像。ぼくの絵本『ホームランを打ったことのない君に』第8画面と、左が参考にした現役時代の王貞治選手の1本足打撃フォームです。掲示板にぼくはしばしば王語録を引用した。彼の言葉には間口と奥行きがあり、聞いた人を開かせる。五輪野球日本代表監督とは人間の出来が違う。

きょうの一言は8月18日のこれ。試合前に王監督がインタビューを受けていたら、打撃練習をしていた高谷の打球がバックネット近くのファンの近くに飛ぶ。危ない! そこで、

王監督 気を付けてよ。おれが一番、信用してないんだから。みんなは信用してるみたいだけど。おれは自分でやってたから思い通りにいかないのは分かってるからね。

……自分の思い通りにいかないことを知る。ものすごく難しく厳しい。08/08/22



●禁断のブートレグ「The Beach Boys / SMiLE - a reconstruction」。いつか出るとは思っていた。調べてみると、これは04年にブライアン・ウィルソンが完成させた「スマイル」を60年代の音源で再構成したもので、05年にネット公開されていた。非売品と書かれている。ぼくが手に入れたのは、このデータをCD化したもの。ジャケットはマニア心をくすぐるオリジナル・デザインが使われている。探せば簡単に見つかると思う。04年版以前の編集盤とカップリングで少々高い。

20代のブライアンが完成させられなかった「スマイル」の音源を含むCDが、オフィシャルとそうでないものとぼくの手元だけでも20枚はあるだろうか。いろいろ資料に当たって、たぶんB面の1曲目は「グッド・ヴァイブレーション」だろうなどと推理して自分だけの「スマイル」を編集するのが、長年マニアの楽しみだった。実は集平版「スマイル」もあって、かなり気に入っていたのだけれど、04年にブライアンとヴァン・ダイクが完成させたものの圧倒的な説得力の前に吹き飛んでしまった。

けれどもブライアン&ワンダミンツが円熟した隙のない演奏を聴かせる04年版を、それもスタジオ盤ライブ盤と聴き続けるうちに、60年代のビーチボーイズの初々しさも捨て難いぞという気持ちがまたぞろ湧いてきて、そもそもぼくらが「スマイル」にあんなにこだわっていたのは、オリジナル音源の蠱惑によるところが大きかったのだ。ビーチボーイズの5人にしか出せなかったサウンドがある。完成版は文句のつけようもないのだけれど、どこかたとえばレオナルドのボロボロの「最後の晩餐」を今の画家がきれいに復元したみたいな、そりゃそうなんだろうけれど何かが足りないという気持ちになってくるのだ。

オリジナル音源を使って04年版と同じ流れを作れないだろうかとファンたちは思い、たぶんいくつものまたまた自分だけの「スマイル」作りにかかったと思う。ぼくも少し試みたのだけれど、やはり相当なマニアじゃない限り音源が足りないし、編集能力がない。それをやってのけたのがこのブートレグというわけ。ピッチやテンポのズレを直し、複数の音源をマルチトラックで合成し、ステレオ化している。

まさに禁断の果実。聴きハマってしまった。しばらくは繰り返し聴くことになるだろう。ブライアンとヴァン・ダイクが書き加えた新しい歌詞は抜けている。だから、そこはカラオケみたいに聴こえる。
耳を澄ますと狂気を含んだすきま風が吹いている。この青いすきま風は何十年もかけてブライアン本人が心身の健康を取り戻していくうちに埋めるしかなかったんだろう。04年版はやはり素晴らしいし「スマイル」というタイトルにふさわしい。置き忘れてきたのは青春の光と影なんだろうが、それはもっと強い光と影を知れば、あきらめのつくことだ。08/08/08



●きのうは轟峡に水汲みに。サルコーデ・ナガサキ第2楽章に描いた楊柳の滝の下に立ち、涼みました。
帰りにジャスコ東長崎店で安めの浴衣と角帯セットを購入。着物を当たり前に着こなせる日本のオトナにならんば、などと思いつつ自分の着物を持ってなかったので、恥ずかしながら家で帯締め練習。
よく見る「貝の口」という締め方は町人風と知り、それなら侍や浪人が着流しに締めた「片挟み」で行くぞと、いや、この方が簡単なんで……こうしてこうして、それから、え? ちょっと待てよ。あ、右と左が逆だわ。やり直し。こうしてこうして……暑い、汗かいちゃった……。

