SHUHEI'S BLACK BOX
SINCE 1996
ブラック‐ボックス【black box】 機能は知られているが、内部構造が不明の装置。または飛行データ記録装置。----『大辞泉』より
新作絵本『小さなよっつの雪だるま』(ポプラ社)より
長谷川集平を Amazon本で検索 Yahoo!オークションで検索 ★復刊リクエスト
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こじこじ音楽団「夜明けを待ってる」mp3が再生できるプラグインが必要です mp3ダウンロード(3.5MB) スライドショー
●映画「悪人」を観て、ぼくは浦山桐郎の映画「私が棄てた女」(69年・画像)を思い出していた。李監督の「フラガール」を観た時も浦山の「キューポラのある街」や「青春の門」を思い出した。浦山と李がつながって見えるのは、どちらも棄てられた人たちを描くからだろうか。
福島出身のM君に「私が棄てた女」を観せたくて、調べたら中古のVHSに2万円以上の値がついていた。DVD化されてない。それで、前にケーブルテレビのノーカット放送を録画したテープを探してDVD-Rにダビングした。
観ながらぼくは泣いた。この映画でこんなに泣くのは初めてだ。泣くポイントも前と違う。浦山はよく「東北を知らずに日本を語るな」と言った。東北と九州が好きだった。この作品はなかなか公開されなかったし、浦山はその後長い間映画を撮れなかった。そんなところもぼくは受け継いでいるのかもしれない。それは映画や出版が依存している経済や社会の仕組みと、そこから出てくる「自然な」感覚に合わない表現だから、ぼくらが乗っかってるのは棄てた者の作り話であって、棄てられた者の真実ではないからだ。
浦山は徹底してこの国が棄ててきた者たちを描いた。主人公は福島出のカッペ女を棄てて昇進するが、その彼もとっくの昔に棄てられているのだ。東京電力が福島に原発を作ったのと同じで、東北はああやって金だけ掴まされて棄てられたのだし、東京でしあわせになろうとしている人だってとっくの昔に事の中心から置き去りにされているのだ。あとはただ作り話に身をゆだねて快と不快の間を行ったり来たりしているだけだ。浦山の映画は間を空けて観るたびに近づいてくる。今は近すぎて息苦しいほどだ。M君、送るから観てね。12/02/04
●長野ヒデ子さんは去年の夏に福島の草野心平記念文学館で絵本原画展を開いた。心平の詩の本に絵をつけている縁もあるが、風評で訪問者の減った場所に少しでも人を呼べたらと引き受けたようだ。その時に原発作業員の食堂に連れて行ってもらって食事をした。それがあまりに不味くて悲しかったと話してくださった。
絵本『海をかえして!』(97年、丘修三・文、長野ヒデ子・絵、童心社)で諫早干拓事業にたてついてからは長崎に呼ばれなくなったと言われた。長野さんのようなナイーフな絵本描きが誠実に仕事をしていくうちにそんな目に遭う。
脱原発の某ツイッターにニーチェの言葉が引用されていた。「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である」……キリスト嫌いのみなさんが好むニーチェはしかし気が狂って死んでしまったではないか。個人の狂気は稀なことではない。原発は狂ったやつらがやっている、自分はあいつらとは違うと思っているうちは何も変えられないだろう。
おととしの今ごろ、やっと観た映画「エルム街の悪夢」(84年)にぼくは圧倒されていた。フレディ(上のアニメGIF)の着るボーダー柄をいっそう好きになった。昔から囚人や狂人に着せて目立たせていた縞模様。道化師や芸術家が好んで着るのは彼らが、そしてぼくも狂気のプロだからだ。12/02/02
●電話で話した長野ヒデ子さんにアーサー・ビナードが広島に引越したと聞いた。東京の家を引き払ってはいないそうだが、神戸に引越したスズキコージとともに絵本の大事な作り手の疎開だ。
きのう、ふとストラヴィンスキーの「兵士の物語」日本語バージョンが子ども向けCDで出ていたことを思い出し、聴きたくなった。反則だがニコニコ動画で全篇聴ける。兵士:巻上公一、悪魔:デーモン小暮閣下、語り手・王女:戸川純というキャスティング。指揮:斎藤ネコ、小編成の演奏は梅津和時ほか、挿画:山本容子……このメンツを見て発売当時(1992年)ぼくは買うのをためらったのだった。彼らが活躍していた時代の生々しさがなくなった今、聴けばあまりに素晴らしい。聴かなかったことを悔いた。CDは廃盤でべらぼうな高値で取り引きされている。どうしよう。
ドビュッシーから後輩のストラヴィンスキーに接近したというが、仲良くなったふたりはストラヴィンスキーの新作「春の祭典」をピアノ連弾し、言葉を失うぐらい感激して抱き合った。その数日後のニジンスキー振り付けによる1913年パリ初演の会場は非難の嵐で大スキャンダルになる。映画「シャネル&ストラヴィンスキー」(2009年)の冒頭で会場の混乱が描かれていた。ストラヴィンスキーが「兵士の物語」を書いたのはドビュッシーが亡くなり、第一次世界大戦が終結した1918年だ。クラシック音楽はあの大戦とともに終わったという説に従えば、これは最後のクラシック音楽だろう。
ぼくは『音楽未満』(91年)にこの曲のマルケヴィッチ/コクトー盤について書いた。今ならネコ/デーモン盤を書くだろう。日本語でおもしろおかしく聴いていくうちに、原発依存こそ悪魔の究極の誘惑だったと思い至るのだ。対訳ではそこまで気づけなかった。12/01/31
●新作絵本『れおくんのへんなかお』のデザイン・編集作業が急ピッチで進んでいる。いい感じです。
きのうはランタン・フェスティバルのアトラクションで、クンの率いる楊名時太極拳長崎県支部の有志が孔子廟で演舞しました。ぼくは去年に続いてPA係で参加。ワイヤレスマイク・システムもSE用のiPodもアンプも電池駆動。こんな機材であの広い回廊のすみずみまでクリアーな音が届く。びっくりです。2月3日(金)17時10分から同じ場所でもう1回。
ソフビ・トリゴラスのマーミット・バージョンがいよいよ受注販売されます。原画展バージョンと色違い。どちらも欲しくなるよね!
『ペレアスとメリザンド』の原作者メーテルリンクといえば『青い鳥』ですが、ぼくは子ども向けにリライトされた本しか読んでいない。そういう人、多いんじゃないかな。ちゃんと読まなきゃと新潮文庫の古本を買いました。小さいころ、チルチル・ミチル像が家に飾ってあった。児童書を読み始めた息子のために、たしか姫路の中井三成堂で見つけて両親が買ったものだと思う。画像は白い石膏像の写真の色を加工してみた。こんな色の小さい像だった。あれからずっと、ぼくは青い鳥を探し回っている。12/01/29
●小説『悪人』に出てくる樺島灯台に行ってきた。昭和7年に作られた風格のある灯台だ。退息所などの建物もそのまま残っている。しかし、まわりが金網で囲われていることや諸々の条件で映画に使われなかったのが行ってみてわかった。ともあれ、青い空と海に白い灯台がよく映えて美しかった。
画像はドビュッシーが唯一完成させたオペラ「ペレアスとメリザンド」(メーテルリンク・作)2010年パリ公演のセット。この話に灯台は出てこない。城の高い塔に灯りをともすシーンや、塔の上からメリザンドが長い髪をラプンツェルみたいに垂らすシーンをこの灯台に象徴させているのかもしれない。灯台を「抜く」と挿さっていた穴が泉に見立てられる仕掛けのようだ。身にまとわりつくような闇を描くこのオペラ、舞台装置は夜道を照らす懐中電灯の役割を果たすかもしれない。このセットで観てみたい。映画「悪人」からの灯台つながり。「ペレアスとメリザンド」も暴力と罪、それに親から子へと受け継がれるものを深々と描くのでぼくの思考は途切れずに持続している。
ことしは生誕150年、世界中でドビュッシーにスポットが当てられている。『小さなよっつの雪だるま』を描いたころからドビュッシーをやっとマジに聴き始めたぼくとしては予期せぬグッド・タイミングで、おとといなどはソニー・クラシカルの限定ボックスでドビュッシーの主要曲を一流どころで収めた19CDとカラヤンやグールド他の映像入り1DVDセットで2,690円(オンライン会員特価)というのを見つけて、思わず予約ボタンをクリックしてしまった。3月発売予定。12/01/26
●古楽演奏の父グスタフ・レオンハルト(16日 83歳 写真)R&Bのポップでやんちゃな大親分ジョニー・オーティス(17日 90歳)ロックンロール〜ブルースのダイナマイト姐御エタ・ジェームス(20日 73歳)の訃報。ぼくの大好きな人ばっかり。うえ〜ん、寂しいよう。
バッハのゴルトベルク変奏曲といえば大方はグレン・グールドの81年盤をあげるんだろうけど、ぼくはレオンハルトの76年ハルモニア・ムンディ盤。聴いたのはこちらが後だ。長い間、手帳に入れて持ち歩いていた彼の言葉を記しておこう。
「……何物も証明されえない瞬間、ですが演奏家に比類なき頂点を与えてくれるこの瞬間は、作品を通してもたらされる霊感の結果なのであります。聴衆との接触ではなく、この霊感こそ、事の核心なのであります。心ある芸術家は『音楽』と接触するのです。音楽家が聴衆との接触を要求するのであれば、その音楽家は自惚れており、作品を利用してしまっているのです。作品に仕え、自分自身を聴衆に利用させ、それにより献身するのでなくてはなりません」──1980年 エラスムス賞受賞スピーチより
91年、ぼくらは東京を去る前にレオンハルトの来日公演を観ることができた。第2部の冒頭だったろうか、チェンバロを弾き始めた彼が右手の人差し指を立てて演奏を中断した。客席が息をのむ。立ち上がったレオンハルトはチェンバロの中を覗き込み、道具を使って調律し直した。そしてまた静かに座り直し、曲を初めから弾き直した。音がさっきとまったく違う。しっとりと冴え渡る。一連の動きがぞっとするほど優雅で音楽的だった。表現者の立ち方を教えてもらった気がする。大事な大事なお三方のご冥福を。12/01/23
●今期最後の京造出講から帰ってきました。18日は授業後、3回生絵本ゼミの打ち上げ。お好み焼きの店で写真のような楽しい時を過ごしました。これがクラスほぼ全員。台湾、韓国からの留学生もいます。こういう場に出るのは初めてという学生が、出てよかったと後でメールをくれました。みんな、ありがとう。来期の卒制や就活も気になるだろうけど、まずは大きく終止符を打ちましょう。ぼくも新作絵本を描き終えて達成感を共有できます。(写真提供:チーコ)
4回生卒制審査は彼らが1回生の時から見てきたぼくには感慨深かった。出来不出来はあるし、採点で差をつけなきゃいけないんだけれど、よくここまで来たねとひとりひとりに言ってあげたい。卒展、見に行くね。
旅の間に映画「悪人」の原作(吉田修一)とシナリオ版を読みました。う〜ん、やっぱ映画がベストだな。小説は文体がねちこい。登場人物は平気で嘘をつき、言い訳ばっかりしてる。長崎の人ってなんでこうなんだろうとぼくが考察してきた、その症例みたいな小説だった。
作者は連載の挿絵をつけた束芋(たばいも、京都造形芸大卒)に顔を描くなと指示したという。シナリオ版に載っている座談会で、小説からは見えてこない主人公の顔や姿を映画は造形しなければいけなかった、そうしないと映画にならないからと李監督が告白している。
顔を描かない長崎の画家たち。たとえばコッコデショの屈強な担ぎ手たちを唐子やタヌキに描き換えてしまう。小説『悪人』では顔は写さないからと言って男が携帯で女の下着姿を撮る。女も顔が写っていないか確認して金をせびる。長崎的だ。映画では顔を撮っちゃってたね。そりゃそうだろう。12/01/22
●作曲家・林光さんが1月5日に亡くなったことをきょう知った。仕事漬けで訃報を見落としていた。80歳だった。ぼくはよく林さんの著書や楽譜にイラストを描かせてもらった。オペラシアターこんにゃく座とのつき合いも長い。
画像は随筆集『歩き方を探す』(84年 一ツ橋書房)。一ツ橋書房の福本司郎さんは昔ながらの本作りにこだわっていて、本文は活版組み、イラストも装丁も凸版印刷だった。このカバーの校正刷りを見た林さんが「私の名前をもっと大きくしてほしい」と注文してきた。ぼくはゴネて直さなかった。間に立つやさしい福本さんを困らせた。怖いもの知らずの若造に林さんは相当怒っていたらしい。でもまた仕事をくれた。ただ、装丁は別の人にさせた。そんな現場感覚が今となってはなつかしい。
林さんのご冥福を祈ります。日本音楽の重要人物がまたひとりいなくなった。12/02/16
●新作絵本『れおくんのへんなかお』をきのう夕方描き上げました。夜はワインで乾杯。春から作ってきた絵本を次の授業で発表する京都造形芸大のゼミの学生に、ぼくも間に合わせるから君らも間に合わせろよと言っていたので、約束が果たせてよかったです。オレはやったよと言えるからね。やったあ!
『小さなよっつの雪だるま』脱稿から約3ヶ月で新作脱稿というのは、絵本や挿絵で忙しかった80年ごろ以来のペースです。プロ野球のバッターと同じでね、毎回守備について全打席に立つのと、1回限りの代打に賭けるのとでは大違い。5打数1〜2安打でオーケーというのと、これでヒットが出なきゃ次がないという違いね。長い1発勝負生活でしたが、ひさびさにトータルで打率残せばいいやというスタンスでバッターボックスに立てた。念願のおもろい絵本を描くことができました。そんなわけですから出版社のみなさん、ぼくにどんどん仕事ください。その方がいいものが出てくるから。ヨロシク。
写真は表紙のための原画をトイカメラで撮ってトリミングしたもの。色も形もこんなもんじゃないですが、力の抜けた感じは伝わるんじゃないでしょうか。変な顔を描いている時はぼくも変な顔になっている。顔をもとに戻すためにも、しばしボケ〜ッとさせてもらいます。このままじゃ日常に戻れん。
きょう原画を発送して、火曜から編集作業が始まります。新学期までには出版したいとのこと。くわしくは追ってお知らせしますね。12/01/15
●新作絵本『れおくんのへんなかお』の原画が大詰めを迎えました。きょうあしたで本文32ページ描き上げられたらバッチリです。
写真はれおくんとぼくが太極拳の演舞会を見ているところ。おもろい絵本の中の真面目なシーンです。太極拳の型は長谷川くみ子師範に指導をあおぎました。彼女の教室のように老若男女、上手い人も下手な人もいる。上級者は道着でやるのが楊名時太極拳です。きょうはこの続きを描きます。あと3見開きと最後の1ページとトビラです。応援よろしく。12/01/13
●実はぼくのヨット3部作の2冊目『おんぼろヨット』と3作目『プレゼント』(ともに87年 村上康成・絵)に出てくる灯台も大瀬崎灯台がモデルなんです。フェリーに乗って、クンの運転でコーセーと取材に行ったのがなつかしい。
この時にも灯台だけしかなかったのですが、『プレゼント』ではコーセーが灯台守の建物を描き加えています。ここに住む少年に老人がクリスマス・プレゼントを届ける物語です。読み返してくださると、あの灯台から受けたインスピレーションが意外に映画「悪人」と共通したものであることに気づいてもらえるかもしれません。↑復刊リクエストよろしく。
ヨット3部作を出した年のクリスマスに、ぼくはカトリックの洗礼を受けました。12/01/08
●気になっていた映画「悪人」(2010年 李相日(リ・サンイル)監督)を観た。すごく感動して、もう一度観た。原作者の吉田修一は長崎の人だから、この映画の舞台背景や人物設定はぼくには掴みやすかった。けど、長崎を知らない人にはどうだろう。距離感や差別構造がどれぐらい伝わるだろう。
ぼくが3歳の時、姫路の本家の洋服店がつぶれて、父が自転車ひとつで商売を始めた。同業者が敬遠する被差別部落に彼は果敢にセールスに出かけた。秋兵という名の部落の人を彼は尊敬していて、その人の読みをもらって集平という名を長男につけたのだった。その父でも部落の女とは結婚するなとぼくに言った。
長崎には関西のような露骨な地域差別はないが、土地によって言葉が少しずつ違う。それだけで人を笑うようなところがある。隣県の佐賀を嫌う。佐賀は福岡からも田舎扱いされる。「悪人」が描くのは見下された人たちだ。だれもが被害者でだれもが加害者なのだが、とりわけ自分が加害者だと知るのは主人公だけなのである。とても普遍的な物語だと思う。外国の人にもわかるんじゃないだろうか。
画像は「悪人」に出てくる灯台。映画では長崎にあるように描かれているが、五島・福江島の大瀬崎灯台だ。クンの父の故郷にある。サルコーデ・ナガサキに描いた場所だ。実はここには今、灯台しか建っていない。灯台の横に見える退息所の建物は美術監督・種田陽平によるオープンセットだ。今度行った時にこの建物がないとちょっとさびしいだろうと思う。
年末から新作絵本を制作中です。12/01/07
●被災地・宮古から帰省した伊織君が大晦日の夜に来て、おせちと蕎麦とロック・ビデオで年越し。
起きたらいっぱい年賀状が届いてました。ありがとう。白味噌の雑煮でおめでとう。夕方には西坂教会で神の母・聖マリアの祝日ミサにあずかってから初散歩。タワーレコードで試聴したCDがあまりにすごいとクンがお年玉代わりに買いよった。帰ってお屠蘇とおせちと父直伝の雑煮でおめでとう。それから、そのCD「LULU」(2011年 ルー・リード&メタリカ)を聴きました。
こいつぁ春から縁起がいいわぇ、と言いたくなる音楽、楽しい内容ではないですぜ。賛否両論当たり前。アルバン・ベルクのオペラ「ルル」と同じ物語のための音楽、最後に切り裂きジャックに虐殺される不吉の女・ルルを歌うのだから楽しいはずがない。ジャケットのLULUの字は血で書いてある。聴く人にも絶望の深淵を覗き込むことを強いる、上下2巻の詩集のような2枚組アルバムです。即座に理解することはできない。人生をかけて解読していくしかない。硬くて比重の重い鉱物のようなロックとひさびさに出会うことができました。明るさを隠し持った暗さ、この意外な組み合わせが必然に思えてきます。いい年越しでした。12/01/02