そのジャスコの1階の食料品売場の横の小さな書店でぼくの『7月12日』を見つけました。いいねえ、このシチュエーション。万国旗。ピカチュウの下にぼくの絵本。児童書専門店にお上品に並んでいるよりも、これですよ、これ。
ぼくの絵本は生活の中に置いておいてほしいと前から思ってきたけれど、なかなか実現しなかった。都会では健康食品店や有名百貨店のセレクションに並んでいるらしい真知子さんが作ったジャガイモが、でも近所の八百屋さんの平台の上に置いた方がおいしいんだろうなと思うほどに。
いいなあ、あかね書房の営業力。うれしくなっちゃった。たぶん『ホームランを打ったことのない君に』も近々こういう扱いになると思います。そうなれば、読者との出会いのチャンスががぜん増えることになる。待ってました! つう感じです。08/07/18




●JR新宿駅東口改札を出て左、丸ノ内線に向かう通路左側にベルクという19坪の小さな店があります。ビール、ワイン、日本酒、喫茶、軽食どれも最上のものを格安で出すので大人気。店内に写真や絵の展示もあって、昔の新宿の雰囲気も漂います。くわしくはHPを覗いてみてください。このクオリティでこの値段、お店が成立するのかしらと、びっくりするよ。

その店長が著書『新宿駅最後の小さなお店ベルク』を送ってくださった。実は店長の井野朋也さんと副店長の迫川尚子さんはぼくの絵本講座に来ていた人たちで、そのころ井野さんは学習塾の講師、迫川さんは小さな出版社を手伝っていたのかな。本によると90年にお店を受け継ぎ、試行錯誤を続けながら次第に幅広い客層を得たそうです。
ぼくらの知り合いの写真家・橋口譲二さんの写真集をバラして(ぼくが絵本をバラして見せたのがヒントになったと書いてある)額装して店内に飾ったのをとっかかりにして、本橋誠一さんのオリジナルプリントや様々な人の作品を紹介してきている。通信も出している。すでにお店に歴史が刻まれています。ぼくらが長崎にいる時間とほぼ同じ長さの時間がベルクにも流れていたのですね。
それが店舗スペースの現オーナーにあたるルミネから突然、立ち退きを迫られた。立ち退き反対の声がファンから上がり、常連客の編集者がベルクの本を出しましょうと持ちかけたそうです。応援サイトも立ち上げられています。

ぼくがうれしかったのは、今行っている大学でもそうなんだけれど、絵本作家なんてだれもがなるもんじゃない、それよりも、こうやって絵本を通して芸術・文化・歴史・社会を広く深く知り考えることが、それぞれの人生でいつか少しでも意味を持てばいい、その人を今いるところよりも前に押しやる推進力になればいいとずっと言ってきたのね。それをこのふたりは飲食店という場で生き生きと展開しているんだなあ。それでいて、しっかりと地に足がついている。お見事。この19坪の絵本を閉じさせてはいけないと思う。
HPの「店長に聞く!」というコーナーに次のようなQ&Aを見つけてぼくはニヤリとしてしまいました。井野さん、キープ・オン・ロッキンしてるよ。

Q29:自分の中でのヒーロー、ヒロインは?
ザ・ビートルズ。
Q30:これだけはやりたくないこと!
自主規制。

みなさん、ベルクを応援してください。新宿駅を利用する人はぜひお店に立ち寄ってください。一番の応援は客のひとりになることだと思う。08/07/04



●蛍狩り、といっても狩りじゃないよ。日曜日の夜、御湯神指しの帰りに生涯最高の蛍の群舞を見た。小川に覆いかぶさる黒い茂みが巨大な幅広の初夏のクリスマスツリーになって、あれは不思議だな、何百何千の蛍が呼吸を合わせるように一斉に灯り消える。それを繰り返しながら飛び回る。聞こえるのはせせらぎと、後方を時おり通る車の音だけ。そこにいるのは立って見ているぼくらと、離れたところに並んで座っているアベック1組だけ。これまでにぼくらは何度あの後方の道を行ったり来たりしただろう。知らずに通り過ぎていた。こんなに多くの蛍がここで生きて死ぬのを。

きのうの夜はとんかつの浜勝で、掲示板よくここまでやった乙カレーの乾杯。想像以上の開放感。

さて、これから歯科に行きます。去年抜いた親知らずの根っこがまだ残っていたのを歯医者さんが見つけて、きのう抜いて、きょうは傷跡の消毒です。親知らず……なんだかぼくのありようが口の中に箱庭みたいに表われているな。でも、これですっきりです。08/06/03


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