●カミサンは年越しの買い物で新大工市場に出かけた。留守番のぼくは、あちこちで絶賛されてる反原発ソング「ヒューマン・エラー」(フライング・ダッチマン)を遅ればせながらYouTubeで聴いた。前にちょっと聴いて怯んで、17分以上あるから後回しにしてたんだ。京都のバンドなんだってね。
だれもが怖がって言えなかったことを言った勇気は認めるが、後味の悪さが残る。世直し系のビートルズ世代からうんざりするぐらいこの手の「正論」を聞かされた覚えがある。彼らは最後に愛とかラブとかいう単語をスカンクの屁みたいに残して姿をくらました。そして原発が増えていった。その繰り返しにならないように、最後まで歌の責任とるように願うよ。
ブランキー・ジェット・シティの「悪いひとたち」(92年)をノーカット・バージョンで聴いてほしい。ぼくはブランキー・マニアではないが、この歌はよく聴いた。彼らは自分たちが悪者の末裔だと感づいている。だからだろう「ヒューマン・エラー」のようには歓迎されなかった。「ファンタスティック Mr. FOX」の盗みのシーンに使われたビーチボーイズの「英雄と悪漢」(67年)も同じテーマの歌だ。11/12/30
●ウェス・アンダーソン監督の時代に逆らうようなストップモーション人形アニメ映画「ファンタスティック Mr. FOX」(09年)のぼくが一番好きなシーン。人間どもに一発かました泥棒キツネ、帰り道で仲間に見るなと制されながらも野性のオオカミと目が合う。ここまではサルコーデ・ナガサキ秋の「野性の鹿を見た」と似ている。しかし、映画ではオオカミとキツネが同時に拳を天高く突き上げるのだ。
絵本作家は狩猟民族だ。ぼくはよく出かける時に「おいしい獲物を獲ってくるよ」と言う。「盗って」という字を使ってもいい。カミサンとスタッフは「父ちゃん、がんばってね」と言う。これはアイルランド伝承歌「The Fox」をブラザーズ・フォーから訳したフォーク・クルセダーズの「きつね」の影響が大きい。獲物の少ない冬、腹を空かせたカミサンと子どものために家畜泥棒に出かけるあわれな父ちゃんキツネの物語。たぶん映画の原作『すばらしき父さん狐』(ロアルド・ダール)もこの歌のエコーなんだろう。
人が何かの上に安住しかけると「牧神の午後…」のような警告が出る。古代では預言者が、今はその役割は主に芸術家にある。「ぼくらの原始力展」もその試みだったかもしれない。居座る者ではなく旅する者でありたい。願わくは、来年こそ拳と拳を突き上げて挨拶できる人物ともっともっと会うことができますように。ついに神戸に引越したはずのスズキコージに長崎から拳の挨拶を。11/12/27
追記:「ハリマ風土記」の針間君にも拳の挨拶を。「ペンギン・ビート急行」のナヴィ村にもね。
●クリスマスおめでとう。きのうは夜9時から浦上天主堂で主の降誕・夜半のミサにあずかりました。司式は高見三明大司教。ミサの中で彼は原発廃止を訴えました。
日本カトリック司教団は11月8日付で「いますぐ原発の廃止を 〜福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして〜」という公文書を仙台で発表しました。2001年の公文書「いのちへのまなざし ―21世紀への司教団メッセージ―」で原発の平和利用には細心の注意が必要だとうながすだけだったことを反省し、即刻全廃を呼びかけたのです。同文書についてのコメントに高見大司教の考えが補足されています。
きっぱり脱電気エネルギー依存を訴えた司教団の責任者・高見大司教の説教はぼくにとって最高のクリスマス・プレゼントでした。原発開発に携わる人の多い長崎、御用学者・山下俊一の出身教会で大司教が念を押したのです。彼は加えて、あれもありこれもありの相対主義を批判しました。推進派にも一理あるかもしれないという迷いを断ち切って、ぼくらは反原発を掲げることができます。11/12/25 ※高見の「高」はもうひとつの字体、ハシゴ高。
●画像左はマラルメの詩によるドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」を踊ったニジンスキーの扮装。半獣神、野性の擬人化だ。初演は1912年。右はクイーン「I Want to Break Free」(84年)のオカマ全開ビデオの中でニジンスキーを真似るフレディ・マーキュリー。今ごろになってやっとフレディのパロディの意味がわかった。好きな曲はと問われてマイケル・ジャクソンは「牧神の午後…」と答えたそうだ。
キリスト教=道徳ではないとぼくはある時気づいて視野が開けた。イエズスもよく不道徳だ悪魔憑きだと非難された。その先に十字架がある。お行儀よくしなさいとイエズスは言わなかった。
精神分析家フランソワーズ・ドルトが福音書について書いている中で欲望を断念するのが罪だと言っている。欲望の定義が前提にあるので、安易に解釈できないのだけれど。ぼくの「映画に行こう」や『ホームランを打ったことのない君に』の「始める前からあきらめるのかい、夢見るだけにしとくのかい」の根底にはドルトの欲望論がある。
ぼくは若いころよくオカマと言われた。子どもにまで露骨にからかわれたし、オカマにお仲間扱いされて変な展開になったこともある。そんなことをなぜかクリスマス・イブに思い出した。
最初に回心した異邦人(ここでは非ユダヤ人のこと)は聖フィリポを道で呼び止めてイザヤ書を説いてもらうエチオピアの宦官だったと使徒言行録(8:26〜)にある。なぜ、あえてそんな、どちらかというと負のエピソードが聖書に採用されたのか。イエズスの誕生を天使たちに真っ先に告げられ、祝いに駆けつけたのは羊飼いたちだった。羊飼いは下賎の仕事、刑罰でもあった。11/12/24
●「マリアさまがきました」と神奈川のKさんがメールと写真を送ってくださいました。「ぼくらの原始力展」巡回を終えて「水を運ぶマリア」がようやく買い手に届いたのです。美しいメールから少し抜き書きします。
もみの木の横におきました。クリスマスコーナーが賑やかになりました。朝のお弁当づくりや洗濯、みんなを送り出してから1人生姜紅茶を飲みカラヤンのクリスマスCDを聞きながらマリアさまとにこにこしながら存分に話したいのですが、朝も夜もバタバタです。
今朝は「働き者のマリアさま〜私も働いてます」という感じでした。
明日はできると思います
うちにきてくださって嬉しいです。
あまり描かれることのなかった働くマリア、ぼくの大事な画題になりました。これからも折々描いていこうと思います。Kさん、ありがとう。素敵なクリスマスを。11/12/20
●ことし最後の出講。京都から帰ってきました。濃い毎日でした。写真は3回生とお昼してるところ。初めて学食で食べました。美大らしいシャレた食堂。ぼく(左からふたり目)のは「豚骨ラーメン熊本」350円。熊本にこんなラーメンないでーと突っ込みたいシロモノやけど、みんなで食べるとおいしい。京造ラーメンと思えばよろしい。撮影はチーコ。
今回のハイライトは卒制最終審査。卒制を見るのはことしが初めてでしたが、常連の先生方もとてもいい出来だとおっしゃる。大変勉強になりました。ぼくなんかには思いもつかない、たとえば美しいインターフェースとアイコンを持つiPhoneアプリ、新しい絵画論として読解することもできそうな絵だけの推理小説、自分の動きを「版」と見なし、室内や屋外で複製するアクション・ペインティングなどなど、それぞれに見所が多かった。春に亡くなったアニメーション作家・相原信洋さんが蒔いた種が見事に芽を出したといえる畳谷哲也の作品には感動しました。タタミタニテツヤ、みなさんぜひこの名前を覚えておいてください。この芽は良い実をつける木に育つはずです。
その日の夜は去年の4回生ふたりと百万遍で呑みました。ひとりは大阪で働いている。ひとりは大学院にいる。人生の大事な変わり目にいる人たちとほどよい間合いで語り合える。客員の特権かもしれません。専任になるともっと深刻になっちゃうだろうから。
帰りの車中では眠りこけ、終着駅・長崎から浦上天主堂のミサに直行。アドベントのろうそくがよっつ灯りました。いよいよです。11/12/18
●なんだかふしだらなドビュッシーにも1905年、43歳で初めての子ができる。その子を孤児にしないために夫人ともども再婚する。彼は娘をシューシュー(Chouchou=キャベツちゃん)と呼んでかわいがった。
これは1908年に出たピアノ曲集「子供の領分」の表紙。イラストは全6曲中みっつの題名をもとにドビュッシー自身が描いている。象のジンボーはシューシューのぬいぐるみで、彼女は毎晩ジンボーに子守歌を歌いながら寝てしまう。ジンボーが持っている風船の顔は子どもたちの人気者、ゴリウォーグ。背景には雪が降っている。
表紙をめくると幼い娘への献辞がある。「私のかわいいシューシュー。ごめんよ、父さんはこんなものを書いちゃった」。子ども向けに作品のクオリティを落としたりない。それなのに限りなく優しい。ドビュッシーもシューシューもこの後、長くは生きなかった。音楽だけが残った。
ぼくは絵本を描いてきて、常に「難解で子どもにはわからないだろう」という批判にさらされてきた。でも、ぼくが読んであげて「わからない」と言う子はいなかった。ドビュッシーの「子供の領分」を聴いて「わからない」という子どもはいないだろう。ワーグナーの引用に気づかなくても、曲が前衛的で、演奏が難しくても。
ぼくも「ごめんよ、おじさんはこんなものを描いちゃった」と子どもたちに言うことにしよう。11/12/10
●画像は1944年10月24日夕方、レイテ沖海戦で米軍機の集中攻撃を受けて艦首から沈没する戦艦武蔵。軍艦島によく似てる。三菱重工業長崎造船所で秘密裏に造られた世界最大の戦艦。呉で造られた戦艦大和と同型で、この二隻とともに巨艦の時代は終焉する。
吉村昭の『戦艦武蔵』(新潮文庫)を読んで、ぼくはまた長崎の見え方が変わりつつある。戦前の長崎で地図を拡げたとたんに憲兵が飛んできたと坂口安吾が書いていた、あれは武蔵隠蔽工作の一環だったのだと知った。
市内の中国人男性は全員スパイ容疑で逮捕連行されて訊問され、場合によっては拷問を受け、疑わしきは上海に強制送還される。彼らをかばった日本人も罰せられた。長崎の人たちは造船所を見ることを禁じられた。毎日うちから見下ろす港のあのドックで武蔵は造られたわけだが、当時の人は港に背を向けて、びくびくしながら暮らした。隠蔽は徹底していた。情報はついに国内外に漏れなかった。終戦時、アメリカは大和と武蔵のことをほとんど何も知らなかった。
知識と技術の粋、昔は戦艦武蔵、今は原発。武蔵が大戦の最終局面まで温存され、出撃したとたん、あえなく沈没したのと同じように、高速増殖炉もんじゅは実働200日しかしないまま、たぶん原発の時代は終焉する。長崎は多くの犠牲の上に何をしてきたのか。
新作絵本の原画を描き始めました。11/12/09
●京都で河井菜摘・個展「まばゆい影」を観ることができた。菜摘さんは京都造形芸大の副手でぼくの授業を手伝ってくれている。
明るい通りから薄暗い画廊に入ると、黒い板がほどよい間を空けて壁にかかっている。目が暗さに慣れないうちは単に美しい漆塗りの板なのだが、瞳孔が開いてくると板の真ん中に風景写真がひそやかに見えてくる。幻ではない、しんと静かにピントの合った世界。
漆の黒は漆黒というように、この世で一番黒いものだそうである。その表面に菜摘さんは感光剤を塗ることを思いついた。これを自作の大きな針穴写真機のフィルム代わりにして風景を撮る。ネガが写るが、漆黒の生地がそれをポジに見せる。昔、ガラス板写真の下に黒いビロードを敷いてポジにして見せていた、あれと同じだが、こっちはもっと黒い。印画の定着は透明度の高い梨地漆でコーティングすることで完璧にできるのである。漆が経年変化して時間とともに味わいを深めるそうである。「大発明だね」とぼくが言うと作者は微笑んだ。
今回の被写体はあえて京都の被差別地区を選んだという。彼女は影=陰にこだわる。作品の前に立てば、何も知らなくても深いところに衝撃を受ける。複製不可能。案内状にプリントされていた上の画像も何も伝えない。「ところで、最後に展示してあったひと回り小さい作品はどこかの部屋のように見えたのだけれど」と聞くと「祖母が入院していた病室の窓です。もう会えなくなるかもしれないと思いながら写しました。さいわい回復して今は元気です」と答えてくれた。ほんの少し、ぼくの『小さなよっつの雪だるま』と響く感じがした。いいものを観た。12/12/06
●絵本『プンクマインチャ』(68年)などで知られる画家・秋野亥左牟(アキノイサム)さんが亡くなった。76歳だった。ご冥福を。ぼくは若いころにお会いしたきり。ホームページのプロフィール欄にこう書いてあった。「インドでの生活を通して、ヨーロッパ、アメリカのキリスト教的文明の世界観や人間観を離れ、アニミズム的実存世界に身を投じて生きるようになった」。ぼくらの知的環境は長い間、反キリストに覆われている。
ドビュッシーの時代にそれはすでに始まっていた。ドラッグ・セックス・アンド・ロックンロール! 彼はパリ万博で聴いたアジアの音楽、殊にガムランに啓示を受ける。北斎の版画をモチーフに作曲する。印象派の画家たちも非キリスト的なものに感化された。そのころの雰囲気が明治以降の日本に輸入された。秋野さんが出た東京芸大ではおおいに反キリストの種が蒔かれただろう。
『小さなよっつの雪だるま』の感想やメッセージがぼちぼち届いています。ありがとう。励まされます。予想通り『大きな大きな船』や『トリゴラスの逆襲』のようには書店に平積みされない。なんか、イジメられてる気分ですが、水面に静かな波紋をゆっくり広げるひとひらの雪のようであればいいなと願っています。
ドビュッシーを聴く日々。画像は廉価盤2CD「the very best of DEBUSSY」ぼんやり聴くのにいいです。若いドビュッシーの肖像画が使われています。11/11/26
●談志が死んだ、と言ってみて、上から読んでも下から読んでもダンシガシンダだと気づいた。オレが死んだら新聞の見出しはこれで決まりだと本人が言っていたと知って、なあんだと思った。破格の人がまたひとり亡くなった。残された規格品たちが何を言っても彼の手の内だろう。ご冥福を。
きのう23日(祝)は楊名時太極拳長崎県支部の審査・研修会。ぼくはPA係で参加(写真)しました。少しずつ少しずつ歩を進める人たち。十数分の演舞にある程度、心身を委ねられるようになるだけで10年以上かかる。その先がまた長い。美大生もこうあってほしい。大学にいる4年じゃ足りないと思う。11/11/24
●ホークス8年ぶりの日本一おめでとう! 王道野球を貫いて勝った。ソフトバンクの孫さんはツイッターで喜びを爆発させている。原発推進の経団連と真っ向対決する孫さんの胴上げ、秋山監督と選手・スタッフの男泣き、小久保キャプテンの屈託のない笑顔と、監督の被災地への思いをこめた挨拶にもらい泣きした。
インターネットには孫さんの胴上げをからかうやつらがいる。ダイエー時代の応援歌をそのまま引き継いだ一点だけでも胴上げに値するということを、この人たちはわかっていない。あの時、あの歌をぼくらは失ってしまうんだろうかと、ファンは固唾を飲んで見守っていたのだ。孫オーナーと王会長がホークス野球という文化のためにやってきたことをファンはよく知っている。それは献身と言ってもいい。
画像はぼくの絵本『ホームランを打ったことのない君に』(06年 理論社)より。選手と観客が一体となって、勝っても負けても爽快な特別の時がダイエーからソフトバンクに奇跡的に受け継がれた。ビールかけは増毛にいいらしいよと笑い飛ばして祝勝会で大暴れする孫さんを惚れ惚れと観ながら、ぼくらも大声張り上げて乾杯した。11/11/21
●長崎は大雨。午後は『小さなよっつの雪だるま』予約分のサインをしました。発送作業中。来週にはみなさんの手元に届きます。少々お待ちを。
この絵本をどうしてもプレゼントしたい人がありました。彼女のことを書いた去年1月の記事を再録します。この時、最初の編集者に捨てられたテキストが『小さなよっつの雪だるま』になったのです。11/11/18
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●京都で今期最後の授業。実は出かける直前に新作絵本のテキストにケチがついて、ぼくは「それならやめましょう。別のを書きましょう」とメールを書いてきたので、滅入っていた。昔の編集者なら、ここから次の段階に入れるのだけれど、今の人は低反発素材でできてるから、どうなることやら。
水曜の授業の前に担当のNさんが「2回生の○○(女)が退学します」と言う。「理由は?」と聞くと「まだ聞いていません。授業料が払えないというようなことでしょうか」……今、そういう学生が増えている。不況は学び舎にも押し寄せる。
午前中から始めた絵本の講評が予定を大幅に過ぎそうになった夕方、○○が教室に入ってきた。そして最後に作品をプレゼンテーションした。今回は古典名作を絵本にするという課題で、彼女は『不思議の国のアリス』を切り絵で絵本にした。努力の跡がうかがえる。よくやったね、完成できてよかったとぼくは言い「こんなことここで言っていいのかわからないけれど、退学するって本当?」と聞いたら、彼女は大粒の涙をこぼし、うなずいた。ざわめく教室。
「そうか。じゃ、後でくわしく聞こう。やめるのは残念だけれど、ここでこうやって学んできたことはきっとこれからの人生の役に立つと思うよ」とぼくは言った。
その後、ふたりで話した。妊娠していることがわかり悩み続けたが、退学、結婚出産を選んだと言う。「それはいい話じゃないか。おめでとう。よかったね。親も認めてくれてる?」と言うと「はい」と答える。しかし、顔はこわばっている。
彼女はクラスのみんなに笑われるのではないか、陰口を言われるのではないかと怖れていたと言う。勉強を中途で放棄するのも心残りだし恥ずかしい。何も言わずに消えるつもりだった。
そんなことないよ、みんなもきっと祝福してくれるだろう。子どもを産んで育てるというのは、もうひとつの創作なんだからね。大学で学べないことを学ぶんだ。いい子に育てなよ。絵本作家になる夢は持ち続けたらいい。絵の勉強は子育てが一段落してからでもできるんだから。学期が終わる前にみんなに言って祝ってもらいなさいとぼくは言った。
「○○ね、ぼくはすごくびっくりしている。新しい絵本のテキストを書いてきたんだけれど、主人公が○○みたいな女の人なんだ。京都の美術学校に行って、好きな人ができて子どもを産む。その子のために絵本を描こうと思う。その人の子ども時代からの話なんだ」と言うと、○○は顔を輝かせ「わあ、うれしいなあ。その絵本早く読みたいです」と身を乗り出した。笑顔が戻った。その日はぼくの母の命日だった。長崎では母のためにミサがあげられていた。去年はこの日に『大きな大きな船』の第1稿が書けたのだ。あれもこれも偶然と言えるだろうか。
翌日会った○○はとてもさっぱりした表情で「きのう長谷川先生に言われたことを電話で母に話したら、すごく喜んでくれました」と言う。絵本のテキストが実人生を先取りし、すでにぼくの目の前にいる人を励ましている。彼女を見守る人たち、産まれてくる子どもをも励ませるかもしれない。ぼく自身「これはいい絵本になるぞ」という感触を、この出来事でまた深めた。けれども子どもの本の世界は門を開こうとしない。ぼくは門前払いばっかりされてきた。そして今もまた。
画像は帰りの新幹線の窓越しに撮った福山のゴシック式「大聖堂」。お城の横にそびえていて、見るたびにそのミスマッチに動揺する。セピア調に加工したらアジェのパリみたいに見える? ……実はこれ、結婚式場です。日本人て変だよね。10/01/23
●『小さなよっつの雪だるま』の見本が届きました。すごくいい出来です。抱きしめたくなる絵本です。編集の松沢さんと電話で喜び合い、こちらではおいしいワインで乾杯しました。間もなく配本されます。楽しみにしていてください。とりいそぎご報告まで。11/11/10
●8日間の講演・授業ツアーを終えて、きのう帰ってきました。1日目は岩国市立平田中学校で話しました。中学生の素直な反応がうれしかった。おとなたちの『小さなよっつの雪だるま』予約多数。ありがとうございました。
京都に移動して造形大の授業と卒制プレゼン。3日の休日は散歩がてら府立植物園に。隣接する府立陶板名画の庭で見た原寸大のミケランジェロ「最後の審判」が圧倒的に面白かった。レオナルドの「最後の晩餐」もあるのですが、そっちのけで「最後の審判」の前で見惚けました。芸術作品を「面白い」となるべく言わないようにしているのですが、この絵には面白いという言葉が一番ぴったり来ます。天国も力強いけれど、地獄がカッコ良すぎる。レオナルドの晩餐が室内楽だとすれば、ミケランジェロの審判はまさにヘビーメタルです。
土・日は通信教育部のスクーリング。昼間の大学に通うことはできない人たち。短い時間でいかに彼らの中に眠っている「絵本」の目を覚ますことができるか、毎回心地よい緊張感の中で授業をしています。写真は仮面をかぶって自己紹介した後に記念撮影。仮面になりきって、名刺交換もしました。
きのうはダイエー〜ソフトバンク・ホークス初のCS突破に湧く博多に寄ってきました。少し休ませてもらって、次の絵本にかかります。11/11/08
●『小さなよっつの雪だるま』の校正刷りが届いた。すごくタイトなスケジュールで、初校校了しなきゃいけない。まあ、ここまでPDFなどを使ってチェックを繰り返してきたので直しは少ない。大丈夫でしょう。来週の印刷にMさんが立ち合ってくれるってのも心強い。
鉛筆画のデリケートな味わいを出すためにスミとグレーのダブルトーンで印刷する。もちろん原寸のまま。原画の持つ「気」を伝えたい。編集とデザイン、ふたりの女性が絵本をやさしく装ってくれた。ぼくには思いつかない色合い。この写真でわかるかな、カバーのタイトル文字、銀箔押しです。キラキラしてます。なんだかうれしい。小さくて読み聞かせに向いていないというところも気に入っている。小さいから持ち歩きできる。家の中でも外でも、どこか静かなところに座って、ゆっくりページをめくってほしい絵本です。11/10/29
●『小さなよっつの雪だるま』の奥付の日付を11月2日にすることにした。死者の日だ。
絵(部分)は母親になった主人公が息子を連れて長崎に帰郷するシーン。特急の窓外に干潟と雲仙が見える。諫早干拓で失われた干潟。
子がおとなになり子を産む。その子がまたおとなになっていく。いつか死ぬ。生きている以上、人は傷つく。それでも信じ、望み、愛することができる。そんな、ありふれたことが世界を支えてきた。その大切さを、ことしほど痛切に感じたことはない。
スズキコージが個展のチラシを送ってくれた。封筒に「12月に神戸に引越します!」と書いてあった。小さな子がいる彼は、被爆を避けて住み慣れた東京を去ることにしたのだ。そのことを仕事のメールにひと言書いたら、編集者Mさんからこんな返事が来た。
東京の豊島区に住んでいる、私の友人のつぶやきです。
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おはようございます。久々に、息子と共に寝て、早起きしました。朝仕事のほうがやっぱり気持ちいいなぁ〜!窓を開けて、鳥のさえずりを聞きながら、きょう一日の無事を祈ります。一日の無事を祈る時に、前とちがうのは、この空気にも放射能はあり、福島では子どもたちが被曝し続け、原発では作業員さんたちが危険な現場で命をはり、被災地ではきょうを生きるだけに必死の人たちがどれだけいるかということ。この今を受け入れるところからしか、きょうは始まらない。ふんばる!
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ほんとに、ふんばらないと、こどもたちの健康は、どんどん奪われてしまう。
そして、ふんばりつづけることは、とてもエネルギーが必要です。
『小さなよっつの雪だるま』が、いま、このときに生まれるのは、やっぱり、すごく意味があるのだ、と思います。
この絵本には出す意味がある、そう思えることに感謝しよう。11/10/26
●きのう23日(日)は祈りの丘絵本美術館で開かれていた原画展の最終日。クロージングは副館長の石川さんの乾杯の音頭でスタート。出会いがあり、うれしい再会があり、遠来の朋(とも)あり、また楽しからずやでした。みなさん、ありがとう。美術館もぼくらも新たな一歩を踏み出せたと思います。
『小さなよっつの雪だるま』のダミーを見てもらっているところ。静かな手応え。
シューヘー・ライブ。英国風の建物は音響もいい。気持ち良く演奏できました。
童話館のスタッフは美人ぞろい。絵と音楽が良かったから美人度アップっす。
きょうはやや放心状態ですが、切り替えて、実は次の絵本がもう動き始めています。順調に行けば(頼むよ!)来年の早い時期に出ます。こういう制作ペースを待ち望んでました。11/10/24
●だいぶ前、長崎くんちに来て、急にトゲトゲして予定を切り上げて帰ってしまった人がいた。東北出身で、ぼくが長崎に引越すと言ったら「田舎は大変よ」と哀れんでくれた人だ。くんちはその人の常識をひっくり返してしまったのだと思う。
長崎に来たころ、ぼくは来訪者に長崎のできるだけいいとこを見せ、美味いものを食べさせようとした。けれど、少しずつ手抜きを覚えた。ガイドブックに載ってない本格ちゃんぽんよりも、有名店のわかりやすい味の方が喜ばれる時もある。
京都で生まれ育った学生とくんちの3日間を過ごして意外だったのは、彼女たちがコアな長崎に動じないことだった。こういう文化に、自覚はなくても免疫があるんだろうな。京都と長崎は遠くて近い。26聖人は京都から連行されたのだ。長崎の町には京都の面影があり、京都の町には長崎の面影がある。
画像左は『小さなよっつの雪だるま』の京都の場面。町家の前に犬矢来を描くと京都らしくなる。右はコッコデショが休憩した崇福寺通りの草花洛という店(ストリートビューより)。「犬矢来があるやろ」とぼくが指差すと「ほんまや。京都にしかないと思ってた」と学生が目を輝かせた。11/10/17
『小さなよっつの雪だるま』シューヘー・ガレージで予約開始しました!
●YouTubeにコッコデショの動画をアップしました。崇福寺前でぼくらは2時間待ちました。ここに来る直前に男たちは最後の休憩をとり腹ごしらえしました。だれも文句ひとつ言わずに待ちます。そして最後の庭先回りが始まります。頭空っぽのまま大勢の人たちと追っかけ、樺島町に凱旋して倉庫に入るまで見届けました。11/10/14
●長崎で2004年に造られたイギリスの豪華客船ダイヤモンドプリンセスが長崎に帰ってきて、また行ってしまった。115,875トン、全長290メートルの巨大な船がシャンデリアのように灯り、夕暮れの長崎港を出ていく。和太鼓の勇壮な演奏と高校生のブラスバンドの洗練されたジャズに2,674人の乗客たちは船の上で何度もアンコールをし、手を振りながらゆっくり遠ざかっていく。埠頭で長崎の人たちも手を振る。これだけ大がかりで心のこもった出港を観るのは初めてだった。感動した。
『小さなよっつの雪だるま』の原画が無事、東京に届いた。「やはり、原画はすばらしいです。やさしいタッチのところ、思いのこもったタッチのところ、ひとつひとつたどっていくのが、楽しかったです。大事に大事にしたくなるような本にします」と編集者Mさんがメールをくれた。
ぼくはこの絵本を、原点に戻って『はせがわくんきらいや』(描いたのは1975年)と同じワトソン紙をあれ以来初めて使い、鉛筆デッサンを勉強していたころを思い出しながら鉛筆だけで描いたんです。ポプラ社はこう紹介してくれています。「小さなよっつの雪だるまをめぐり、生きていることの幸せや、命をつないでいくことの尊さを、やさしく静かに語る、長谷川集平の新境地」。きっと大事に大事にしたくなる本になるでしょう。11/10/13
●新作絵本『小さなよっつの雪だるま』が出るか出ないかわからないまま、長崎くんちに来た京造の学生ふたりとコッコデショの追っかけをしてるうちにそのことを忘れていた。HとM、来てくれてありがとう。写真は稲佐山の展望台。クンとぼくとHと、M(ぼくの後ろから顔を出している)。そして夜景。
彼女たちに促されて、コッコデショをYouTubeにアップされているこの前日(まえび・7日)の諏訪神社から後日(あとび・9日)樺島町の倉庫に収まるまで見届けました。それが夜の12時半。歩調と声を合わせて波に徹した男たちは3日間の庭先回りで重い太鼓山を担いで80キロ歩き、7〜800回天高く投げ上げ、受け止めたそうです。最後まで疲れを見せない男ぶり。子どもたちもやり抜きました。見習いたいもんです。
ちゃっかり浦上天主堂のミサにも出た学生たち、ギャラリー・トークも来てくれて、10日の朝に大満足で帰り、ぼくらは水汲みに行きました。同日、ホークスはセ・パ全球団に勝ち越すという偉業を達成しました。
そしてきょう、ねばり強く社長を説得してくれた編集者Mさんから、やっと出版に漕ぎ着けたという連絡が。ただし、初版3,000部を売り切るという条件付きだそうです。『トリゴラス』の時と同じだな。あの時もさんざんケチをつけられて、初版3,000部に減らされたのでした。3,000部だと書店に行き届かないので、クチコミが頼りです。どうかみなさん、ご協力ください。ブログやツイッターなどで「拡散」してください。こんな絵本でも売れることがわかれば、今後につながります。『小さなよっつの雪だるま』11月にポプラ社から出版されます。すでに予約を受け付けているネット書店もあります。ゴー・サインが出たので、ようやく原画を出版社に送りました。描き上げてから10日間、うちでじっと待っていた原画たち。行け!「トバセ、トバセ、トバセ、トバセ」(コッコデショのかけ声のひとつ)。11/10/11
●先週の月曜は下の記事を書いてから紙を買ってきて、火曜から土曜の5日間で新作絵本を描き上げました。と同時にソフトバンク・ホークスがリーグ優勝。土曜の夜は浦上のミサで感謝の祈りを捧げました。
すべては去年の1月に撮ったこの写真から始まりました。編集者にデータを送って見てもらいながら描きました。順調だったのですが、きょう起きてメールをチェックしたら最後の最後にケチがついて、ああ、またかという、急に気分が萎えちゃった。ぼくの作品ってこればっかり。心を込めて「この味この味」と作った料理に余計な味を足さんでくれよと言いたくなる。言われたことに納得すれば直さなくはないけどね。35年のうちに数回は直した。直して後悔しているところもある。何十年も前のことをだよ。
金曜に『トリゴラスの逆襲』の編集者Hさんがきょう退職すると電話をくれた。それならそうと教えといてよ。ともあれHさん、お疲れさまでした。彼女とは30年のつきあい。あそこを直せ、ここはわからない、なんて言われ続けてきて、天敵でもあり味方でもあったけれど、それも思い出になってしまうんだな。親しい編集者が何人も、何十人もぼくの前から消えていった。『大きな大きな船』の編集者も辞めちゃったしね。ぼくは作品に対して死ぬまで、いや、死んだ後にも責任があるけれども、編集者はどうなんだろう。死の床で「あそこは直す前の方がよかった」なんて後悔することはないんだろうか。
きのうでポレポレ坐の「ぼくらの原始力展」は終了。ぼくの絵、売れました。○○さん、あなたに買ってもらって本当によかった。ありがとう。原始力展はこの後、山梨、大阪と巡回するようです。11/10/03
●9月19日(月祝)から10月2日(日)東中野・ポレポレ坐で59名の絵本作家による「ぼくらの原始力展」が催されます。ぼくは「水を運ぶマリア」という絵(画像)を出品。F3のキャンバスボードにリキテックスで描いて額装しました。実物を見て気に入ったら買ってください。売り上げは委員会の判断でしかるべきところに寄付されます。だれがどんな絵を描いてるか気になりますが、ぼくは会場に行けそうにありません。きっと見応えあるでしょう。
今、書店には原発に関する本がいっぱい並んでいますが、児童書コーナーにはないですね。調べてみると、2〜30年前に出ていた反原発絵本のほとんどが絶版です。まだ出ている『これが原発だ------カメラがとらえた被曝者』(樋口健二・著、岩波ジュニア新書 91年)など、ネットで探せばなくはないですが、子どもたちにすんなり届くかどうか。
そんな中、ことし出た『エネルギー』(池内了・文、スズキコージ・絵、たくさんのふしぎ6月号、福音館書店)は原子力よりも原始力を描く怪作。この絵本と「ぼくらの原始力展」は直結しています。ネガティブにではなくポジティブに未来を語りたいというのが子どもの本の願いです。けど、核の平和利用なんてウソはもうつけないのです。11/09/16
※19日の東京・明治公園を埋めた人人人…。主催者は6万人といい、警察は3万人以下という。原発推進派が市民をこれだけ集められるだろうか。3,500人でも7万人と発表するだろうけどね。
●セイちゃんのことがあってから、うちのベランダで毎朝のようにさえずる鳥。姿は見えない。ビートルズの「ブラックバード」のSEに似ているので、日本でいうとクロツグミかもしれないねなんて話してた。日曜日にDVDを借りて観たブラジル映画「フランシスコと2人の息子」(05年)にもツグミのように美しく歌うという表現があった。
きょう、クンが写真撮影に成功し、曽我が某サイトに問い合わせたところ、ツグミ科のイソヒヨドリ(♂)でした。イソツグミともいうらしい。回答者は「海岸の岩陰で涼んでる気持ちなのかもしれませんよ」とこの写真を見て書いておられる。そうか、ぼくらの住んでるここは海岸の岩場なんだと納得した。いつも海(港)を見下ろしてるもんね。あれからずっと、泣き出しそうになる気持ちをこいつの声になだめられています。11/09/13
●おっと、キープ・オン・ロッキン! ですぞ。今の気分は直球ストレートのスージー・クアトロだ。デトロイト生まれ。父親はイタリア系(姓はクアトロッチオ)、母親はハンガリー系の、もちろんヤクザなカトリック。十代から音楽やってたが、73年に革ジャン・ロックで大ブレイク。ぼくの青春時代が彼女の全盛期です。聴き直してみると、やっぱ影響受けてるわ。歌詞の意味なんて知らないで聴いていたけれど、ぜんぜん違和感ない猥雑さ。
スージーなしでは出てこなかっただろうガールズ・ロック・バンドの伝記映画「ランナウェイズ」(2010年)をすごく観たくなった。「アイ・アム・サム」(01年)のころはちっちゃかったダコタ・ファニングが下着ボーカルのシェリー役。本物のシェリー・カーリーの原作で本物のジョーン・ジェットが製作総指揮。サウンド・トラック盤にはスージー・クアトロの「The Wild One」が入ってる。ピント合ってきたぞ。11/09/06
●横浜のO氏からのメールにこう書いてあった。「原発事故は、まだまだこれから酷くなりそうな雰囲気なのに、町は何事もないように時が流れていて、何か(大袈裟な言い方ですが)狂ってしまっているような気がします」。
ぼくもそんな感じがしている。先日、届いた「芸術新潮」9月号の特集は「ニッポンの『かわいい』はにわからハローキティまで」だった。今、起きていることと何の接点もない。狂っている。
芸術とは現状を肯定することでなく、世界や人間の別のあり方を断固として夢見ることだ。夢見ることには気力も知力も体力もいる。夢見ることをやめてしまったら、ただただ現状に飲み込まれてしまう。------保坂和志「ちくま」9月号より
本当にそうだろうか? 現状にではなく、われわれは夢に飲み込まれていないか。
これね、わたしの ゆめの なかなの。なにが あっても おかしくないの。(中略)ええの ええの。めが さめたら みんな まぼろし。たのしみましょ。------集平『トリゴラスの逆襲』より
「感動の『びゅわんびゅわん』を演じるオレです」。ソフビ・トリゴラスを陣中見舞いにプレゼントしたら、ををうちがこんな写真を送ってくれた。ををうちやすをは若いころ『トリゴラス』と出会い、今の人生を選んだ。放射能汚染が心配な福島県郡山市で彼が出し続けているミニコミ紙「Newボイス朝日」は、震災前よりも後の方が現実的になった。彼はどうしたら自分がまわりの人の役に立てるかを模索している。それが紙面に表れている。遠くにいるぼくまで励まされる。11/08/26
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●きょう午前10時から長崎・祈りの丘絵本美術館でぼくの原画展のオープニング・パーティー。会場に着くと、そそくさと出て行く男性がいました。ソフビ・トリゴラスの原画展バージョンを3個買って、原画も見ずに帰ったそうです。東京のソフビ販売業者のお使いだったようで、マニアにはお宝なんでしょう。
写真は、1.挨拶と絵の説明を少ししてジュースとお茶で乾杯。2.ソフビを見ているクンとKちゃん。3.『大きな大きな船』全原画の部屋。4.ギターを弾いて歌う集平。ホイッスルも吹いて自前のBGM。
原画展は10月23日(日)まで。秋の長崎も格別です。ぜひお越しください。3回あるギャラリー・トークではおおいに語りたいと思っています。11/08/23

●京都造形芸大の学生と卒業生が長崎のお盆にやってきた。14日の花火をあげる長崎独特の墓参り、15日の狂乱の精霊流し、荒れ模様の天気にもめげず延々と歩き回った。
写真左は14日夜、シューヘー・ガレージで食べて喋って記念撮影。被災地・宮古から帰省中の伊織もやってきた。写真中は15日夜、精霊流しの爆音の中でチリンチリン・アイスを食べているところ。写真右は爆竹の嵐を突っ切って流し場に向かう精霊船。ことしは「東北丸」という船も流された。
青春18きっぷで京都から来た学生たちは早朝の鈍行で帰り、夜行バスでやってきた卒業生はきょう上五島でダイビングをしてきてまた夜行バスに飛び乗った。楽しかったよ。君たちと見る長崎には新たな発見がある。また来てね! 11/08/16
●「記録にも詩人にしかできない仕事がある」と6月27日に書いた。詩人のアーサー・ビナードが原発報道の嘘について語るのをケーブル・テレビでたまたま観た。(YouTubeに3分割でアップされています)今、こんなことを言える日本の詩人が他にいるだろうかと思った。嘘を紡ぐプロと自称する村上春樹と正反対のところにアーサーはいる。書き起こしておこう。
そこが詩人の仕事かもしれないですね。もちろんジャーナリストもやらなきゃいけないけれど。でも詩人もね、言葉を使ってるわけでしょう。言葉を使って作品を作る。ぼくが言葉で組み立てて作品を作る時は何か発見があって「おお、こういうことがあるんだ」ということを思って読者と共有しようとするから、言葉を道具にして作る。その言葉と現実がつながってないと詩が作れないんです。
だけど、マスコミがいろんなことを誤魔化したり、(核の)平和利用みたいな言葉がまかり通ったり、安全です、安心です、風評被害です、デマですって言う。本当のことを言う人が核アレルギーで片づけられて、まったくのデタラメを言っている人が名誉教授になったり大臣になったりするという、それがぼくの仕事にモロに影響してくるんですね。言葉が現実を表わす道具として機能しなくなる。
よく、詩人なのになんで政治の話をするんですかとか、アメリカ人なのに反米ですかとか、いろんなことを言われるんだけれど、ぼくはアメリカを愛しているし日本も本当に愛してるんだけど、言葉がペテンの道具に成り下がったら困る。嘘つきがまかり通って。------朝日ニュースター・ニュースの深層 8月2日(火)「日本の原発・エネルギー論争とメディア」より
日本に元気を、被災地に笑顔をと言う人は多いが、それが嘘をつくことにならないか、感覚麻痺や思考停止に陥らせないか、ぼくらはよく気をつけなきゃいけない。ウディ・ガスリー(写真)についてU2のボノが言ったことをまた書いておこう。「テレビやラジオから聞こえてくる歌は人を眠らせる。ウディの歌は人を起こす。こんな歌はウディの後にも先にもほとんどないのさ」11/08/06
●8月23日から始まる集平の絵本原画展バージョン、ソフビ・トリゴラスの画像。「黒成型にメタリックグリーンを吹いています」(マーミット・赤松和光さん)。夜の怪獣トリゴラス、レトロでクールです。限定カラーで、このバージョンは長崎の会場でしか手に入りません。が、祈りの丘絵本美術館が通販しましょうと言ってくれてるので、購入方法が決まったらお知らせします。先週の金曜日に発送したシューヘー通信65号に原画展情報を載せておきました。特集は「シューヘー・ガレージの1日」で、ぼくの描き下ろしイラストがいっぱいです。ミニコミでしか語れないこと、書けないこともあります。ぜひ定期購読を。11/08/01
※連作「サルコーデ・ナガサキ」絵葉書の通販を始めました。こちらもよろしく。
●ミッキー・ローク主演の映画「レスラー」(08年)がとても良かった。ガールフレンドが映画「パッション」を語るところ、ふたりでロック談義をするところ、その後に言い忘れてましたというように主人公の部屋のAC/DCのポスターを見せるところなど、隠し味も効いていた。しかし、何といってもプロレス・シーン、そしてミッキー・ロークの圧倒的な役作りだな。ジョニー・デップがミッキーを誉めるので気になっていたが、ナルホドと納得した。
土曜日は太極拳教室のヤノッチが彼女を連れてうちに来た。長崎を去るヤノッチの送別会。格闘好きのセイちゃんファミリーと格闘家・西良典さんも呼んで関東炊き(おでん)を囲んだ。ショウガ醤油につけて食べる姫路式。
クンの太極拳番組(09年)をYouTubeに転載していいかどうか、撮影・編集のセイちゃんに聞いたら「もちろん、いいですよ」と言ってくれたので、さっそくアップしました。長谷川くみ子「健康太極拳を長崎に」。クンが大事にしている楊名時太極拳です。宮古にいる伊織も出てきます。11/03/28
●震災の翌日、電話の大内はパニクっていて「土木の仕事でもするしかない」と言う。彼は地域情報紙を作っているが「もうスポンサーもつかない。オレらみたいなミニコミはひんしゅくもんですよ」。ぼくは「そんなこと言ってないで、大内の絵と文を生かして、まわりの人の役に立ってくれよ」と言った。被災者の彼に言い過ぎたかなと後悔した。
鈴木の無事を知らせてくれた大内の声には覇気があった。「こないだはすみませんでした。なんとかやってみます」と言う。よかった。表現をあきらめないでほしい。
彼は『トリゴラス』に出会い美大をやめて、ぼくの授業がある渋谷の専門学校に来た。ぼくは25歳だった。絵本は、音楽は、芸術は、嗜好品ではなく主食なんだと教えた。そのことが今、意味を持ってくる。
現在、テレビやラジオもエンターテインメント自粛気味だが、それは嗜好品だからで、主食は届けなきゃいけないのだ。
こじこじ音楽団の「夜明けを待ってる」をきょうから無料配布します。届くべきところに届きますように。06年に火災で亡くなったももちゃん(下村誠)も了解してくれるでしょう。上に置きますのでダウンロードしてご利用ください。歌詞はここにあります。
画像は阪神・淡路大震災の後に描いた『あしたは月よう日』(97年)から。ゲラ刷りのこの絵を見て、大阪の専門学校の女の子が「神戸や! 震災の前の神戸や!」と言って顔を輝かせたのを、ぼくは一生忘れないだろう。11/03/15
●大地震と大津波。想像を絶する惨状。宮古にいる伊織のことが心配だったが、きょうになって生存を確認できた。彼が勤めている海員学校の備蓄食料で炊き出しをしているとのこと。
東京ではマーミットの赤松さんは無事。何人かの編集者も無事。ひとりは朝、家にたどり着いたそうだ。秋田の藤井君、無事。でも職場はぐちゃぐちゃ。電気がまだ来てない。寒い。……連絡が取れる人と取れない人があり、気を揉んでいます。
画像は『トリゴラス』から、もう、めちゃくちゃや。まち、ぐちゃぐちゃや。もう、わやくちゃなんや。『トリゴラスの逆襲』なら、そやけど、やっぱり あかんやろ。うみちゃん、ふうた、キムせんせい、ばばさん、みんな あそこに おるねんで。……シャレにならん。11/03/12
続報:夜になって福島県郡山市の大内(ををうち)と電話が通じた。かなりひどい状況のようだが、自分のことより津波に襲われた岩手県大船渡市の鈴木の安否を気にしている。大内と鈴木はぼくの最初の生徒だ。無事でいてくれ。11/03/12
続々報:鈴木から友だちにメールが届いた、生きてたと大内の電話。よかったよー! 11/03/14
●写真は赤松トリゴラス頭部の進行状況。正面から見るのは初めて。見てください、この憎々しい凶相を。左右対称じゃない顔に込められたものを。『トリゴラス』について書かれた次のような文章を思い出した。
怪獣がどこから来たのか? どこで生まれたのか? 何が目的なのか? そういう人間側の思惑など一切おかまいなしに、突然現れて暴れまわり、去っていく。そういう天災のような恐怖を、この怪獣絵本は持っている。---- 腹八分味之介「インチキ用語集」より
そしてこのソフビがその恐怖を立体化するのだなあ。恐い恐い。そんで、うれしい。11/03/08
※クンの長崎県支部で作った楊名時太極拳50周年記念の皿の紹介ページができました。飾るのにも食器としてもお薦めです。
●京都でことし最後の授業。その前に4回生のMを編集者Mさんに会わせる。Mさんはそのためだけに東京から自費で来てくれた。この出会いが絵本の世界に派手ではなくても大事なものを思い出させるきっかけになるといいと思う。
金曜の授業前に『トリゴラスの逆襲』ができたという浜田さんからの電話。「やったー!」と心の中で叫ぶ。学生と打ち上げのあと、ラーメン食ってホテルに帰ったら『はせがわくんきらいや』と『パイルドライバー』の増刷の知らせが入っていた。『パイルドライバー』は忌野さんの帯つきの増刷を予定しているとのこと。こういうことっていっぺんに来るね。いい年越しができそうだ。
京都から帰った翌日のきのう、意外な人からのメール。鈴木常吉だ。長崎にライブで来ているのでお茶でもどう? ライブに行くよと答えた。小さなレストランで、ツネちゃんのななめ前に陣取って聴いた。途中で「なんかやりにくいよ」と言われた。終わったあとに「よかったよ」と言ったら「こんな歌書くの、オレと集平君しかいないよな」とツネちゃん。「同じ穴から出てるからね」とぼく。
ホテルにギターとアコーディオンと荷物を置いて、うちで一杯のつもりが朝方まで話し込んだ。ひさしぶりの東京下町の「バカヤロウ、テメエ」口調が痛快だった。画像の酔っぱらいこそ、かつてのスペシャルサンクスの4分の3です。そもそもは暴走族のツネちゃんがぼくの『トリゴラス』を読んだのが始まりだった。大喧嘩して別れた二十何年後の再会。『トリゴラスの逆襲』を出すのは今しかなかったんだ。ツネちゃん、いい旅を! 10/12/06
●『トリゴラスの逆襲』表紙のカンプ(仕上がり見本)が届いた。きれいだ。来週には本文(ほんもん)のカンプが届く。ゴールはすぐそこだが、まだまだ安心できない。気合いを入れて9回裏の守備につこう。
きょうは父の1周忌。救霊のためのミサを捧げた。クンは初めて父に会った時、『トリゴラス』のおとうちゃんにあまりに似ているのでびっくりしたと言う。同じキャラクターをぼくはアムネスティ・インターナショナルのための作品にも登場させた。オークションにたまに出る「季刊絵本」6号 特集・長谷川集平グラフィティ(83年)の表紙に流用されたのがその絵だ。初期のぼくは父に似た人をよく描いた。ぼくの心が父から離れていくにしたがって、その人はぼくの絵から消えた。
新作『トリゴラスの逆襲』を今ごろなぜ思いついたんだろうと自問すれば、父を描きたかったというのが動機のひとつに違いない。終始しかめっ面だった『トリゴラス』のおとうちゃんは続篇では小さな笑みを浮かべる。そのページを亡き父に捧げたいと思う。10/10/22
●長崎にちょこっと寄港した世界最大級豪華客船クイーン・メリー2号。夕方には横浜に向けて出港しました。写真はうちから見たQM2、左が船首。松が枝ふ頭から後進離岸、そのまま行くと対岸にぶつかるので大きく曲がってこちら側に船尾を向け、前進で出て行きました。
水面からの高さは20階建てのビルほどの62メートル。右奥に白い線で写っている女神大橋をくぐり抜ける時、船と橋の隙間は3メートルしかなかったそうです。絵本『大きな大きな船』のモデルにしたタイタニック級のクリスタル・シンフォニー号より100メートル長い345メートル、重さは3倍の15万トン。これまで長崎に寄港した船で一番大きい。ぼくもこのクラスは初めて見た。
1月4日から4月22日で世界一周、全日程参加費用は200万円から2,000万円。乗る人がいるんだよな。きょうは2,500人が船を降りて長崎観光したそうな。ぼくらの感覚を見事に裏切る巨大な動く建造物。ぞっとするほど美しい。大きな大きな船には日暮れがよく似合う。世界の日暮れを思わせる。10/02/17 灰の水曜日
●JR新宿駅東口改札を出て左、丸ノ内線に向かう通路左側にベルクという19坪の小さな店があります。ビール、ワイン、日本酒、喫茶、軽食どれも最上のものを格安で出すので大人気。店内に写真や絵の展示もあって、昔の新宿の雰囲気も漂います。くわしくはHPを覗いてみてください。このクオリティでこの値段、お店が成立するのかしらと、びっくりするよ。
その店長が著書『新宿駅最後の小さなお店ベルク』を送ってくださった。実は店長の井野朋也さんと副店長の迫川尚子さんはぼくの絵本講座に来ていた人たちで、そのころ井野さんは学習塾の講師、迫川さんは小さな出版社を手伝っていたのかな。本によると90年にお店を受け継ぎ、試行錯誤を続けながら次第に幅広い客層を得たそうです。
ぼくらの知り合いの写真家・橋口譲二さんの写真集をバラして(ぼくが絵本をバラして見せたのがヒントになったと書いてある)額装して店内に飾ったのをとっかかりにして、本橋誠一さんのオリジナルプリントや様々な人の作品を紹介してきている。通信も出している。すでにお店に歴史が刻まれています。ぼくらが長崎にいる時間とほぼ同じ長さの時間がベルクにも流れていたのですね。
それが店舗スペースの現オーナーにあたるルミネから突然、立ち退きを迫られた。立ち退き反対の声がファンから上がり、常連客の編集者がベルクの本を出しましょうと持ちかけたそうです。応援サイトも立ち上げられています。
ぼくがうれしかったのは、今行っている大学でもそうなんだけれど、絵本作家なんてだれもがなるもんじゃない、それよりも、こうやって絵本を通して芸術・文化・歴史・社会を広く深く知り考えることが、それぞれの人生でいつか少しでも意味を持てばいい、その人を今いるところよりも前に押しやる推進力になればいいとずっと言ってきたのね。それをこのふたりは飲食店という場で生き生きと展開しているんだなあ。それでいて、しっかりと地に足がついている。お見事。この19坪の絵本を閉じさせてはいけないと思う。
HPの「店長に聞く!」というコーナーに次のようなQ&Aを見つけてぼくはニヤリとしてしまいました。井野さん、キープ・オン・ロッキンしてるよ。
Q29:自分の中でのヒーロー、ヒロインは?
ザ・ビートルズ。
Q30:これだけはやりたくないこと!
自主規制。
みなさん、ベルクを応援してください。新宿駅を利用する人はぜひお店に立ち寄ってください。一番の応援は客のひとりになることだと思う。08/07/04
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